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大江戸オブ・ザ・デッド〜魔法全盛の江戸で、弓しか取り柄がない私ですが兄を探してます〜  作者: 森戸ハッカ
第四章:土の段『土は国なり。人はそこに立ち、そこへ還る』

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カグヤの宣告 麒麟児の決断

 玄蕃の言葉が落ち着いた頃合いを見計らい、カグヤが静かに前へ出た。


 白髪が揺れ、赤い瞳が薄く細まる。


 その一つひとつの動作に、国を背負う者の覚悟と、海を渡っても花魁として生き抜いてきた女の強さが宿っていた。


「――トビじゃが」


 その呼び方には少女への深い慈しみが含まれていた。


『今度きちんとお礼しに伺わせてください!』


 そう言って頬を染めながら頭を下げた飛梅の健やかな佇まいを思い出したカグヤは一瞬言葉を止めたが、真剣な目で麟五に向き合った。


「心臓を入れ替え、それが安定し、本人の自我が戻ったとしても――」


 カグヤはゆっくり首を振る。


「ミカドには帰れぬえ」


 麟五の心臓が、はっきりと軋んだ。


「トビの闇魔素を吸引する体質は変わらぬ。玄蕃殿が皇として安定するまでに、あの子をミカドに戻せば――ミカドの瘴気バランスは崩れ、害となろう」


 言葉は残酷だが、その声には優しさが滲んでいた。


「バベルならば闇魔素が豊富にある。それこそ吸い尽くせぬほどにな。あの子が生きるなら、ここが最も安全でありんす。……ゆえに、もう決めた」


 麟五が息を呑む。


「あの子の国籍は、既にバベル王国に変えたでありんす」


 既にーー……


 室内が揺れた。


誰もがその決定の重さを理解していた。


 カグヤは続ける。


「備悟殿がな、万障繰り上げて、神速で調整してくださりんした。ミカド皇国の法とバベル王国の法の両方をすり抜けーーあの子の道を閉ざさぬためにな。24時間の猶予も、そうして生まれたものよ。国籍さえ変われば自国民救出となるはずだとバベル政府とかけあってくれ、わっちも大層動きやすくなったわ」


 赤い瞳が静かに麟五へ向く。


「――其方からも、あとでよくよく御礼を伝えるように」


 その一言で、蓼丸備悟がどれほどのものを犠牲にし、どれほどの政治的しがらみを引き受け、どれほど弟のために動いたかーーすべてが理解できてしまった。


 カグヤは白い喉をすっと伸ばし、麟五を真正面から見据えた。


「――十五代蓼丸の麒麟児よ」


 その呼び名に、麟五の背筋がかすかに跳ねた。


 幼い頃から、誉れであり、鎖でもあった名。


「トビを取り戻した暁に、主には二つ道がある」


 室内の空気が張り詰める。


 艶やかな朱に塗られた指が2本、麟五の前に差し出された。


「一つは、全てを終えて英雄としてミカド皇国に帰還する道」


 それは本来なら彼が歩むべきだった未来だ。


 蓼丸家の麒麟児として、民の希望として。


 それしかないと、思っていたのにーー……


「もう一つは――トビと共に、バベル王国に残る道じゃ」


 麟五の心臓が、ひとつ深く鳴った。


「この国の闇属性は、攻撃系のトビとは異なり、アボット家のような防御系に特化しておる。攻撃系闇属性特級能力者を抑えられる者が必要で、レイ殿下も他国の特級能力者を受け入れるべきと王に口添えしてくれた」


 カグヤはひらりと扇を開いた。


「望めば、主も天道領で受け入れよう。……うちの護衛官のセミマルなど、天下の蓼丸が部下になるのかと震えておったわ」


 くす、とカグヤは笑った。


 だがその赤い瞳はまったく笑っていない。


 その眼差しは、決意ある者だけが、この先に進めると告げていた。


「――どうするんえ?」


 その問いが落ちた瞬間、医務室の空気が一段階も二段階も重く沈んだ。


 麟五はゆっくりと周囲を見た。


 南海。

 テッサ。

 神保兄弟。


 そしてプロジェクターの向こう――山本総局長、西門、兄の備悟を。


 どの顔も、彼が何を選んでも受け止めると決めた顔だった。


 それが逆に苦しかった。


 唇が震え、喉が焼けつく。


「……いいのか?」


 絞り出した声は、蓼丸麟五という男からは考えられないほど弱かった。


「国から……出ても。飛梅と生きる道を選んでも」


 その瞬間、彼を見ていた人間は息を止めた。


 蓼丸の麒麟児。

 民の希望。

 すべてを背負う者。


 その男は――


 生まれて初めて、自分自身の願いを口にしていた。


 願うことすら許されず、運命に組み込まれて育った少年が、今ようやく言葉にした問い。


 その声の震えは、誰よりも強い男が、ずっと欲しくて、ずっと触れられなかった未来に手を伸ばした証だった。


 麟五の問いが落ちた瞬間、プロジェクターの向こうで備悟がわずかに目を見開いた。


 弟が、自由を願っていいのかと問う――


 それは蓼丸家に生まれた者が生涯口にしてはならない問いだった。


 備悟は、弟に背負わせてきたものの断片が胸に去来したのだろう。


 目をきつく閉じた。


 その長い睫毛が眼鏡越しに震え、兄としての顔がゆっくりと上がる。


「……好きにするがよい」


 その声は、蓼丸家の次期当主ではなく、ただの兄の声だった。


「私の推しは、輝夜太夫といい、otoちゃんといい……国に留まらず、羽ばたいていく運命なのだ」


 ひょっとしたら冗談めいて聞こえるはずの言葉。


 だが今は違う。


 それは――蓼丸備悟が弟を縛ってきた鎖を、自ら外すための祈りだった。


「其方も蓼丸の麒麟児ならば……最後までミカドの宝を御守りせよ」


 勇ましい言葉とは裏腹に、備悟の頬に、静かに涙が伝う。


 弟を国に繋ぎ止めていたのは、使命でも義務でもなく――兄としての弱さだった。


 それを悟った彼は、今その弱さごと、弟を手放した。


 備悟は涙の筋を拭おうともせず、胸を張って言った。


「駆けよ、麒麟よ」


 声は震えていた。


「駆けよ! 千里など生温い。己の仁の行き着くところまで、瑞獣として駆け抜けよ!」


 これは命令ではない。

 呪縛でもない。


 蓼丸家の長が弟の未来を願って贈る、祝福そのものの言葉だった。


 麟五の胸に、熱が突き刺さるようにこみ上げた。


 生まれて初めて彼は、自分のために進む道を選んでよいと許されたのだ。


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