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大江戸オブ・ザ・デッド〜魔法全盛の江戸で、弓しか取り柄がない私ですが兄を探してます〜  作者: 森戸ハッカ
第四章:土の段『土は国なり。人はそこに立ち、そこへ還る』

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51. 目覚め

 ……ざらつく。


 肌に触れた空気の水の気があまりに薄い。


 まるで砂に埋もれた井戸の底のような乾きが、意識の底にまず触れた。


 麟五は、静かにまぶたを開く。


 視界に広がったのは、白。


 壁も天井も寝具も、すべてが柔らかな白で統一された――ミカド皇国には存在しない様式の、異国の医務室だった。


「――蓼丸様がお目覚めになりました!」


 すぐそばにいた癒師が、弾かれたように部屋を飛び出していった。


 扉が閉まる音だけが短く響き、麟五はひとり取り残される。


(ーーここはバベルだ。ミカドの気じゃない)


 意識が鮮明になるほど、その確信だけが鋭く胸に突き刺さった。


 そして――


「……飛梅」


 名を口にした瞬間、喉が焼けるように乾いた。


 魔界で見た、倒れ落ちていく彼女の背中。


 伸ばした手は、届かなかった。


 周囲に感知の網を拡げる。


 ーーいない。どこにも、いない。


 胸の奥が爆ぜた。


 呼吸が一つ。


 蓼丸麟五の全身の毛が逆立ち、特級を超える特級の魔圧が瞬時に弾け飛んだ。


 次の刹那、


 ウウウウウウーーーーン!!


 室内に魔力反応アラートが悲鳴のように鳴り響いた。


 結界が軋み、天井の水晶灯が震え、隠された護符が青白く点滅する。


「隊長! 落ち着いてください!」


 扉が乱暴に開き、南海が真っ先に飛び込んだ。


 その顔は蒼白で、しかし目だけは必死に冷静をたもとうとしている。


 だが、麟五の目はその背後に向いて止まった。


「……なんでお前らまでいる」


 南海の影から、妙に場違いな三人が覗いていた。


 ミカド皇国にいるはずのテッサ。

 そして神保兄弟だった。


 全員、少し気まずそうに手を挙げたり、視線を逸らしたりしている。


 とりあえず呼び寄せられたものの、何をすればいいのかわからないという戸惑いが顔に出ていた。


 医務室の白い空気の中で、緊張と困惑が同時に揺らいだ。


「しばしお待ちください!」


 南海が、微妙な空気を裂くように声を張った。


 その声は、麟五の暴走寸前の魔力をわずかに引き戻すだけの強さを帯びていた。


 彼は胸元の携帯木札を素早く取り出し、カッ、カッ と指で面を叩いて何事か連絡を送る。


 そしてすぐさま医務室の隅にあった簡易台車を引き寄せ、折り畳み式の魔導プロジェクターをささっと器用に組み立て始めた。


「隊長、そのまま動かないでください。……はい、繋ぎます!」


 南海が符をプロジェクターにかざすと、水晶板に魔力が走り、ブゥン……という低い共鳴音が室内に満ちた。


 白い面に投影された光が集束し、ひとつの画面が形を成す。


 そして――現れたのは、麟五の予想をはるかに超えた顔ぶれだった。


 画面に映ったのは、ミカド皇国特別消禍隊の要人たち。


 まず、山本総局長。

 堂々と正面に座し、相変わらず隙のないヒップホップファッションを禿頭にまとっている。


 その横には、百目頭目の西門。

 腕を組み、こちらを伺うように眼帯をつけた眉をひそめている。


 さらに――蓼丸備悟。


 兄の顔を見た瞬間、麟五の胸の奥で暴れていた激情が、わずかに輪郭を取り戻した。備悟の怜悧な表情は、かつての飛梅の喪失を否応なく思い出させた。


 なぜ、兄上がーー?


 思考が追いつく前に、山本総局長が口を開いた。


「――リンゴ君、まずは落ち着け」


 にっかりと笑ったその顔は、嘲りでも諦めでもなかった。


 鼓舞。

 ただひとつ、部下の気勢を正しく整えるための笑み。


 かつて「鼓神ジョージ」と呼ばれ、数々の屍人戦線を無敗で押し通った歴戦の将――その男だけが持つ、圧倒的な包容力を帯びた笑みだった。


 その瞬間、麟五の胸の高ぶりが一段落ちる。


 呼吸がわずかに形を取り戻し、魔圧も一枚、薄皮をはがしたように静まった。


 南海はプロジェクター前に進み出て、場を一望してから淡々と、しかし淀みなく口を開いた。  


 その声音は、優秀な諜報員らしく、必要な情報だけを正確に束ねていく。


「蓼丸隊長。まず、こちらに至るまでの経緯を簡潔に説明します」


 南海は符を操作し、時系列の図を壁に映し出した。


「飛梅一士が心臓を抜かれた直後、その場にいた全員が皇の魔力吸引を受けて失神。――そこから六時間が経過しています」


 ざわり、と麟五の魔圧が揺らぎ、画面越しで見えぬはずの西門の表情が動いた。


「本来であれば転移は不可能でした。しかし、タイヨウ様が所持していた特級火属性能力者製の御霊石が緊急時に魔力供給を行う仕組みでして……」


 南海の指先が光の線を一つ辿る。

 

「失神と同時に、御霊石が自動で、ここ観月宮への転移を発動。タイヨウ様と魂の双子という強力な結びつきのあるソルにも魔力が流れ、さらにソルさんがミカド側から転移させていた者たちも巻き込む形で、全員が観月宮に運ばれました」


 南海のあくまで冷静な報告が続く。


「東雲玄斎医務局長とシノ様、そして当時まだ闇魔力鍛錬前だった私の三名は、瘴気の洗浄だけで意識を回復。東雲医務局長はすぐさま天道領領主カグヤ様へ事態を報告し、国交門を緊急開錠していただき、医局長とシノ様はミカドに帰還されました」


 そこまでを一息にまとめ、南海は一拍置いてから核心へ入った。


「皇は、あの場でまず闇属性者たちの闇魔力を吸収しました。そして蓼丸隊長――あなたからは四元魔力そのものを魔界へ転移させた形跡があります」


 室内の空気がひりついた。


 神と崇めていた存在が、そのような力を持ち、さらに振るうなど想像もしていなかった。


 ーーいや、我らは何も知らなかったのだ。知ろうとすらしなかった。


 そんな思いが場に満ちた。


「その結果、タイヨウ様、ソル、レイ王子、ハンナさん、セバスさん、玄蕃様、そして蓼丸隊長――全員が過剰底尽き、いわゆるオーバードローと呼ばれる魔力枯渇状態に陥りました」


 南海は静かに結論を述べる。


「輸力処置により全員の命は繋がっています。ただし魔力量が多い隊長の回復が最も遅く、目覚めが最後になった……という次第です」


 報告を終えると同時に、室内からは誰の息か分からない微かな吐息が漏れた。


 南海がモニターに向き合うと、画面の向こうで山本総局長が「ふっ」と鼻を鳴らした。


「――リンゴ君は緊急事態を脱するのにも、相当な魔力が要り用だったらしいな」


 総局長は椅子にどっかりと腰を預け、まるで戦場のど真ん中にいるかのように落ち着き払っている。


「麒麟児も難儀よのう。カグヤ様がな、リンゴ君にかかった魔力の対価は請求すると言っておられたそうじゃ」


 さらりと言うが、年度末の予算状況を知る者たちは画面外で一斉に顔を引きつらせているだろう。


 山本は続けた。


「年度末ゆえのことよ。特別消禍隊の予算には、もはやそんな余剰は残っとらん」


 そして――にっこり。


 鼓神ジョージの名に恥じぬ、豪快で、愉快で、戦場を鼓舞する笑みを浮かべた。


「――ゆえに、蓼丸家にツケさせていただくから案ずるな」


 プロジェクター越しでも分かるほどの快笑だった。


 備悟の眉が、キッとかすかに跳ね上がるが、さすがに何も言わずに黙っていた。


 すると画面の向こうで腕を組んでいた男が、静かに一歩前へ出た。


 百目頭目――西門。


 その声音は、張りつめた空気をさらに研ぎ澄ませるような冷静さを帯びていた。


「百目頭目、西門だ」


 わざわざ名乗り、事務的な報告では済まない深刻な内容をこれから告げると、その場にいる全員に悟らせる。


「南海から一報を受け、我々は皇天宮へ突入した。だが、中は――蜂の巣を突いたような騒ぎだった」


 画面越しでも分かるほど、西門の表情は険しい。


「皇は昨夜から不在となっており、全国の神社連が連携して捜索を進めているというので、現段階でこちらが把握している事態を伝えると、髙橋宗家はその場で昏倒していた」


 そして、一拍。


 息を飲む音が、医務室でも、通信の向こうでも、確かに重なった。


「――結論から言う。飛梅の所在は不明だ」


 諜報の長らしい残酷なまでの簡潔さだった。


 その瞬間――麟五の世界は、音を立てて崩れた気がした。


 胸を貫かれるような、いや、胸そのものを抉られるような痛みが全身を貫く。


 視界が白く弾け、空気が震え、ただ彼女はいないという事実だけが、烈火のように心を焼いた。


 魔圧が一瞬、再び跳ね上がった。


 南海が息を呑み、神保兄弟が後ろで肩を落とし、テッサが唇を噛む。


 それでも西門は、感情に振り回されることなく、諜報の長として告げ続けた。


「……続きを言う」


 西門の声が、割れた世界に再び現実を撃ち込む。


「皇は飛梅の心臓を奪い、自らの魔界核を移植した。膨大な闇魔力を吸引し、浄化する核を。つまり――飛梅を次の皇として造り替えようとしたのだ」


 麟五の瞳が大きく揺れた。


「飛梅は承知の通り、屍人討伐を通して闇魔力を溜め、すでに闇属性特級へ到達している」


 プロジェクターに映る西門の瞳が鋭さを増す。


「同じ環境を持つ兄の楽、そして母でさえ、最終的には三級に留まった。それを考えれば――」


 西門は結論を下す。


「飛梅は闇魔力を吸い上げ、浄化し、循環させるという、皇と同質の異才を持っているということだ」


 つまり、皇が持つ怪物の資質を、彼女は偶然にも備えていたということだ。


 だからこそ狙われた。

 だからこそ奪われた。

 だからこそ――姿がない。


 ぎり、と音がするほど、麟五は歯を食いしばった。


「しかし――」


 西門は言葉を区切り、全員の注意を一身に集め、無慈悲な結論を告げる。


「飛梅はミカドに帰還していない。そして、バベル王国でも所在が確認できていない状況だ」


 麟五の指が白くなるほど握り締められた。


「エリア4に設置された転移符は、皇の攻撃と共に完全消失。確認に向かう術すらない状況だ。ソル、そしてタイヨウ様であれば、あの領域に直接アクセス可能だという」


 だが、と西門は視線を鋭くした。


「彼らの協力に、バベル王国が難色を示している。ーーこれについては後ほど説明する」


 西門は画面越しに麟五の金色の瞳を見つめた。


 まずは飛梅がなぜ姿を消したのか、その核心から明かすという。


「飛梅失踪の理由だが……」


 西門は手元の符を指先で弾き、簡略化された2つの体質データをプロジェクターに映した。


 左は皇。右は飛梅だ。


「皇と飛梅の体質に、皇自身が読み違えた差異があったのだろうと推測している」


 画面を食い入るように見つめていた南海が息を呑む気配がした。


「皇は闇魔力を“吸い上げ、浄化し、循環させる”――そういう循環機構を持つ存在だというのは説明した通りだ」


 一方で、と西門は視線をわずかに下げて強調する。


「飛梅は、そこにもう一つ、“保全”という機能を持っている」


「保全……?」


 テッサが小さく呟いた。


「左様。簡単に言えば、魔力を溜め込み、長期保存する体質だ。彼女が闇属性特級へ至るまで、長い期間にわたり魔力を蓄積し続けていた証拠でもある」


 つまり、飛梅は貯める器としても異常な適性を持っていたらしい。


「そこに、強靭な吸引力を有する皇の魔界核を移植されたらどうなると思う?」


 西門の声が低く沈む。


「結果、貯め込みやすい体質に強制吸引の魔界核という組み合わせが最悪の形で噛み合ったのだろう」


 麟五の胸が、ひき裂かれるように痛んだ。


「恐らく――」


 西門は告げることをためらわなかった。


 惨禍を生き延びてきた彼は知っている。


 それが事実である限り、逃げても意味がないからだ。


「飛梅は自我を失い、ただ魔力を吸い上げる魔獣のような状態になっている可能性が高い」


 室内の温度が、一気に下がった。


 そして、蓼丸麟五の視界が再びぐらついた。


 胸の奥で焼け焦げるような痛みが拡がる。


 呼吸さえままならない。


 しかし、まだ西門の報告は終わらなかった。


 彼の最後の一言は、まるで未来への扉が全て閉ざされる音のようだった。


「……バベル王国の諜報機関であるアボット家も、我々と同じ結論に達しているそうだ」


 麟五の脳裏に、これまで出会ったアボット家の人間達の顔が浮かんだ。


 それは飛梅が自我を失った魔獣と化しているという残酷な推測が事実であるということを示していた。


 山本総局長が、後を引き継ぐ。


「ーー半年前の犯罪者闖入事件、そして今回の発端が王族のお忍びであったことも重なり、バベルから我々に24時間の猶予が与えられた」


「……猶、予……?」


 麟五の喉が、乾いた音を立てた。


 嫌な予感がする。


 これは、命を救うための猶予ではない。


 処分するための猶予だ。


 闇魔力を暴走的に吸い上げる魔獣となった飛梅。


 どこにいるのかも分からず、その吸引は周囲を死地に変える危険すらある。


 そして何より、皇の不在。


 皇国の瘴気を抑え込む最後の楔が、消えたのだ。


 世界は当然こう考えるだろう。


 危険を排除し、魔界核を回収せよ、と。


 これから告げられるのは、それしか考えられなかった。


 その決定は、ミカド皇国のためにも、バベル王国のためにも、人類全体のためにも――合理的で、正しいのであり、反論の余地がないのだから。


(ーー俺に飛梅を殺せと。世界はそう言うつもりか)


 胸が焼けて、魔圧が逆流するように脈打つ。


(そんな世界なら……壊すしかねえだろうが!!!)


 溢れたのは、理屈でも使命でもない、ただひとりのためだけに放たれる破壊衝動。


 息が震え、骨が軋み、四元すべての魔力が瞬き返るように脈打つ。


 そこへ南海が一歩詰め寄り、叫んだ。

 まるで嵐の塊だ。これ以上は近寄れない。


「隊長、まだです!! 落ち着いて!!」


 しかし麟五の耳には、もはや何も届いていなかった。


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