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【最終章】大江戸オブ・ザ・デッド〜魔法全盛の江戸で、弓しか取り柄がない私ですが兄を探してます〜  作者: 森戸ハッカ
第一章:水の段『水は道なり。行くべき先を拒まぬ』

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5. 第七局一班術科訓練

 特別消禍隊員は四属性のスペシャリストであるため、よく「なぜ?」と問われるのが術科訓練の存在だ。


 柔道もしくは剣道の訓練を週に一度チームで行うという対人警察組織のそれを模したものだが、火を操り、空を飛び、水を渡り、地割れを起こすという能力者達にそんなものが必要があるのかと疑問を持つ者は少なくない。


 しかし隊員で異を唱える者は皆無だ。


 特別消禍隊の職務は屍人討伐や人命救助等、強固な体力と精神力をもって当たる必要があるため、その向上にすでに確立された技術である術科技能の練磨が最適であること。


 そして、もうひとつはーー


「肝に銘じろ! 血に刻め! 術科訓練は瞬時にヒトか屍人かを判断することに繋がるんだ! 術科訓練は水属性能力の鍛錬に最適だ。我々、偵察隊『百目』は水系能力に優れ、体内の水の動きで敵勢力を正確に把握することは知っているな?」


 男は背をそらし、片腕を天へ突き上げ、足を交差させたまま静止した。


 道着姿で特に意味なくポーズを決める男のボルテージは高まっていく。


「それは敵の動きを知ることにもつながる。体内の水の動きを追えば、相手の次の動きがわかる。しかし、屍人の水は動かない。水を制する者は現場を制するんだ! わかったか!」


 次は下半身を背後へ、上半身を正面へ向けたねじれ姿勢で顔を手で仮面のように覆う。


 緑色の天然パーマの頭をふわふわと揺らしながら、第七局一班の偵察員『百目』である南海(なんかい)ノックは胸を張った。個性的なヘアスタイルに小太りの身体は『渋谷の裏通りでふとすれ違う、静かに音楽を作ってそうな若者』といった風体であったが、本人は物静かとは程遠い。

 

 短い手足でジョジョ立ちと日本で呼称されるポーズを複数披露した後、南海は威勢よく構えのポーズをとる。


「よし、来ぉい!」


 美しい礼を静かにしていた道着姿の飛梅に向かって南海は不敵に笑った。


 次の瞬間。


 畳の上に乾いた音が響いた。


 空気が一瞬止まる。


「い、一本……!」


 審判役の先輩が、かすれた声で告げる。


 その言葉よりも先に、場にいた誰もが誰もが「信じられない」という顔で目を見開いていた。


 倒された南海は呆然と天井を見つめ、静まり返った道場の中央に立つのは入隊して間もない新人の飛梅だった。


 普段は地味で、魔力も低く、特別消禍隊の花形集団第七局に配属されるには覇気がないとみなされていた。  

 その飛梅が、たった今、柔道指南役の南海を背負い投げで完璧に制したのだ。


 南海ノックは入隊3年目の小太りでがっしりとした中堅だ。柔道経験20年、水系能力も一級と抜きん出ており、見た目とは裏腹に優秀な黒帯の男であった。


 そんな南海が、まるで洗濯物のように軽々と宙を舞った。  


 ポカンと口を開けている者、メガネがずり落ちている者、こっそり携帯木札を取り出して動画を撮っている者ーー


 道場の端では、控えの先輩が口に咥えていた水筒の水を吹き出していた。


 ざわめきが広がる中、呆然と立ち上がった南海の足音がキュッと静かに鳴る。


 年季の入った黒帯、姿勢、気迫。

 彼が持つその全てが「負けるわけがない」と南海の心を強く立て直した。


「あり得ぬ! まぐれはもうないぞぉ、飛梅! もう一度ッ!」


 そう言って南海は飛梅に向かって再び構えを取った。


 ゴクリ、と喉を鳴らした審判役が手を挙げる。


「始め!」


 わずか3秒、またしても南海の視界がぐるりと裏返った。


 ドン、と畳が背中を受け止める音。


 ーーが、その衝撃音は驚くほどやわらかかった。


 小太りの南海の落下に合わせ、飛梅はそっと腕を添えて背中から落ちぬよう角度を調整していたのだ。


 見る者すべてが「やさし……」と心の中でときめくような、愛のある一本。


 南海の両手は乙女のようにトゥクンと顎の下で合わせられていた。


「……やさしく投げたァァァ!?」

「なにあれ!? 新しい武道!? 慈愛柔術!?」

「南海さんの背中に慈悲が降ってた……」


 投げた飛梅は凪いだ海のように穏やかな顔で「ありがとうございました」と深く礼をする。


 南海が起きあがろうとしている様子を見て、踵を返して列の後ろに並び直そうとした瞬間、飛梅の前に第七局隊長蓼丸麟五が立った。


 見上げたその瞳から表情は読めないが、どうも機嫌はよくないらしい。飛梅は(面倒なことになったかも……?)と内心に汗をかいた。


「戻れ」


 有無を言わさず、顎で指示する蓼丸の声に道場に緊張が走る。飛梅は背中に緊張を宿しながら立ち位置に戻った。

 

 次の瞬間ーーと、見ていた者たちは感じた。


 畳の上に、バタンと鈍い音が響いた。


 飛梅の華奢な体がうつ伏せでぺたりと沈む。


「もう一度だ」


 人類最強の教官、蓼丸が無表情に告げる。


 通常、圧倒的な力を持つ蓼丸が稽古で隊員と組み合うことはない。


 それを飛梅はたちまち五度も見事に投げられ、転がされ、押しつぶされていた。衝撃は背中、首、そして心と全部に来ていた。


「ーーどうした。お前、優しさだけで人を護る気か?」


 声だけなのに、投げられるより重い衝撃に襲われ、飛梅の心臓は跳ねた。


 ノロノロと起き上がりながら、荒い息で蓼丸の金色の瞳を見上げる。


「なぜ先ほど、南海に手加減した? 弱者をかばう、か。聞こえはいい。結構な精神だ。ーーだが、お前は戦場でも同じことをするのか?」


 目を見開いて、飛梅は息をのんだ。


「この訓練を甘く見るな。現場は戦場だ。戦場で、お前は隊員を護るのか? 護られる者が“重荷”であるということを自分達が自覚しない限り、全員が死ぬ」


 重い空気がのしかかり、もはや息苦しいほどであった。道場にいる者は顔色を皆失っていた。


 羞恥で頬が燃えるようであった。

 蓼丸麟五の言葉は正鵠を得ていた。


 だが、飛梅は上司の次の一言でカチンと頭を跳ね上げた。


「奢るな。俺に一打も与えられない弱者共の分際で」


(アンタに敵わなくたって、その言い方はないでしょう!?)


 蓼丸には到底敵わないとしても、ここにいるのは弱者ではない。恥じるように一同は俯いているが、いずれも地元では目にしたことないほどの高いレベルの能力者達だ。


 『大いなる力を持つ者には果たすべき責任がある』


 実家の道場で、弓の師匠として育ててくれた母の言葉だ。十に届かぬ音と楽の兄妹を屍人の発生現場に連れ出した母の白い袴姿を思い出す。


 納屋に逃げ込んだ農夫の一家を取り囲む屍人の群れに弓を向けながら、母は自らの子供達を背で護り続けた。


 屍人から逃げ惑う人も、仲間も、家族も全て護ればいい。母と同じ覚悟と力がここにいる者達にはあるのだ。


 そんな力を持つ者達が、弱いはずがない。

 蓼丸に敵わないというだけで、仲間を“弱者”と嘲っていいはずがない。

 

 何より、飛梅が憧れる全力戦隊ゼンリョクジャーのリーダー、火神(ひかみ)カケルならするはずもない。


 言いたいことを言って興が削がれた様子の蓼丸の前で、飛梅は苦笑して口を開いた。


「……わっかりましたーー」


 その瞬間だった。


 蓼丸がほんの一瞬、足元の立ち位置を直そうと視線を落とした。


 その隙を逃さず、飛梅が滑り込んだ。


「つまり、人を護る、ということは機転を効かせてでも教官に一打を与える必要があるということですね!?」

 

 そして、その小柄な身体がまるでバネのように跳ね上がった。


 畳の上に響き渡る、バシン!という衝撃音。


 飛梅が隊長の肩に飛び乗り、脚を首に絡めると、そのまま空中で半回転。見事な回転式のプロレス技ーーフライングシットスピンで蓼丸を投げ飛ばしたのだった。


 誰かの髪が畳に落ちる音まで聞こえそうな静寂。

 

 そしてーー


「フライングシットスピン決まったァァァ!!!!!」

「うぉおおおおい!? 飛梅が蓼丸隊長を投げたぞォォ!」

「柔道じゃなかったけど!? プロレスだったよね!? でもキレてた! 華麗に決まったァァァ」 

「空中で回ってた! 漫画みたいだった! そこに痺れる! 憧れるゥ!」


 誰もが驚愕し、拳を握り血を沸かせ、興奮と歓声を爆発させた次の瞬間、地を這うような怒声が道場に響いた。


「貴様ァァァ………ッ!!!!」 


 飛梅は生き物の本能として飛び退った。 


 これも隊員たちが初めて見る光景だったが、飛梅を捕獲しようとした蓼丸の手が宙を掴んだ。そして、そのまま全身に青筋を立てて激昂する。


「逃げるな!」


「すすすすみません! 反射で! 条件反射で!?」


 飛梅が後退る。


「ふわわ、あの、ついでに申し上げますと!? これは人命を護る機転と申しますか! 変則的な手を使っても人民を守るという心意気ィ……ヒャァァァァ!?」


 言い訳は虚しく響き、そこから先の15分、飛梅の姿が見えた者はいなかった。


 後に語り継がれる“蓼丸流鬼流し”を初めて体験した新人として、飛梅の名は伝説となった。


 蓼丸教官による15分間のお仕置きタイムが終わった後、畳の隅にはぺたりと伸び切った飛梅の姿があった。


「う、動けないぃ……」


 うつ伏せでベソベソと呻く飛梅を周囲はそっと見守っていた。


 誰も口にしなかったが、自分達が指一本触れることもできない最強の隊長を一度とはいえ華麗に回して落としたという感動は全員の脳裏にしっかりと刻まれていた。


 蓼丸が無言で場を離れた数秒後、飛梅の頭の近くに影がひとつ落ちた。


「……おい」


 顔を上げると、そこに立っていたのは先ほど飛梅に投げられた南海ノックだった。


 本人はニヒルな笑みのつもりだろうが、猫のように愛嬌のある顔でニッと笑った。


「お前、小さいナリでよくやったな!」


 丸っこい指で、冷たい水のボトルを畳に置く。


 それを皮切りに、観客と化していた先輩達が賞賛を口にしながらゾロゾロと集まってくる。  


 目を瞬かせた飛梅が、やっと頭上に声をかける。


「ノック先輩、ありがとうございます……すいません……水、蓋あけてもらっていいですか? 僕、腰が……」


 ノックをはじめとする先輩達はそれを聞いてたちまち動き出した。


「おっと、無理すんな! 今は寝とけ!」

「俺、氷出せるからアイシングしてやるよ! 帰りに医務室で治してもらえ。五局の誰かが詰めてるはずだ」

「力には自信あるんだ。俺が運んでやるよ。誰か、毛布と担架ー!」


 騒がしくも、どこか温かい空気が道場を包んでいた。


 ーー江戸特別消禍隊第七局は、この日を境に変わり始めた。


 能力者達の頂点に立つ組織というだけで荷が重いというのに、さらに異次元の高能力者でありながら国内屈指の名家の令息である蓼丸を上司に持つという緊張感が隊員達にはあった。


 その屈託や緊張を、フライングシットスピンという馬鹿げた技で飛梅は投げ飛ばしてみせたのだ。


 特別消禍隊では、年下の上官のことを君付けで呼ぶ習慣があった。

 

 それにも関わらず、「隊長」とだけで名を呼ばれないか、「蓼丸様」と呼ばれていた蓼丸麟五は、最初は恐る恐る、やがて大々的に「リンゴ君」と呼ばれるようになる。


 あまりの強さに、これまではどこか怪物か神のように畏れられていた蓼丸は、手の届かぬ孤高の存在ではなくなった。


 なにしろフライングシットスピンで投げられるのだから。


 雪解けのように緩んでいく道場の端で気配を消して腕を組み、蓼丸は柱にもたれていた。


 彼が投げ飛ばされたのは、幼少期の稽古以来だった。


 隙をついて首に絡まった華奢な脚。そこからの鮮やかなフライングシットスピンを思い出す。

 

 口元がほんのわずかに笑みの形を作りーーそしてすぐに、ギシリ、と固まった。


 接触は短かった。


 それは、絶大な魔力任せではなく、武芸を磨いてきた麟五だから気づけた変異。


(あいつ……チン……股間……なかった……?)


 庶民の股間は己のそれと異なるのかと激しく動揺する隊長には気づかず、飛梅は足腰のたたぬまま、どこか誇らしげな先輩達によって医務室に運ばれていった。


 医術能力者の手によってたちまち回復した彼女は、翌朝担当教官が蓼丸になったこと、身の回りの世話をする“部屋子”に任命されたことを知った。


「どうしよう、塔君。僕、大変なことになっちゃったかも〜……」


 食堂で沢庵をホリホリと噛みながら同期に愚痴っていた飛梅は、大変なことになっちゃうのは蓼丸の方だということに気づくことはなかった。



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