44. 渡辺カナンの恋
失恋には2種類あるという。
忘れられない失恋と、忘れられる失恋だ。
忘れられない失恋は、人生が揺らいだ瞬間に現れた人との間に起きる。
その人との出会いが“以前の私”と“以後の私”を分けてしまい、他の誰とも異なって、美しい棘のように抜けずに残る。
棘が刺さったままでは、その恋は終われない。そうして、いつまでも終わりを探して心の中で生き続けるのだという。
そんなことを思い出しながら、カナンは何百回も見ているアニメ「バベル純愛爆走組」の主役フォルクスのプロポーズシーンに目を落とした。
『ーー私の美しい棘。荊姫よ。その棘の名を、これからの私に刻ませてほしい。ーーどうか、共に生きてくれ』
生命の危機を感じるほどの動悸で慌ててタブレットをOFFにしたカナンは、天を仰いだ。
「良〜〜!!!! 良良良の良〜〜〜♡♡♡!!!!!」
なんという萌えシーン!
貧乏貴族から騎士団長に成り上がり、バッタバッタと魔獣を倒して魔界を買いたくしてきた最強ヤンキーのフォルクスが、名家の令嬢マーレに跪くのだ!
盟友ゴーンと魔界のエリア3でワイバーンを乗り回しスレイプニルを狩ろうとするも取り逃がし『これで諦めるような奴はいねぇよなぁ!?』と涙ながらに再戦を誓う激アツ回のすぐ後で!
荊姫マーレ・エル・ノーマンは、一族の中でも飛び抜けて魔力が高く、国内でもわずかしかいない特級の男と結ばれるしかないという運命だった。
ノーマン一族は身内の不幸が続き、彼女が子をなし血を繋ぐしかなかったが、特級である以上、特級以外とは番えない。
一方フォルクスは、短命な一族に生まれたため結婚など考えていなかった男。モテるヤンキーなのに、妻を娶って早死にするなど漢道に逸れると硬派の道をピリオドの向こうまで走ってきたのだ。昂る。滾る。
そんなフォルクスだから、荊姫の孤独に寄り添えた。そんな2人だから、この物語はこれほど胸を打つのだ。
もしも二人が悲恋で終わったとしたら、それは間違いなく忘れられない失恋になるのだろう。
少女の胸がツキンと傷んだ。
(ーーわたくしも、立場は“荊姫”と同じようなものですのに。一族が海亀より繁殖率が高いのがいけなかったのでしょうか……)
渡辺カナンは、渡辺家では珍しく特級能力者であったためーーと言っても、単一土系のかきあつめ特級でしかないがーー10歳の頃に蓼丸麟五との婚約がまとめられた。
人類最強の男である婚約者殿は、その恵まれた才を国に尽くすべく特別消禍隊に入り、士分を失うことが確定していた。
歴代の蓼丸の麒麟児と同じように。
しかし今世の蓼丸家としては断じて許せぬ事態であったようで、同格の渡辺家に年の頃の合う特級能力者の娘が現れたことで目の色を変えたという。
渡辺家に麟五を婿入りさせる。
御三家は長い歴史の中で、その役割を分け、薄らと溝を深くしていったため、その申し出は当時大層な話題となった。
蓼丸家は武門の柱だ。
国を護る矛として、軍備・治安・外交に多くの人材を送り出す家。その威光は皇国最強の刃として民から畏敬されている。
一方、渡辺家は知略の家と言われた。
幕府の中枢で政策立案・財政を担う頭の役割を果たす。調停と分析に長け、武と礼の両方で皇国を支える楔のような家だった。
残る一角、髙橋家は典礼と祭祀の家だ。
皇国の儀式・神事・祭祀を司る心臓部。皇天宮を象徴とする役割を持ち、ミカド城での行事では常に中心的な位置に立つ。
蓼丸の麒麟児は、今まで子を成した者がいないのだという。その法外な魔力を受け止められた相手が家格に合う者の中でいなかったらしい。
カナンはカナンで、何の因果か特級能力者であるため相手に苦労することは目に見えていた。
渡辺家にとっても、その申し出は有難いことであり、二人の婚約は本人たちの意思はミリも挟まれずにまとめられた。
カナンは蓼丸麟五のことは決して嫌いではなかった。
その凜とした美貌も、影を孕んだ気高い魔圧も、好ましいとは思っていた。
しかし、仮に婚約が破談になったとして、忘れられない失恋になるかと言われればそうではない。断じて、ない。
人生の色が変わらぬうちに始まった恋は、季節が巡れば自然に風に溶けていくだろう。
あともう一つ。
「バベル純愛爆走組」のフォルクス担として、麟五に惹かれぬ理由があった。
(麟五様の身長が、せめてわたくしより高ければーー!)
膨大な魔力をコントロールしやすいように、彼が成長を止めているというのは千回以上乳母から聞いている。
しかし、カナンは細かな魔力操作が昔から苦手だった。結果、有り余る魔力はすくすくと身体に行き届き、現在175cm。麟五の頭は10cm下だ。しかも、まだ伸びる気がする18歳である。
公式ファンブックにはフォルクスは190cmと書かれていた。
憧れのヤンキーが微笑むタブレットの痛カバーをカナンはそっと撫でる。
軍人らしい逞しい長躯。金髪にアイスブルーの瞳。王国騎士団の黒い隊服。
(そう、黒! 黒なのです! せめて特別消禍隊の隊服が白でなければーー)
カナンはタブレットを抱えて俯いた。
「姫様、渡辺家の出順でございます」
乳母がそっと主人の肩に手を置き、その指に力を込めた。
「ーー姫様、お分かりになっておられますね? 式典では特別消禍隊としてご列席の麟五様にご挨拶をするのですよ。その背後にバベル王国より留学生としてお越しの“フォルクスの甥子”がいたとしても、決してそちらに気を取られてはなりません」
「わかっております……! ソル・ドゥフト様と仰られるのですよね。ああ、楽しみです! 似ていらっしゃるのでしょうか? お近づきになれないかしら。フォルクス様にサ、サインなど……」
「姫様!」
乳母の叱責にカナンは肩をすくめた。
失恋どころか、恋も知らないままになりそうな人生なのだ。
推し活くらいは好きにさせて欲しいものである。
◆◆◆
一月三日。
ミカド城の大広場は、凍てつく冬を忘れさせるほどの熱気に満ちていた。
黎明とともに鳴り響いた千響太鼓の重い一打が、石畳の空気を震わせる。白銀の息を吐く群衆が一斉に顔を上げ、天へと伸びる城郭の白壁が、朝の光を反射して輝いた。
広場の中央には、前年の収穫と平穏を象徴する巨大な瑞獣飾りが設えられ、その脚元には武官・文官、各地の領主、各局の消禍隊員がずらりと並ぶ。
風に揺れた旗指物には、国章に加えて、火・水・土・風――四大属性の紋章が鮮やかに描かれ、まるで祝祭の空自体に彩りを加えているかのようだった。
階段の最上段では、幕府の高官たちが整列し、古式ゆかしい礼装に身を包んだ巫女たちが祝詞を奏上する。
鈴の音が澄んだ冬空に吸い込まれ、観衆は思わず息を呑んだ。
そして、狼煙ならぬ光煙――魔術で生み出された光粒がゆっくりと空へ舞い上がり、朝焼けの空に彩光を描いた瞬間、場の空気が一変する。
ミカド皇国の新年が、いま正式に始まったのだ。
城下から集まった民は歓声をあげ、武官たちは胸を張り、若い巫女は感極まって涙ぐむ者すらいた。
光煙が舞い終わると、場内に低く厳かな太鼓が鳴った。
その音を合図に、まず蓼丸家の一行が静かに進み出る。黒紋付に銀の家紋――武門の誇りを体現するような凛とした列だった。
続いて、青の礼装をまとった渡辺家が続く。文武双方に秀でた家らしく、列は整然としており、足並みは水面の波紋のように美しかった。
最後に、鮮やかな朱を差した礼装の髙橋家が姿を現す。神事や典礼に深く関わる家柄だけあり、巫具を携えた従者たちが白い冬空に静かな気を張らせた。
御三家が三方から揃った瞬間、広場には自然と道が開き、民も武官も一斉に頭を垂れた。
カナンは、渡辺家の正装である淡い藤色の礼装に身を包んでいた。
色は控えめながら光を受けるとほんのりと青銀が浮かび上がる絹織りで、若い身に過度な威圧が出ぬよう装飾は最小限に抑えられている。
胸元には渡辺家の家紋が小さく、袖口には細い銀糸の縁取り。清楚でありながら、家格の高さは一目でわかる衣装だった。
髪は黒髪をゆるやかにまとめ、耳上に揺れる簪に、ごく淡い魔水晶が揺れていた。
そこには蓼丸の麒麟児を婿にとる、若き後継としての澄んだ美しさがあった。
カナンが姿を現すと、渡辺家の家臣たちは自然と一歩控えて道を作り、その表情には慎ましい誇りが浮かんでいた。
見上げる民の列からは、歓声ではなく、「ああ……未来はこういう子に託されるのだ」という安堵のような気配が広がる。
典礼の歌が静かに終わり、広場に張りつめていた緊張が少しほどけた頃、特別消禍隊第七局が護衛任務の報告と新年の挨拶のため、蓼丸麟五を先頭にカナンの前へ進み出た。
若き隊長の姿を認めたカナンは、渡辺家の令嬢らしく落ち着いた所作で一歩前に出る。
「蓼丸殿、本年も――」
形式通りの挨拶を口にしようとしたその瞬間だった。
視線の端に、違和感が揺れた。
麟五の背後に立つ一人――
金の髪。黒い軍服。
冬の光を反射するその姿は、この国のどこにも属さない色をしていた。
カナンの言葉が、そこでふっと消えた。
異国の青年は、自分が見られていることに気づき、驚いたように目を丸くする。
その瞳は、氷の湖のように澄んだ青だった。
この青年の顔立ち。
その纏う空気。
胸板の厚さ。長身。
そして何より、真っすぐすぎる目の光。
カナンが先ほどまで観ていたアニメの主役、『バベル純愛爆走組』のフォルクスそのものではないか!
カナンの心臓が大きく跳ねた。
胸の奥が急に熱くなり、言葉が出てこない。
気品を保とうとするほど、余計に呼吸が乱れそうになる。
一方の青年も同じだった。
彼の脳裏にも、フォルクスのプロポーズで涙ぐむ嫋やかな令嬢のイラストが浮かんでいた。
まさか現実に、同じ雰囲気を纏う少女に出会うとは思っていなかったのだ。
静寂が落ちる。
麟五だけが、婚約者の礼を欠いた異常な振る舞いと高まる魔圧にわずかに眉をひそめた。
だが二人の視線はもう、他へ戻らなかった。
カナンは胸元を押さえ、そっと言葉を選んだ。
「金のお髪……。もしかして、貴方様がフォルクス様の甥子様でいらっしゃいますか?」
問われた金髪の青年――ルイ・ヴォルフガングは、ぱちりと瞬きして、大きく首を振った。
「い、いえっ! 自分はルイ・ヴォルフガングっす!! 俺もバベル王国から留学で来たんですけど……ソル君は起きれる気がしないって言うんで、連れてこれなかったっす!」
興奮気味にまくしたてた後で、ルイはふと思い出したように付け加えた。
「ホンモノのフォルクス先輩の髪、白なんすよ。風系特級だから。アニメ版見て、俺もビビりました。なんで金髪なんすかね?」
彼は本気で不思議そうに首を傾げた。
もちろん二人は知らない。
アニメ化の際、「異国の最強ヤンキーは金髪のほうが映えるっショォ!」という監督の一言でデザインが勝手に変更されたことなど。
ちなみに実際のマーレは金髪なのだが、アニメ版ではマーレは黒髪になっている。
そのせいでーーマーレ夫人本人の姿を知っているのにも関わらずーー語学鍛錬のためにアニメ版に耽溺していたルイも、荊姫は黒髪だと脳内改変されていた。
結果、カナンの姿はあまりにアニメ版の荊姫に似ているように見えた。ルイの理性が溶けるほどに。
カナンは潤んだ瞳で熱い吐息を漏らした。
目の前のルイは、まるで、アニメのフォルクスがそのまま抜け出てきたかのようだった。
その長身――2メートルを超える影は冬の光に映えるほど高い。
それに真っすぐな瞳と、堂々とした肩幅。
カナンは、気づけばルイに近寄り、彼をじっと見上げていた。
胸の奥がくすぐったく震える。
強い朝日が昇り、カナンの髪飾りがきらりと光を反射していた。
その時、運命の風が吹いた。
冬の風に煽られ、カナンの髪飾りが揺れて落ちる。
それは、アニメ版プロポーズ回と全く同じ音だった。
拾い上げたルイが震える声で呟いた。
「……荊姫……」
カナンは心臓が止まったかと思った。
「……え……?」
金髪の異国青年ルイ・ヴォルフガングは、バベル王国では“心臓を捧げる”という意味を持つ最高礼で跪くと、カナンの手を取った。
「『ーー私の美しい棘。荊姫よ。君に刺された痛みは、私の生を形づくる印そのものだ。忘れることなど、とうに出来ぬ。その棘の名を、これからの私に刻ませてほしい。ーーどうか、共に生きてくれ』」
(原作準拠ーー! マドックス先生の原作小説の通りですわ!!)
カナンは足から震えが立ち上ってくるのを感じた。
実際、土系能力が暴走した彼女のせいで、大地は揺れていた。
ルイはそんな土の震えごと抱きしめるように、大声で叫んだ。
「俺と……結婚してほしいっす!!!」
その瞬間、場はひゅっ、と音を立てて凍りついた。
(プロポーズ!? カナン嬢は、まだ名乗ってすらいないのに!!!!?? 婚約者の麟五様の目の前で!!!!???)
一同は言葉を失った。いっそこの時間そのものを失ってしまいたかった。
だが、渡辺家の令嬢カナンは違った。
自分を見上げる青い瞳には、アニメの中の荊姫が宿っている。
それが全ての答えだった。
熱に浮かされたように、頬を染めて小さく呟く。
「……謹んで承ります」
――バベル純愛爆走組のプロポーズ回そのままに、優雅なカーテシーで。
あたりに凍えるような静寂が満ちた。
渡辺家の者達は「えっ……え? えぇぇ……?」と青ざめて喘ぎ、乳母は「ひ、姫さまぁぁぁぁ!!??」と叫んで失神した。
手を取り合った若い二人だけが、冬空の下で灼けるように熱かった。
その後、当然ながら渡辺家は大混乱となった。
しかし――バベル王国の名門ヴォルフガング家からの強い要請、そしてカナン本人の推し愛に狂った覚悟により、渡辺家は麟五との婚約辞退を申し入れる。
蓼丸家は、飲んだ。
飲むしかなかった。
本来、士分を持つカナンと身分が合うのはルイであると麟五本人が喜んで受け入れ、祝福と共に強く後押ししたためだ。
蓼丸家長男備悟は酒をあおりながら、遠い目をしていたという。
それから五年後。
留学を終え帰国するルイに伴われ、カナンも正式にバベル王国へ嫁いだ。
若き二人の劇的すぎる恋は、両国の民に愛され、政治に振り回された近親者を除き、後世にまで 「奇跡の純愛外交」 と語り継がれることになる。
そして婚礼の日――
バージンロードをともに歩んだのは、カナンのたっての希望で呼ばれた人物。
フォルクス本人であった。
なぜか四貴家当主としての正装ではなく箪笥に仕舞い込まれていたという騎士団時代の黒い隊服であったが、ルイもカナンも、参列した者たちも、全員が涙した。
姫を導く腕を差し出しながらフォルクスは静かに笑い、「行ってこい。……お前らが本物の『バベル純愛爆走組』だ」と祝福したという。
こうして新年早々に蓼丸麟五は婚約者を失い“失恋”したわけだが、バベル純愛爆走組の2人の物語に流され、そのエピソードが歴史に刻まれることはなかった。
【バベルこぼれ話】不器用だったルイ君は特別消禍隊での鍛錬を経て、土系だけでなく水系魔術を扱うことができるようになりました。そのせいか瞳が茶色から青にかわったそうです。敬愛するフォルクスの瞳と似た色だと、本人は泣いて喜びました。
……ところで、カナン嬢の髪飾りがアニメと同じように風で落ちたのは偶然ですかね?
次話から、いよいよ最終章です!
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