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大江戸オブ・ザ・デッド〜魔法全盛の江戸で、弓しか取り柄がない私ですが兄を探してます〜  作者: 森戸ハッカ
第三章:風の段『風は動なり。鎖を持たぬ』

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43. 師弟

 飛梅兄のまつげが震え、ゆっくりと目を開けた瞬間、母君と飛梅は声を上げて泣き崩れた。


「お兄ちゃん……! よかった!!」

「もう大丈夫よ、がんばったわね……!」


 何度も名を呼び、手を握りしめ、頬を寄せながら安堵の涙を流す。兄君はまだ朦朧としているが、二人のぬくもりに気づいたのか、弱く微笑んだ。


 その光景を横で見ていたソルに、着物姿の母君が深く頭を下げた。


「あなたが……あなたが闇魔力を分けてくださらなければ助からなかったと伺っております……本当に、ありがとうございます……」


 飛梅も真っ赤な目でソルに向き直る。


「ソル様、すごいお医者様だったんですね!! ゼンリョクピンクみたい……! 本当にありがとうございます……! 今後訓練の際の組み手は絶対に私が付きます! 痛くないようにしますから! 他にもできることがあればなんでも言ってください!!」


 だがソルはぷいっと横を向き、「……別に。大したこと、ないし」と、ぶっきらぼうに答えた。


 けれど、耳の先が赤い。どう見ても嬉しいのだ。


 それを横で見守っていた東雲玄斎がソルの頭にそっと手を置き、「しかと見なさい」と、くるんと患者に向き合わせている。


 ハンナは部屋の隅で小さく息を漏らした。


(――ここまで、本っっ当に大変でした……)



◆◆◆



 屍人に罹る病を、ミカド皇国は長年ひた隠しにしてきた。


 しかし――観月宮を率いるカグヤ妃が天道領を拓く以上、もはやその秘匿は成り立たない。


 知らせを受けたバベル王国は驚愕した。なにしろ、闇魔素の宝庫でありながら過去数千年にわたり屍病の発生記録が一度もない国である。


 だが闇魔素が関わっている以上、情報を開示された以上は、バベル王国でも必ず研究開発が始まる。


 その先鋒となるのは、国内屈指の魔法医――レヨン・ドゥフト。ソル・ドゥフトの父である。


 レヨンは疑いようのない名医だった。


 しかし、良い父親だったかと問われれば、誰も肯定できないだろう。


 ソルの母は、彼を産んですぐに病床につき、残されたレヨンは一人で幼子を育てざるを得なかったが、彼は“子どもを育てる”という営みには決定的に不向きだった。


 その結果、天賦の魔力を持ちながらも教育の空白を抱えた少年――ソルが生まれたのである。


 留学生が揃ってから一週間。

 問題の中心は、ほぼ間違いなくソルであった。


 バベル王家の人間が起こした孝悌苑の乱を終え、転移してきたソルは従者ハキムを連れ回し、ミカド皇国の礼儀や空気を完全に無視し、好き勝手に行動する。


 しかもハンナの制止をまるで聞かないので、捕まえる以前に見失うことが多々あった。


 身体能力に優れたハキムを連れることによって命の危険こそないが、平穏無事に留学期間を過ごしたいと(無理だとは分かっていたが!)願うハンナの段取りを粉砕するには十分すぎた。


 ソルは貴族の出ながら、実質“放置子”だった。


 彼が10歳のときにハンナが教育係につき、読み書きや礼儀、計算など一通り仕込んだつもりだったが――。「己の力を誰かのために使う」という価値観だけは、なかなか根付かなかった。


 もちろん生活習慣も崩壊していた。


 ミカド皇国でもそれは変わらず、夜に散歩に出て、昼に寝る。


 夕方になってようやく目を覚まし、機嫌の悪い顔でハキムに絡む始末だ。


 ついに南海ノックが烈火のごとく怒り、「追い出すぞ、クソガキが!! ルイを見習え!」と怒鳴りつけたところ、ソルは本当に寮から姿を消してしまった。南海の決済端末電票を盗み出し、ヨシワラで一晩100万を使い込むという痕跡だけを残して。


(……あのときの胃の痛み、私は忘れません)


 主人をヒモとして飼っていくしかないとハンナが怒りに震えていた頃、運命を変えたのが東雲玄斎だった。


 小石川療養所所長、東雲玄斎。


 彼は屍人に噛まれて昏睡しているという飛梅の兄の病室に、ある日ハンナとソルを呼んだ。


 ソルの忠実な僕ハキムは「ソル様を小石川療養所に連れて行かなければ、アボット家の名に置いてお前から翻訳魔術を引き抜く」と悪鬼のように恨めしい顔でハンナに脅され、嫌がるソルに当て身を喰らわせて連行した。


 東雲玄斎は異国からの客人に茶を勧めるでもなく、平坦な声で話し始めた。


 ミカド皇国が永く苦しめられた病の話を。


「ーー屍人化の原因は闇魔素にある。屍人に噛まれてなお変異しなかったのは……兄君に闇属性の素質があったからです」


 初めて聞かされた屍病にまつわる話だけでも衝撃だった。さらに続いたその一言に、ソルとハンナは言葉を失った。


 2人とも闇属性の人間である。急に未知の病に刃を構えられたような思いがして、首根が寒くなった。


 玄斎は穏やかに続けた。


「原因となる闇魔素は、バベル王国から取り寄せた純度の高い闇魔石とは性質が異なる。屍人化を引き起こす闇魔力は、毒性が引き上げられている……私はそう見ています」


「毒……?」とソルが尋ねる。その声は緊張でかすかに裏返っていた。


「ええ。そしてこれを押し出すには――同等以上の闇魔力が必要です。つまり……」


 玄斎は視線を向けた。


 ソルへ。


「あなたにしかできません」


 その言葉に、ソルは眉をひそめる。


「……オレが? なんで?」


「他に誰がいるというのです。あなたほど多量に純粋な闇魔力を持つ者は稀有。これは才能です。しかし――」


 玄斎の眼差しが鋭くなった。


「力とは、使わなければ腐ります。腐った力は、いずれ持ち主の心までも蝕む。天賦の力も、正しく使われなければ毒に変わる。今のままでは……あなたは生まれながらの才を抱えたまま、誰にも必要とされずに朽ちるでしょう」


 ソルが殴られたように目を見開く。


 少年の胸の奥の痛点を、玄斎は迷いなく突いた。


「あなたの父君は優秀な医師のようですね。しかし家庭には不器用すぎた。子の才能を育てる術も時間も持たなかったようだ」


 ソルの肩がわずかに沈む。


 バベル王国貴族の頂点に立つ四貴家ノーマン一族の系類である彼に、今までこのような言葉を投げる大人はいなかった。


 少年は今、正しく叱られていた。


「私は屍人に仲間も家族も奪われ、子を持つ未来も失った老人です。育てることから遠ざけられた一人の大人として……君にだけは言いたい」


 玄斎はぴくりとも動かぬ飛梅兄の腕に触れ、静かに視線を上げた。


「力とは持つためでなく、使うためにある。差し出してこそ初めて、生きている意味になる」


 その言葉は、父が与えなかった教育であり、誰も向けてくれなかった真正面の眼差しだった。


 ソルはしばらく黙り込んだが、やがて小さく呟いた。


「……うるせぇよ……やるよ。やりゃいいんだろ」


 そう言って乱暴に飛梅兄の腕に手を当てたが、初めての誰かのために行う魔力操作は想像以上に難しかった。


 他者に翻訳魔術をかけることは朝飯前だったが、それも結局自分のためでしかなかったのだろう。


 ハンナは主人を手助けしようとする己を必死に諌めながら見守るしかなかった。


「……っ、くそ……流れない……! どうやんだよこれ!」


 漏れた闇魔力が暴走し、辺りの器具が揺れ、飛梅兄の物言わぬ身体が震えた。


「ソル殿、止めなさい!」

「わかってる!」


 ソルの額に汗が滲む。


 天才であるがゆえに、興味のない分野では努力を怠ってきた。だからこそ今、彼は初めて壁にぶつかっていた。


 玄斎はその手を取り、飛梅兄の腕へ導いた。


「いいか。押すのではない。流す。川が石を洗うように――静かに、しかし確かに」


「……っ……」


「そうだ。その調子だ。焦るな、見るんだ。命は、魔力を叩きつけて救うものではない。注ぎ、育て、満たして救うのだ」


 その声は怒りではなく、深い慈しみを含んでいた。


 ソルが再びゆっくりと闇魔力を流し始めたとき、玄斎は静かに言った。


「覚えなさい、ソル。力とは、恐れられるためのものではない。許すために使うのです」


 ソルの指先が震える。


「救いたくない者すら救おうとする。その選択こそが、人を人にする。……君なら、できる」


 その言葉を真正面から聞いたソルの眼差しは揺れ、揺れたあとで――静かに定まる。


 その瞬間、ハンナの胸の内に熱いものが込み上げた。


 顔は平常通りアボット家特有の鉄仮面フェイスであったが、生まれが邪魔しなければその場で泣き崩れていただろう。


(ーー間に合った! 主人は、まだ大人になる前にこの人に出会えた)


 ミカド皇国に来てよかった。

 東雲玄斎と出会えてよかった。

 その事実が、ソル自身の未来を静かに書き換えていく。


 長い年月、ソルが誰も教わらなかったことを、今この老人が初めて教えていた。


 闇の流れが落ち着くと、飛梅兄の身体に純粋な闇魔力がほのかに満ち始めるのがわかった。


 ーーーそう、()()()に。


 ソルは努力の割に効果が薄いと感じたようで、顔をしかめた。


「え、なんか効果うっっすいんですけど……これ……めっちゃ疲れるくね……??」


「慣れれば上達する。君にはその素質がある。誇りなさい」


 玄斎が穏やかに笑うと、ソルは照れくさそうに顔をそむけた。


「……別に、誇らねぇし」


 それでも、その横顔は初めて褒められた子どものように柔らかかった。


 ハンナは確信した。


 この二人は、今日から師と弟子になるということを。


 父に向き合われなかった少年と、子を持つ未来を奪われた医師。


 この夜、二人の人生が静かに交差した。


 そしてソルは初めて、自分の力を生きる意味として握りしめたのだ。


 後世の研究者たちは口をそろえてこう述べる。


「大魔法医ソル・ドゥフトほど劇的な成長曲線を描いた医師は、歴史上存在しない」と。


 ミカド皇国への留学こそ、後にソルを大魔法医へと導く分岐点であったのは疑うべくもない、と。


 そこには運命的な出会いが待っていたからである。


 ーーー東雲玄斎。


 ミカド皇国が誇る名医にして、屍病研究の第一人者であった老人。彼こそが、ソルの空白を初めて見抜き、それを育てる覚悟を持った唯一の大人であった。


 後年ソル自身が終生の座右の銘として語った言葉は、東雲玄斎が繰り返し諭したものだったのだという。


『力とは恐れられるためではない。許すために使うものだ』


 また別の記録にはこうもある。


『救いたくない者をも救おうとする。その選択が、人を“人”足らしめる』


 これらは生涯にわたりソルを支えた指針であり、彼が、大陸医療の根幹を変える“闇魔素ワクチン”の共同開発に成功した動機にも繋がるとされている。



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