42. 孝悌苑防衛戦
特別消禍隊第七局はおよそ200名の隊員で組織されている。
しかし孝悌苑への異国からの急襲に対し、組成されたチームはわずか10名。
敵勢力が“虎”と判断されたこと、そして何より中心に隊長である蓼丸麟五が出陣したことがその理由だった。
彼が戦場に立つだけで、戦局が変わる。それが蓼丸麟五という男だった。
軍上層部は言う――「蓼丸がいれば、百人の兵も不要だ」と。彼1人で敵陣を突破し、戦況を易々と覆す姿はまさに軍神。全てを見通すような鋭い眼光、戦場に鳴り響く凛然たる号令、その存在感だけで彼は一つの軍勢に等しかった。
そんな特別消禍隊の誇りである人類最強の男は、目の前の上空に突然現れた黒髪黒衣の少年を金色の眼でただ見つめた。
もう1人の留学生ーーソル・ドゥフトだ。
まだ15歳で幼さの残る少年は、地に降りることはせず、2メートルほど上空に浮かんでいた。浮遊はしているが風は感じない。闇属性による常時転移であった。
癖のある長めの髪が凛々しい美貌にかかり、両目にはタイヨウと同じ紫色の宝石が輝く。
発する魔圧から何某かの特級であるということはわかるが、ミカド人には特性が掴めない。爆発的な成長期に差し掛かろうとしている、闇属性の可能性の塊。そんな印象を受けるソルは、平坦な眼でぐるりと集団を見回した後、蓼丸の横に立つハンナを見た。
彼らは言葉を交わすわけでもなく、ただ目を合わせているだけだった。それなのに周囲はその瞬間、空気が変わった気がした。
誰もがなんとなく察したのだ。この2人の間には新たに特別な何かが芽生えたのだと。
彼らの視線の交差には確信と戸惑いがあった。そこには言葉を超えた運命のようなものが感じられ、見ている者達の心をざわつかせた。
――といっても、わかりやすい感情の矢印が見えなかった一部を除き、であったが。
その一部であり、安定の鈍感力を煌めかせ、またしても何も知らない飛梅が無邪気にハンナの袖を引く。
「ハンナさん、あの方がソルさんじゃないですか?」
『左様でございます。……お待ちしておりました、ソル様』
ハンナの前に音もなく降り立ったソルは彼女の額を軽くデコピンした。
「カグヤ様が、お前がミカド語話せてないだろうから一瞬行ってこいって。自分でやれよ、こんくらい」
そうは言うが、翻訳術は術師本人にかけることは基本的に不可能だと言われている。
それができるのは、ソルくらいのものだ。
ハンナは軽く目を伏せて礼を言った。
「御配慮、ありがとう存じます」
「毛唐がミカド語を……!?」
南海が顎をあんぐりと落として呟くと、何が起きたか理解した飛梅が小さく拍手をしてからハンナの腕をとった。
「わ、すごい。ミカド語への翻訳術をそんなに簡単に!? ハンナさん、すごい方が主人なんですね!」
ムッとした表情を過らせたソルだったが、不自然な闇魔力が滲み出る飛梅の胸元を怪訝な目で見て首を傾げる。
「なんだ、それ? お前、女……」
雑なモザイクがかけられたように見える、闇魔力で不自然に歪められた胸部の空間に向かって延ばされたソルの右手を指一本で麟五が払った。
「用が済んだなら戻れ。今日からウチに来るんだな? 話がある。終わり次第、真っ直ぐ俺のところに来るように」
名乗りもせずに要件を伝えてくる、彫刻のように整った顔立ちの男をまじまじとソルは見返した。
一瞥に触れた者を怯ませるような威厳に満ちた彼の佇まいを直視できる人間は多くない。だが、ソルは白い歯を見せて、思いのほか人好きのする顔で笑った。
「もしかして“リンゴ君”? タイヨウがよろしくって言ってたよ」
ミステリアスな空気からは想像もできない破壊力のあるソルの笑顔に思わず頬を染める女性隊員がちらほらいるのを見て、南海がイキリたった。
「貴様! なんだその口の聞き方は! このお方を誰だと心得る! 隊長の後には、第七百目に顔を出すように! 我らは索敵だけでなく隊の立案を指揮する要……」
ソルが左手を鬱陶しそうに払うと、唾を飛ばして叫ぶ男の声だけが消え、麟五以外の者達が息を呑んだ。
南海は叫ぶ真似をしているパントマイムのようにしか見えない。声だけが器用にどこかに転移させられていた。
ソルが南海を指差し、ハンナに尋ねた。
「誰?」
「さあ。まだ私も何も聞かされておりません。察するにヒャクメとはアボットのような役目のものかと思いますが……」
主人の問いに肩をすくめたハンナに、相手の会話だけは聞こえている南海が声を戻せとジェスチャーで大騒ぎしていた。そのたわわな白い頬が揺れるのを見て、小さく吹き出したソルが口元を押さえながら声を戻してやる。
「おのれ、面妖な技を! 名乗ってやろう、海と共に生き、海と共に死す。南国の灼熱の陽を背に受け、青き波を我が血とする! 南海一族、第七百目の南海ノックだ! 覚えておけ! トビも毛唐から離れろ、お前も男なら毅然とした態度で女性と接するように!」
南海と飛梅を見比べていたソルが鼻で笑う。
「は? こいつが男? 女だろ、どう見ても」
はわわ、と目を白黒させる飛梅の横で南海が胸をそらせた。はち切れんばかりの小さな体躯で目を細める様は太った猫のようでなかなか愛嬌がある。
「は! そんなこともわからぬとは、闇属性の見聞力も全く疑わしいものだな。飛梅はナリは小さくとも、隊長の部屋子なのだぞ。女であるわけがあるまい!」
飛梅の性別に関しては薄々思うところがあったらしい他の隊員達は、もはや『穴があったら入りたい』という顔であらぬ方向に視線を散らしていた。
戸惑い顔のソルとハンナは顔を見合わせた。
「ヘヤコって?」
「特別消禍隊の皆様は原則全寮制らしく。部屋子、というのは同室で上役の身の回りの世話をする役割のようですよ。その内容から、制度としては同性が配されるのものなのではないでしょうか?」
「ああ〜……っていうことは、男子寮に……?」
2人は頷き合おうと、互いの顔に指をさしながら声を揃えた。
「「“花ざかりの君たちへ”!」」
二人が日本で読んだ名作漫画の名だ。
闇属性の天才能力者であるソルは幼少の頃から転移を自在に繰り返し、“異世界”である日本に辿り着いていた。
その地からバベル王国へ、新宿の片隅で天涯孤独となっていたタイヨウを連れて行ったのもソルだった。
未だミカド皇国の人々の知らぬ、二人だけの符牒に笑い声を上げるソルに、ハンナがかすかに微笑む。
腹心のメイドとの息のあった会話に、すっかり気をよくしたソルは、にこにこと笑いながら南海ノックの前に浮遊していった。
「オッケーオッケー、ノック君。君が南の海の方の出身だということだけはわかった。ハンナ、なんだっけ? ニホンの南の海の……オキナワの人のこと……海と生きるみたいなニュアンスの」
「たしか、漢字で“海の人”と書いて、“ウミンチュ”ではありませんでしたか?」
ハンナの回答に、ソルがパチン!と指を鳴らした。
「それだ! あと君が察しの悪い残念なひと、罪人であることもわかった」
「だれがすまんちゅだッッッ!!」
激昂したと同時に再び声を奪われるノックに、たまらず複数の消禍隊員が吹き出した。
用を終えたソルは重さを感じさせない動きで宙に浮かび上がると、麟五の眼を見ながら微笑んだ。
「じゃ、俺は戻るよ。後でね、リンゴ君。ハンナを傷つけたら殺すよ」
そう告げると、まるで幻だったかのようにソルは消えた。
ーー鮮烈な印象を、いつまでもミカド人の心に残して。
自分には一瞥もくれず、そしてノックの声を戻すのを忘れている主人にため息をつくと、ハンナは喉元を押さえてもがくノックの手に触れて魔術を解除してやった。
「トビウメ一士程ではございませんが、あなたも闇属性なんですから。仲間同士、仲良くいたしましょう?」
本性を出さなければ、品のいい金髪美人でしかないハンナに穏やかに言われて、ノックは困惑してたちまち顔を赤らめた。
「お、おう……?」
次の瞬間、まるで何かに呼ばれるように、平原の奥に眼をやったハンナのピアスがりん、と揺れた。
「さあ、敵がこのポイントに参りますよ。索敵を開始しなさい、トビウメ一士、すまんちゅ」
怒鳴ろうと息を吸ったノックだったが、危機を察した深緑の目が一瞬で冷え、感覚共有を隊員に行い始める。
森から1人、全身が白い覆面姿の人物が抜身の細い刀を携えて向かってくるのがわかる。細身の高身長で、重心の定まらない動き。それはまるで、幽鬼のように見えた。
「奥にあと3名。森から毒がきます。到達まで30秒」
カウントダウンを始めるノックではなく、視線は麟五に集まる。
司令官の判断は早かった。
「奥と毒は俺がやる。テッサ、出ろ」
命じられたテッサは、ひとひらの花びらを窓辺に置くような優雅さでハンナに微笑んだ後、面布をマスクのように引き上げながら隊の前に出た。
テッサの凛とした佇まいは、対峙した白装束の男の癇に触れたようで、男はざらりとした声で言った。
真っ直ぐ自分を見上げてくる茶色い肌の小柄な女性への怒りを露わに、男は白い覆面を地にかなぐり捨てた。
『――失礼ではないかね? 君は今、バベル王の父の前にいるのだぞ』
言葉はわからないが、晒された男の顔立ちは、テッサを苛立たせた。
そこに浮かぶのは侮蔑、嫌悪、怒り。
典型的な女性蔑視男の顔だ。
バベル語が理解できる蓼丸は月のように冴えきった眼で、飛梅は伺うような眼でハンナの横顔を見た。
ハンナは眼を伏せ、ただ首を横に振って否定する。
それを見た蓼丸が右手を挙げると、テッサがさらに前に出た。
秋の夜、森の奥地の草原は黄金色の月明かりに照らされ、冷えた風が草をざわめかせていた。
名もなき剣士とテッサが対峙する。
剣士の鋭い眼光がテッサを射抜くが、彼女の冷静さに揺らぎはなかった。
剣士は一瞬の間をおいて地を蹴り、長剣を振り抜く。鋭く風を裂くその一撃は、まさに致命的な斬撃だが、テッサはわずかな体の傾きで回避する。
月光が剣先を反射し、光の弧を描いた。
「遅い」とテッサは低く呟きながら、剣士の腕を捉えようとする。剣士は即座に身を引いて間合いを取るが、その間も鋭い連続の斬撃が繰り出されていた。
剣の舞はまるで疾風だった。美しい風となって草を押し倒していく。
しかし、そのすべてをテッサは躱した。
「まあまあ、そんなに必死に剣を振り回して……見ているこちらが目を回しそうですわ」
流れるような動きで、剣士の攻撃の力を逸らし、まるで一瞬先を読んでいるかのようだった。
「くるくると……こんな所で舞踏会かしら? バベルの殿方は変わっているわね」
武芸は最低限しか身につけていないハンナであっても、両者の技量の差ははっきりとわかった。魔力だけでいえば、剣士が凌ぐ瞬間もある。だが動きは剣士が優勢のように見えるものの、あしらうテッサはまるで稽古をつけてやっているかのようだった。
剣士が最後の突きを放った瞬間、テッサは剣の軌道を見極め、手首を取る。剣士の腕を軸に大きく回転し、力を利用して地面に叩きつけた。衝撃が土を舞わせ、剣が草むらの中に滑り落ちる。
剣士は即座に体勢を立て直そうとするが、その瞬間、テッサの足が彼の胸元を押さえつけた。冷静な表情のまま、テッサが短く言葉を漏らす。
「剣に頼りすぎよ。力だけでは勝てない」
ミカド語を解さぬはずの剣士は悔しそうに顔を歪めるが、抵抗を諦め、草の上で息を整えていた。月明かりの下、静寂が戻り、風だけが二人の間をすり抜けていく。
『コーネリア様、万歳……!』
剣士の男は主人の名を叫ぶと奥歯に仕込んだ毒薬を噛み、口から血痰を吐いて瞬く間に事切れた。
呆気ない幕切れを、事情のわからぬまま見守っていた特別消禍隊の顔も晴れてはいない。寂寥感が風となってその場に残された者たちの胸を撫でていくようだった。
「奥は片付けた。殺してはいない。あの剣士と共に連れ帰るように伝えろ」
蓼丸の静かな指示にハンナは頭を下げた。
「テッサ、ご苦労」
隊に合流したテッサが温かな歓迎で迎え入れられているのを横目で見ながら、ハンナは呆気ない幕切れを迎えた敵に想いを馳せそうになる自分を必死で諫めていた。
そんな彼女を、飛梅はじっと見つめていた。
戦況の流れを読む鋭さとは別の、もっと静かで深い眼差しだった。
言葉は話せるようになったとはいえ、ここはミカド皇国。
闇魔素の濃いバベル王国を離れれば、ハンナの力は確実に落ちる。守る者が少ない土地で、彼女は主であるソルのために立ち続けている。
ーーその背を、今度は自分が守らなければならない。
そう思うのに、理由は要らなかった。
未だ昏睡したままの兄を救う手立ては、闇魔力にあるという。ならば、闇魔力の屈指の使い手であるハンナは、自分にとって師であり、恩人であり……なにより、兄へと続く唯一の導きそのものだ。
飛梅は胸の奥に静かに宿った熱を押し隠すように息を整えると、そっと歩み寄ってハンナの傍へ立った。
ーー必ず守る。どんな脅威が来ても。
その決意は、誰にも気付かれぬほど静かで、しかし確かに、闇の底で火を灯していた。
眼差しに気づいたハンナが目を細める。
そのまっすぐさが心に染みて、ハンナはわずかに肩の力を抜いた。
ほんのひと息、安堵が胸に落ちる。
その時、ふと疑問が浮かんだ。
「……そういえば、先日から気になっていたのですが」
「はい、なんでしょう?」
「どうして白濁⭐︎駅先生、もとい玄蕃様に、あのように普通に接していらっしゃるのですか?」
ハンナの声色には、非難でも驚愕でもなく、純粋な興味だけがあった。
ミカド皇国において玄蕃白は“ほとんど神”のようだった。
BL作家としては間違いなく神であったが、それとも違う。
初めて遭遇した際ーー飛梅が誤って転移を発動してしまったハロウィンパーティの夜も、盛り上がった群集から護るために蓼丸麟五が出動していた。
護衛を引き連れるのはDJの邪魔と本人が強硬に言い張ったため、だそうだが、人類最強の男を稼働される人物は中々いないだろう。
諜報役として何度も観察したが、誰も彼をあのような距離感で扱ったことはない。
飛梅は少し考えてから、照れくさそうに答えた。
「……えっと。初めて玄蕃様の武威Tubeに出演したとき、“普通に接してほしい”って言われたんです。だから、そうしています」
「……それだけの理由で?」
「はい。玄蕃様が望んだことなので」
嘘偽りのない響きにハンナは言葉を失い、わずかに瞬きをした。
重要人物だから、護衛対象だから、神格化された存在だから。
そういう“常識”を、飛梅はまるで最初から持っていないように、ただ素直に受け止めている。
――飛梅という娘は、純真であること自体が、これほどまで力になるのだ。
蓼丸麟五が病的に執着する理由も、そこなのだろう。
ハンナの胸に、静かに温かいものが落ちた。
異国に投げ込まれた諜報一族として張り詰めていた糸を、飛梅の何気ない一言がやわらかく解いていく。
危険も策も裏切りもない、まっすぐな光。
それが、こんなにも安心をくれるとは。
ハンナはそっと微笑んだ。
「……トビウメ一士。あなたはそのままでいてくださいね」
「えっ、そのまま!?」
「はい、そのままで」
「ええ〜……伸び代だらけなんですけど」
不服そうに唇を尖らせる飛梅に微かに笑ったハンナの声は、風のように穏やかだった。
それからしばらく、ハンナは背筋を伸ばして秋の空に浮かぶ月を見上げていた。




