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大江戸オブ・ザ・デッド〜魔法全盛の江戸で、弓しか取り柄がない私ですが兄を探してます〜  作者: 森戸ハッカ
第三章:風の段『風は動なり。鎖を持たぬ』

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39. シン・飛梅音

 迎えに来た特別消禍隊の百目部隊と共にハンナをヨシワラの高級ホテルに送り届け、同じフロアのスウィートに陣取る玄蕃白と吉原出版の常軌を逸した熱烈な歓迎をやっと振り切ると、建物の前に麟五が立っていた。


 「帰るぞ」

 

 麟五が転移陣符を翻すと、全ての音と気配を置き去りにして、飛梅は特別消禍隊寮サンクタムの前に立っていた。


 中に入ると、待っていてくれたらしいテッサが弓と矢を差し出した。


「手入れは渡辺君がしてくれたそうよ。今度顔を見たら御礼を言いなさい」


 後輩の帰還に柔らかく微笑んだテッサは「もっとも、弓は素人だから、まともに手入れされている保証はないけれど」と、いつものように毒を吐いた。


 先輩の通常運転に安堵した飛梅は笑って頷いた。


「ありがとうございます! ご心配をおかけしました。その、南海先輩と神保先輩たちは……?」


 遠い昔のことのように思えるが、海鎮ノ儀で負傷してから約1週間だ。


 急に顔を見せなくなった新人のことがどう伝わっているのか、やはり不安になる。


 帰国時、「君の出処進退は万事私が整える。そのような些事を損なう蓼丸と侮られては困るからな」と備悟が帰り際に背中越しに吐き捨てていたが、彼を信用できるようになるほどの時間も経っていない。


 顔を不安で曇らせた飛梅の肩に、テッサは優しく触れた。


「一班の男子チームは渡辺君の同室になった留学生ルイさんのお世話よ。まずはミカド語を教えているの。かなり優秀みたいね。明日から稽古にも問題なく参加できるそうよ」

「えっ! そうなんですか?」


 飛梅は目を丸くした。


 ハンナから聞いていたルイ・ヴォルフガングのプロフィールとは異なるようだが、一体どんな魔法を使ったのだろうか?


(ウチの先輩達は、やっぱりすごい!!)


 テッサはわかりやすく表情を変えた同性の後輩に目を細めた。


「だから、あなたもいつも通り訓練場に来なさい。未知なる闇属性だとわかったのだから、それに見合う訓練法を見出してみせるとノック君が張り切っていたわよ」


 それでは失礼します、と麟五に頭を下げると、颯爽とテッサは自室に戻っていった。


「私のこと闇属性だって……テッサ先輩、すごいことをさらりと言ってましたね」


 呆然とその姿を見送っていた飛梅は、隣の麟五を見上げた。


「言ってたな」

 

 麟五は飛梅が実家から抱えてきた登山用リュックを受け取ると「そのような些事を損なう蓼丸ではないからな」と笑って歩き出した。


 慌てて追いかけたが、足が戸惑う。

 

 行き先を聞いて、飛梅は驚いた。


 いつもの場所。部屋子として詰めていた、蓼丸麟五の隊長私室だという。



◆◆◆


 夜の隊長室。


 灯ひとつの淡い明かりが、静謐な闇を支えていた。


 荷物を置いた蓼丸は深い息をつき、振り返った。その眼差しが飛梅を捕らえた瞬間、空気が震えるように変わる。


「座れ」


 椅子を顎で示すと、向き合う形で自分も腰掛け、両手を差し出した。


「えっ、何ですか。お水ですか?」


 困惑してキッチンに向かおうとした飛梅は、器用に丸められた魔力弾で額を弾かれた。


「違う! 鑑定だ。これから毎夜、お前の水系魔力を補填しながら流れを鑑定するーー」


 麟五は説明した。


 この鑑定は、小石川療養所の東雲玄斎が考案したものだという。


 本来、闇魔素のほとんど存在しないミカド皇国で、飛梅のような闇属性が特級まで成長することはありえない。


 その理由はひとつ――幼い頃から屍人討伐に付き添い、近年は自ら屠ってきたこと。


 屍人が放つ闇魔素を長年取り込み続けた結果、本来なら底尽きで成長を止めたはずの身体をミカド皇国の水系魔素で無理やり代替し、ぎりぎり生きてきたのだ。


 だがバベル王国に行った今、飛梅のタンクは純粋な闇魔力で一気に満たされた。この先どう変化するかは誰にも分からない。異なる魔力で補填してきた例がバベル王国にもないのだという。


 そこで国内最強の水系能力者である蓼丸麟五が直接水系魔力を流し込み、それが引かれる感触があるかを確かめることになった。


 飛梅の水系の上限は5000。

 値100万の麟五には微々たる量だが、もし強く引かれれば、体が闇魔力に飢えはじめている証拠だ。


 飛梅の闇魔力上限値は15万。仮にそれを全て水魔力で代替しようと身体が転じても、麟五であらば対応できる。


 ハンナともう1人の留学生はその代替手段も整わぬため、吉原逗留で済ませる他ない。


 魔力暴走を避けるための、必要な儀式――それがこの名もなき鑑定だった。


「来い。……始めるぞ」


 飛梅は近づく。


 ただそれだけなのに、胸の奥が節を打つように高まり続ける。


 恐る恐る重ねた手は、蓼丸の大きな掌に呑まれた。


 ーー熱い。

 そして、どうしようもなく安心する。


 蓼丸もわずかに息を飲んだ。

 だが次の瞬間、指を絡めて逃げ道を塞ぐ。


「離すな。魔力が乱れる」


 静かに魔力が循環し始める。

 二人の間にだけ通じる細い光の糸のように。


「……あったかいです」

「こちらも抵抗は感じない。水魔力を受け入れられるようだな」


 蓼丸は低く言いながら、飛梅の手の甲をゆっくりと親指でなぞる。たちまち飛梅の胸は高く跳ねた。


 ――これ、測定に必要あるんですか!?


 言えない。

 言えるはずがない。

 言ってしまったら、何かが壊れてしまいそうで。


 飛梅はうつむくが、蓼丸は顔を上げさせるように指を絡め直し、距離を詰めた。


「目を逸らすな。魔力の流れが分からなくなる」


 飛梅の呼吸が揺れる。


「……蓼丸教官。その、そんなに近いと、胸が……」


「苦しいのか?」


「いえ……なんだか、よく分かりません……」


 麟五の喉がわずかに動いた。

 それは、彼の中にある“理性”が一瞬だけ軋んだ音のようだった。


「……もうすぐ終わる」


 ぽつりと落ちた言葉に、飛梅は顔を上げる。


 その瞬間、麟五はもう目を逸らさなかった。


 飛梅は胸がぎゅっと締めつけられ、息を飲む。


 そっと、けれど逃がさない力で絡め直された指。魔力の流れが一気に強まり、魔力も、呼吸も、鼓動すらも、ゆっくりと重なっていく。


 しばらく経って、蓼丸は一度、ゆっくり息を整えた。魔力の流れは止まったが、口を開かぬ相手に飛梅は首を傾げた。


「……教官?」


 指先は離さないまま、麟五は低く落ちついた声をひらく。


「……おまえに伝えることがある」


 飛梅ははっと顔を上げる。


 蓼丸の声音には軍務の冷静さがあったが、それは表面に過ぎなかった。その奥に、深い安堵と情が滲んでいる。


「まず――お前の兄だ。小石川療養所で極秘裏に“試験体”として扱われていたが、状況は変わった」


 飛梅の指がかすかに震える。

 蓼丸はその震えを包むように、手をさらに深く絡めた。


「幕府は兄を“治療対象である”と正式に公表する。闇属性である可能性を確認したため、保護する必要があると判断したと。……つまり、彼の身柄はもう安全だ」


 その言葉が落ちた瞬間、飛梅の肩から力が抜けた。


 張りつめていた呼吸が、ようやく胸の奥に落ちていく。


 眼が潤み、指先がかすかに震え、繋いだ蓼丸の手にしがみつくように力が入る。


「……ほんとうに……?」


 声は震えている。


 けれどその震えは、恐怖ではなく、必死にこらえていたものがこぼれる音だった。


「ああ。おまえが命がけで動いたことが、すべてを変えた」


 蓼丸の声がわずかに低くなり、身体の奥へしみ込んでくる。


「よく、がんばったな。ひとりで。誰にも頼れず……それでも、兄を取り戻した」


 その言葉だけで、飛梅の胸がきゅっと締めつけられる。溢れる涙は止まる気配がなかった。


「ひとりじゃなかったです」


 鼻を啜った飛梅は、繋がれた手に視線を落とした。


「いつも……蓼丸教官がいてくれました。ずっと……ありがとうございました」


 蓼丸の指がびくりと震える。抑えても抑えても溢れ出してしまうほどの喜びが、瞳の奥で静かに灯った。


「次に、お前の処遇だ。国内初の闇属性能力者として、お前には常に危険がつきまとう。だから――」


 そこで一拍置き、指を絡め直す。


「これまで通り、俺と同室だ。俺のそばにいるのが、一番安全だからな」


 飛梅はぱあっと表情を明るくさせた。


「よかったぁ。そういうことだったんですね! 教官が人類最強で、ほんとうに良かったです!」


 その純粋な信頼に、蓼丸の心が一瞬で満たされる。


 ――許された。そばにいることを。


 表情は崩さない。

 だが指先は、感情を隠し切れずさらに強く飛梅の手を包む。


「……もう一つ、伝えねばならないことがある」


 蓼丸は深く息をつき、ほんの少しだけ苦い声音になる。


「おまえが電票を偽り、兄の戸籍を使って入隊した件だが、その罪が消えるわけではない」


 飛梅は静かにうなずいた。

 逃げない横顔を見て、蓼丸はどこか誇らしげに目を細める。


「しかし、現段階で闇属性能力者が電票を操作できると公表すれば国は荒れる。それ故、罰は決まった。――今後も、“飛梅音”として生きること、だ」


 罪自体を無かったことにするということだ。


 入隊時の性別は「記載ミス」扱いで押し通すが、名前は変えられない。年齢も。


 兄が色々策を講じたようだが、それが最も傷が少ない案だった。


「音として生きていく。それが、おまえの罰だ」


 蓼丸は、彼女が傷つかないか、息を呑んで待つ。


 だが――


「全然いいです!」


 即答だった。澄んだ声で、迷いもなかった。


「ここからわたしの新しい人生が始まると思っています。だったら、名前が変わるのも、当然です」


 蓼丸の胸の奥が、どくんと跳ねた。


 彼は静かに、ほんのわずか震える声でその名を呼ぶ。


「……音」


 呼んだだけで、空気が甘く沈む。


 飛梅――いや、音はゆっくりと顔を上げた。


 魔力は繋がれたまま、呼吸が触れ合う距離で見つめ合う。


「はい、蓼丸教官」


「音」


「はい」


 くすくすと飛梅が笑う。


 ――音。


 その名前を口にした瞬間、胸の奥が、思い描いていた以上に熱を帯びた。


 名を呼ぶだけで、こんなにも呼吸が乱れるとは思っていなかった。


 繋いだままの小さな手が、小さく返事をするように温もりを返してくる。


 そのたび、指先から肩、喉、胸へと熱が広がり、これまで何度戦場に立とうとも揺るがなかった理性が静かに軋んだ。


 もう、呼ばなかった日には戻れそうになかった。


 繰り返し呼びたくなる。

 呼べば呼ぶほど、胸が痛むほど満たされる。


 麟五は気づいていた。


 “同室を続ける”という決定が、どれほど危険か。どれほど自分を試すことになるか。


 しかし、何も知らない音は目の前でおどけてクルリと目を回した。


「お兄ちゃんの電票を使い続けるってことは、歳は2歳上がるのかー! 私本当は教官と同い年なんですよ〜! 17歳〜!」


 半年の教育期間が終わったら、年下の上官になるということだ。


 年下の上官は君付けが特別消禍隊の慣わしだった。


 そんなどうでもいいことを思案し始めた飛梅の手を引く。


「落ち着け、音」


 飛梅はにへらと応えた。

 完璧な角度に、甘やかに首を傾けて。


「はい、リンゴ君?」


 麟五は驚愕した。


(何を考えているんだ、このアホは。そうか、何も考えていないんだな……!?)

 

 その返事が、どれほど危ういものか本人は分かっていない。


 呼ばれただけなのに。

 たったそれだけで、全身の魔力が脈を打つ。

 

 音は、まっすぐこちらを見つめている。


 その無邪気さが、自分の中の何かをやわらかく、確実に壊してくる。


 動揺する麟五から手を離し、飛梅は何故か真っ赤に染まった頬を両手で押さえた。


「あの、教官だけに聞いてほしいことがあるんです。い、いきなりでごめんなさい。ちょっと恥ずかしいんですけど……」


 ゴトリ、と命の危険を感じるほど、人類最強の男の心臓が鳴った。


 手を離されてよかった。震えが止まらない。


 期待に震える心臓の脈動は、もはや耳の横で爆音で鳴っているようだった。


 しかし、またしても何も知らない音は、誘っているとしか思えない上目遣いで、ためらうように下唇を噛んだ。


「わぁ、恥ずかしい……。見ないでください。一回しか言えないんで……耳、貸してもらえますか」


 眼をキツく閉じた麟五は、頷くしかなかった。


 しかし、耳に吐息と共に囁かれたのは、期待した言葉とは全く異なるものだった。


「実は私の“楽”って名前、“らら”って読むキラキラネームなんです……っ」


 怒髪天をつく猫のようか瞳孔で、麟五が眼を見開いた。


「……は?」


「ふぇぇ! ですよねぇ。は?ってなりますよね! “らく”じゃないんですよ、“らら”なんです。お兄ちゃんなんて“音”で“オットー”で。センスどうなってんのって、私達、ずぅっと昔から本当嫌で! だから、“音”は、うれしいです!」


 音は、恥ずかしい〜!と頬をパタパタ仰ぐ。


 さすがに一発叩こうかと拳を丸めた麟五に、音はトドメを刺した。


「だから、いーっぱい、“音”って呼んでくださいね。麟五君!」


 飛梅音という名は、国が下した罰などではない。


 彼にとっては――


(……これは、俺がもらった“特別”だ)


 そう思わずにいられなかった。


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