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大江戸オブ・ザ・デッド〜魔法全盛の江戸で、弓しか取り柄がない私ですが兄を探してます〜  作者: 森戸ハッカ
第三章:風の段『風は動なり。鎖を持たぬ』

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38. パとピ

38. パとピ


 ミカド皇国首都の郊外、緑豊かな山裾にその弓道場はあった。


 春は桜が艶麗に吹雪き、夏は空より蒼い桔梗や竜胆が輝き、秋は紅葉や栗が実りを告げ、冬は紅の椿に純白の雪が積もる。


 人知れぬ山里にある飛梅流の弓道場は、静寂と美しさの宝庫だった。


 訪れる人は街の喧騒を忘れ、心を鎮めるに違いない。もっとも近年は近親者以外の出入りはめっきりないようであったが、この空間が人いきれで埋まるよりはいいと思う。


 季節は秋、赤みの強くなった杜は柔らかな空気を吹き下ろしていた。


 広くを的とし、強くあれ。


 そんな意味が込められているという“広彊館”という文字からハンナは視線を戻す。


 そして壁際に立ったまま、紺袴姿の飛梅音の背中を見た。


 背後から見たその姿は、風景の中に佇む一点の静けさだ。深い紺色の袴が風に揺れ、和弓を構える姿は、まるで自然と一体化しているかのようだった。


 構える。

 呼吸をする。

 放つ。


 その一連の仕草はどこまでも美しく、静寂が作る芸術だ。背中から伸びる弓矢の曲線が空気中に静かな調べを奏で、その一瞬を永遠に刻みつける。


 続けて3射、5本の矢が的に刺さったところで、異変は起きた。


 ハンナを振り返った飛梅の手には5本の矢が握られている。


「どうですか……?」


 淡い紫色の髪。サファイア色の瞳。ぽってりとした唇が印象的な清楚で可憐な顔立ち。


 その透明感あふれる瞳や柔らかな笑顔は、まるで山奥で楚々と咲く朝露をまとったスミレのような美しさだ。


 バベル王国で“黒天使”と呼ばれるタイヨウの人外めいた美貌とは違い、油断すれば魂を引き抜かれるような緊張感はそこにない。


 飛梅がまとうふんわりとした雰囲気には清らかさと純真さが溢れていて、見る者の心に温かな印象を残した。


 この花に執着している、ヤンデレの狂気を漏らしていた蓼丸麟五の横顔を思い出しながらハンナは頷いた。


「ーーはい。ノンケ流され受け #無自覚 #愛され でございますね」


 秋の清涼な風が2人の間を明確に隔てた。


「……え、今時空飛んでました?」

「ご安心なさいませ、トビウメ一士。執着溺愛攻めとの組み合わせは流行りでございますよ」


 その返事にはぐらかされたと思った飛梅は頬を膨らませた。


「も〜! “もう1人の留学生”が来るまでは色々話せないってわかりますけど、私の教育ならいいって教官も言ってたじゃないですか〜! 闇属性の色々、教えてくださいよ〜!」


『あまり無理を言うものではありませんよ、音さん。武士の娘らしく聞き分けなさい』


 盆を持って入ってきた着物姿の人物が娘を嗜める。


 飛梅と母娘だと一眼でわかる顔立ちをした、飛梅カフネという女だ。


 蝿も殺せぬような嫋やかな佇まいだが、子供達に弓を仕込んだ師範だと言うから驚く。

 

 ちなみにバベル王国で備悟が彼女を捉えたと言っていたのはブラフだったらしい。実行していたら弟に血祭りにあげられていたと思うと、運のいい男だとしか言いようがない。


 飛梅はそんな母が持つ盆の上のものを見て飛び上がった。


 ハンバーガーの包み紙が4つ、フライドポテト、チキンナゲット、紙製のドリンクボトルが4本。てんこ盛りのファーストフードであった。ミカド皇国が誇る人気ハンバーガーショップ“幕内”、通称“マック”の赤いロゴが目に眩しい。


「ママ!? マック!?」

『ママも迷ったのよぉ〜!! おにぎりの方が良かったかしら? 寿司? 蕎麦? ハンナ様、金髪じゃない……? ほら、和食は口に合わないんじゃないかと思って。病み上がりだからお粥かおうどんにしたかったのだけど……』

「だからって多すぎない? 飲み物4本もあるよ。金髪関係ないよ」

『でも炭酸ダメかもしれないから、オレンジジュースとシェイクとお茶も……』

「確かに〜! 必要かも〜!」


 会話の流れから、自分に供される料理のことだと理解したらしいハンナが外向きの笑顔で飛梅母娘に微笑んだ。


「お気遣いなく。アボットは何でも食べますので」


 隠密一家に生まれるということは、幼少から毒に慣れることを強いられるということだ。下位能力者であれば毒見役として雇われることもある。好き嫌いなど言える育ちはしていない。


 少し気遣うような眼をした飛梅を受け流すようにハンナは小首を傾げた。


「それよりも、トビウメ一士。金髪、というのは……?」

「ハンナさん、金髪じゃないですか。ミカド皇国にはいろんな髪色がいますけど、金髪ってほとんどいなくて。染めてる人はいるんですけど……本物は本や漫画でしか見たことないから、“海外の人だ!”って、母も舞い上がっちゃったみたいで」

『明日まで逗留されるのでしょう? 失礼のないようにしますからってお伝えしてね、音さん。こんな辺鄙な家にお越しいただいて恥ずかしいけれど……』


 母の言葉に頷いた飛梅はハンナに微笑みかける。


「古い家ですけど、明日まで、友達の家に来たと思って遠慮なく何でも言ってくださいね!」


 ハンナの髪色はバベル王国の平民にも多い亜麻色だ。金といえば金だが、とうもろこしの毛のようにくすみが強く、ルイのような本物の金髪と並べば違いがわかる。


 母国では薔薇に添えられた霞草の葉より注目されなかった自身が目立つ風体をしていると言われるのは初めてだった。不思議な心持ちでハンナも笑った。


「あと1週間もすれば、“もう1人”が来るはずなので……稽古をいたしましょう。ああ、一つだけ。やはり“戻し矢”は風系ではないですよ。闇系の転移です」

「そう、ですよねぇ」


 自身が闇系だと知ったばかりの飛梅は右手の矢を見た。


 動揺はもはやない。


 何度鑑定を受けても風系能力は低く、高めるように強いられてもうまくいかなかった過去から、その内容は納得のいくものだった。


「しかし“風”って……。刺さった矢が、風で猛スピードで戻ってくると思われてたんですか? 本気で? 鑑定機関が機能していないのでは?」


 片眉を上げたハンナに、飛梅は弾けるように笑った。


「あはは! 説明がつかないって、鑑定士の方にも言われてました。私、水も風も魔力が足りなくて、この一芸だけで特別消防隊入ったんで」


 あ、まだ言っちゃいけなかったかな?と眼を白黒させる飛梅に「戻し矢を風というのは流石に無理があると思っていた方も多いでしょうから、大丈夫だと思いますよ」とハンナは微笑んだ。


「……それにしても、ここは一際闇の魔力が薄いですね」


 まるで高山の薄い酸素に喘ぐようにハンナは深く息を吸った。呪いのような薄い頭痛が頭を締め付ける。


 バベル王国でも魔素が薄いヴォルフガング領の鉱山と、豊富な闇エネルギーが満ちている王都の観月宮の2ヶ所を体験した飛梅はハンナが言わんとすることがわかったらしく頷いた。


「あ、やっぱりそうですよね。ミカドはどこもそうなのかと思ってたんですが、吉原は濃いって聞いて、びっくりしました」

「トビウメ一士はヨシワラへは?」

「いやぁ、まだ未成年ですし……同僚に連れられて、一瞬しか……」


 ごにょごにょと尻窄みになる飛梅を見て、内心苦笑いする。


 互いに言っていいことと悪いことの線引きがつかないのは、現在諸事情あって日本にいる“もう1人”の留学生がミカド皇国に来るまで、ハンナの待遇が確定しないためだ。開示していい情報かどうか判別がつかない。


 エネルギーの抽出および提供、開示可能な闇系技術の教授が“留学生”に期待されていることであったが、2人合わせてという契約なので、揃っていない現在は空白地帯。まさかの人生で初めての“休暇”となってしまった。


 ならば、どこで休暇を過ごすか?

 それが問題だった。


 ルイは土系能力者であり、ミカド皇国語が理解できないと蓼丸兄弟が請け負ったためそのまま特別消防隊預かりとなったが、ハンナはそうも行かなかった。


 本人も受け入れ側も大歓楽街吉原での投宿を希望していたが、蓼丸兄が今回の取引でバベルから闇系魔素計測機を仕入れたことで流れが変わってしまった。


「見える……見えるぞ……ッッ!!」と、眼鏡を光らせて江戸を鑑定して回った結果、吉原の地の闇系魔素がミカド皇国内において抜きん出て高いと判明したのだ。


 高いといってもバベル王国でいえば一際薄いヴォルフガング領レベルでしかないのだが、その地で飛梅が闇属性特級能力を開花させたことでもわかるように、能力者には充分な濃さであった。


 闇系エネルギーの研究開発の主軸をエンターテインメント・金融を中心に経済界に幅を利かせるコングロマリット企業ヨシワラグループに奪われることを懸念した幕府と小石川療養所の態度が硬化。


 カグヤ妃を足がかりとした天道領開領、バベル王国進出にこそ商機を見るヨシワラグループは幕府との衝突を避けるため熱心に対話を続けた。それで1日。


 幕府の研究開発チームが吉原の空きビルを借り上げ、官側の研究拠点を移すという結論が出るまで1日。


 ようやく明日の朝にはハンナが吉原に移動できることになったが、その間は拾ってきた猫の子を預けるように首都郊外の飛梅の実家にやられていたという始末だ。


 飛梅音はミカド皇国で初めて認められた闇属性特級能力者であり、未だ未知の部分が多い闇属性の、しかもミカド皇国語を話せないハンナと組み合わせるのは必然であった。


 また飛梅家は交通の便が悪く、吉原まで片道8時間はかかるという田舎だった。しかも闇魔素は底辺レベル。


(トビウメ一士には言えませんが、 丁度いい監獄ですね……)


 この不毛の地でなぜ飛梅が闇系特級能力者になるまで無事に育ったのか、母メイだったら眼の色を変えて研究対象とするだろう。


 時差ボケと魔素酔いに加えて乗り物酔いが加わり、監視役の人間をオロつかせるほど体調を崩したハンナはこの2日はほぼ寝ており、ようやく復活しての今日であった。


 休暇もそうだが、ここまで体調を崩すのも初めてだ。


 眼を覚ますと、吉原出版から見舞いの果物と上質な服が数日分届いていた。日本にある有名なブランドのコピー品であるらしいそれはカグヤ妃を始めとする観月宮の女性陣の見立てだという。


 男性の服を女性が着るというコンセプトで、自立した女性たちの反骨精神を支えるというブランドストーリーが添えられた黒いパンツスーツは、袖を通すだけで心地が良かった。


「早く来て欲しいですねぇ、ご主人……」


 意識を遠く飛ばしていたハンナの視線を追って飛梅が心配そうに言った。


 “もう1人の留学生”は、メイドを生業とするハンナが命を賭けた主人であった。


「さて、どうでしょうね……」


 混み合った事情を飛梅に話すつもりはないが、そう簡単に物事は進まないように思う。


 しかし、常に最悪の右斜め上をいく主人のことを考えても時間の無駄だ。非道ではあるが極悪ではないため、いずれはミカド皇国へ来るだろう。ならば自分のするべきことは、合流したときに主人が快適に過ごせるよう、場を整えておくことだけだ。


「そういえば、タデマル様から頂いていた“石”はどうされたんですか?」


 にっこりと話を変えたハンナに、飛梅は唇をかすかに突き出した。考える時の癖らしい。ぽってりと赤らんだ唇に指を突っ込みたくなるが、蓼丸麟五の逆鱗に触れそうな気がするので控えることにする。


「蓼丸様から頂いた石……? ああ、教官からもらった防犯ブザーですね」


 胸元から出した白いハンカチをひろげると、そこには先日のダイヤモンドのような虹色魔石が輝いていた。


『音さん……これを頂いたの? 蓼丸様から? こ、これ魔宝石じゃないの?』


 母はギラギラとした眼で御霊石を覗き込んだ。


「アハハ! 魔宝石じゃなくて防犯ブザーだよ! 私に何かあると教官に通報がいくんだって。これからハンナさんとご一緒する機会が増えるからだと思う。便利なのに綺麗でいいよね」


 にへらと笑う娘の頭越しに眼を見合わせた飛梅母とハンナは言葉の壁を超えて合意して頷き合った。


「トビウメ一士、渡されたとき、教官は何と仰ってましたか?」

「え、教官が……? “常に身につけているように”ですかね。わ、それで思い出した! ありがとうございます! 今は自宅警備ということでこうして雑に持っていられますけど、その準備しないとですね。明日には私も隊に帰るし」

『音さん、常に身につけているように、と蓼丸様が仰られたのね? それでは……』


 母は左手の薬指にはめている古い結婚指輪を掲げた。


『指輪がいいんじゃないかしら?』


 漫画だったらドン!と効果音を添えられているだろう動きに、言葉のわからぬはずのハンナが意図を完全に理解して頷く。


「ああ、指輪。よろしいんじゃないですか?」

「いやー、この石大きいし、指輪にくっついてたらちょっと邪魔ですよね」


 石を摘みながら飛梅が首を傾げる。どうやら女子力と色気は母の腹の中に忘れてきたらしい。渋面を作って頭を抱える母を見ながら、ハンナがタイヨウからもらった御霊石を取り出してみせた。


「……それではペンダントにするのはいかがでしょう? 私もこちらをチャームにしたいと思っておりました。ヨシワラには金属加工の店もあると聞いております。一緒に参りましょう」

「ペンダントかぁ。うーん……そもそも業務中はアクセサリーつけちゃいけないんですよ。どうしましょう」

『ペンダントなら見られてもわからないでしょうに! 隊服は詰襟だし、隊舎の部屋にはシャワーついているんでしょう?』

「それはそうだけど、週一で稽古があるんだよ。そのときは道着だもん。サラシ隠すために下にTシャツ着るけど、首のチェーンは見えちゃうよ」


 受けの鈍感さは2次元で見る分には楽しいが、3次元で、そして関係者となると大層苛立つものだなとハンナは作家の目で飛梅の紫色の頭を見下ろした。


 飛梅母も思いは同じらしく、額に青筋を立てて残念な娘に宣告した。


『ええい、黙らっしゃい! ならば、へそピになさりませ!』

「へ、へそピ!?」

『其方は誇り高き武士の娘。板額御前の血が流れているのですよ! 半端なことは許されません。百射百中が我ら飛梅流の信条。主より身につけよと命じられたなら必ず応えるのが道理です。臍ならば、これと決めた殿方以外にお見せすることはありますまい。へそピになさいませ、音さん』

「ピ!?」


 真っ赤な顔で飛び上がる飛梅にハンナが鉄仮面フェイスでにじり寄っていく。

 

「トビウメ一士、へそピアスになさるんですね。攻めてますね、さすが闇属性攻撃系でいらっしゃる」

「ピピィッ!?」

「大胆なご決断に感動しております。防御系思想に凝り固まったアボット家の私には考えも及びませんでした。細工が出来上がった暁には是非教官にお見せいたしましょう。御臍を」  


 側仕えの本能で飛梅の乱れた髪を直すハンナの白い指にさらにどきどきと心臓の音をかき鳴らしながら、少女は頬をおさえた。


「待ってください! へ、へそピなんて“吉原のクラブ”のお姉さんくらいしか……」


 次の刹那、ハンナは左手の中に包み込んだタイヨウの御霊石に微かなエネルギーの流れを感じ、呼吸よりも早く認識阻害と索敵の出力を跳ね上げた。


 転移が発動された、と気づくや否や、爆音のサウンドが耳を裂いた。


 地が揺れる。視界が揺れる。


 スモークの焚かれた暗い室内には色とりどりのライトが舞い散り、嗅ぎ慣れないタバコの煙と香水、汗、酒、その他何かわからぬ香りが鼻に襲いかかった。


 混乱の中、ハンナの脳には膨大な情報が流れ込んでいた。


 フロアにいるのはオーディエンス、約2000人。壁側で飲食を提供する黒服のスタッフが8人、ステージ裏に23名。それよりも気になるのがオーディエンスの服装だ。


 異様だった。


 おそらく若い世代で構成されている集団は誰も彼もがバベル王国では下着と判断されるような薄着だが、猫耳や笠、天狗面など何かしらのコスプレを取り入れている。


 和染織や着物がベースになっていると思われる極彩色の衣装を身につけた群れは狂ったようにステップを踏み続けていた。


(トーキョー!?……ちがう、ここはミカド!!)


 黒、紺、白、水色、赤といった多彩な髪色と顔立ちでハンナは瞬時に判断する。中には強い魔力を纏う者も混ざっていた。


 地を揺らすオーディエンスはステージ上の黒いキャップを被り、黒いTシャツにオーバーサイズの見事な刺繍が施された半纏を羽織ったDJの男を期待の目で見上げていた。


 ターンテーブルをいじる男が重たいサウンドのピッチを上げていく。音に合わせて歓声を上げるオーディエンスに応えるためにフロアを見た男は吸い寄せられるようにフロアの壁際にいるハンナの茶色の眼を見た。


 男は眼を細めて笑った。


 目が合った、と確信した。


 ステージまで距離があり、目の前には踊り狂う人熱があり、さらに自分とハンナの袖を掴んで固まっている飛梅に認識阻害をかけていても、尚。 


 捕捉されたと認知したアボットの警鐘が頭の中で鳴り響く。


 逃げようと飛梅の腕を引いて踵を返したハンナの鼻先は半纏男の黒Tシャツの胸元に突っ込むことになった。男の胸からはアンバーの甘い香りがした。


 弾かれたように迎撃態勢をとったハンナに男が微かに笑う。


「ねぇ。まだ帰る時間じゃないデショ、“帆南堂”先生?」


耳元で囁かれたハンナは男の目を見上げながら呆然と呟いた。

 

「白濁☆駅先生……?」


 癖が強いオレンジ色の髪が揺れるのを見上げていると、隣に立つ飛梅の肩に桃色の髪に赤いツノを刺した吊り目の少女が勢いよくのし掛かり、はしゃぎ声で叫んだ。


 休暇中の飛梅の代わりに新人枠で第七局一班に狩り出されて有頂天のルナであった。


『え、トビじゃん! 来るなら言ってよ! 何それ、剣道コス? 踊りにくくない? ハロウィンぽくないし!』


 姦しい少女の背後から、見覚えのある男が無表情で歩いてくる。その後ろについた長身で筋骨隆々の見栄えの良い男たちも興味深そうな目でこちらを窺いながらゾロゾロとついてきていた。


 花がみっしりと刺繍された黒いジャンパーを羽織ったオーバーサイズの黒いTシャツとパンツ。紺髪に龍の角を付けた男は、低く響く声で飛梅に尋ねた。


「飛梅、今日まで待機のはずだが何をしている」


 飛梅は蓼丸麟五にひるんでたちまち涙目になった。


「きょ、教官……」


 この時点では麟五に怒りはなかった。


 飛梅に知らせず家や主要駅につけた監視から連絡は入っていない。交通機関を使っていない以上、恐らく意図せず転移を発動させたのであろう。彼の頭の中にあったのは成長目覚ましい部下の可能性を守る方向で報告をまとめること、そして今後はいかなる状況でも飛梅の居場所を確認できる方法を確立するという、ストーカー予備軍の決意だけだった。


 ーーしかし飛梅が声を裏返させて教官に尋ね、事態は変わる。


「きょ、教官! 防犯ブザーなんですが、へそピアスにするしかないんでしょうか?」


 周囲が唖然とする中、のっそりと近づいたBL作家のDJは右手にビールのグラスを引き寄せ、左手で飛梅の腹を分厚い紺袴の上から撫でた。


 ハンナは彼の手から暗視の闇魔力を感知し、軽く目を見開いた。


「おへそ綺麗だし、似合いそうだネ」


 ハンナへのウインクの残像を残して、ステージの上に戻った男はビールを掲げオーディエンスを再び加熱していく。


 音に比例して怒気のボルテージを上げた蓼丸は顎で階上にあるらしいVIPラウンジを指した。


「……あっちで話を聞かせてもらおうか。ハンナも来い」


 ハンナはため息をついて、巨大なステージを見上げた。


 上に立つDJ玄蕃は、まさに神業と言えるパフォーマンスを披露していた。鮮やかなライトが次々と変わり、重低音がフロア全体を揺らす。オーディエンスは、まるで一つの巨大な生き物のようにビートに合わせて一斉に跳ね回る。DJが次の曲のイントロをかけると歓声はさらに大きくなり、腕が空高く突き上げられた。観客の顔には、歓喜と熱狂が溢れていた。


 これは単なる音楽の再生ではない。まさにその場で生まれる芸術そのものだ。 


 ハンナは刹那、鉄仮面を崩して笑った。


 面白くなってきた、と。


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