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大江戸オブ・ザ・デッド〜魔法全盛の江戸で、弓しか取り柄がない私ですが兄を探してます〜  作者: 森戸ハッカ
第三章:風の段『風は動なり。鎖を持たぬ』

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34. 再開門

 タイヨウが再びミカド皇国への転移門を開ける場所は、ヴォルフガング領にある大鉱山だという。


 ルイの稽古のため、予定時刻よりも早く現地入りしたいという要望は快くヴォルフガング翁に受け入れられ、観月宮に転移陣府が届けられた。


 カグヤ妃の嫁入り以降、ミカド皇国にも転移陣符は輸入されていたが、皇天宮と幕府中枢、それに特別消禍隊のみと使用は厳しく制限されている。


 そんな希少価値の高いはずの転移陣符をタクシーチケットレベルの気楽さで手配されたことに苦笑いする麟五を連れて、ルイは転移陣を起動させた。


 転移の光が収束した瞬間、麟五は瞼を上げた。


 視界は青白かった。


 バベル王国ヴォルフガング領大鉱山の夜明け前。


 岩壁は銀に近い白で、霜を含んだ冷気が肌を刺す。


 空気は驚くほど澄んでいるのに、どこか微かに鉄のような香りがした。鉄を手でこすったあとに残る、あの金属の匂いだ。


 それが風に溶けて、微かに鼻の奥に触れてくる。


(空気が薄いーー?)


 常に身体強化を行っている麟五にとって、それは初めての感覚だった。

 

 バベル王国は王都を中心に、花びらのように四つの領地に領土を分けているのだという。


 ヴォルフガング領は最北に位置し、魔界ゲヘナから最も遠く、とりわけ魔素が薄い地らしい。ルイを除いて高能力者も殆ど生まれたことのない地だと聞いていたが、そのことを身を持って体感する。この薄さなら母体に影響が出るだろう。

 

 微細な鑑定こそできないが、麟五の身体は主属性である水系魔素の少なさを訴えていた。


 魔界エリア3の血が湧くような高濃度の魔素が忽ち恋しくなる。

 

 ルイの面倒を見ているうちに、タイヨウ達ノーマン領、王国騎士団、そしてヴォルフガング領の職人や商人が集まってきた。


 ヴォルフガング領の人間達は勤勉で実直であるということが伝わってくる者達ばかりであった。バベル王国の随一の工業収入を誇るだけあり、職人気質が強く、平民が生き生きと活躍していた。


 バベル王国は領によって国民の気風が大きく異なるらしいが、天才商人のヴォルフガング翁を当主に抱く彼らはミカド皇国民との相性がいいように感じられた。


 アボット家当主ジョルジュ・アボットに連れられ、ミカド皇国へ“留学”することになったハンナが現れると、タイヨウは涙を流して別れを惜しんでいた。

 

 午前9時。


 定刻になり麟五が静かに頷くと、タイヨウは再び門を開いた。


 紫色の光で象られた門は、昨日よりも大きさを抑えられている。


 アボット一族の誇りとも言える国交門を少女に簡単に改竄された当主は苦笑したが、何も言わず王宮へと戻り、転移陣を閉じて姿を消した。


 門の向こう――祖国のミカド皇国は夜だった。


 今回は余計な煙幕も人衆もないため、秋虫の声と夜の冷たさがそのままこちらに流れ込んでくる。


 木立の間に広がる草原。見慣れた孝悌館の景色に、胸の奥がわずかに疼いた。


 そこから、二つの人影が現れた。


 先に歩み出たのは黒の斎服に眼鏡をかけた男。


 30代半ば。整ってはいるが、やや神経質そうな輪郭。だが、あれは柔和さの皮を被った鉄だ。


 男は微笑みを崩さないが、頭も下げない。


 兄、蓼丸備悟だった。


「ご無沙汰しております。ヴォルフガング殿、そしてカグヤ殿。此度、“祭事の諸事”が万事滞りなく整いましたこと、お慶び申し上げる」


 いつもの調子だ。

 相手を持ち上げるように見せながら、自分より下に置く言い回し。


 聖誕祭の準備を整えたということを伝え、此度の件はミカド皇国側からの施しであると匂わせていた。


 兄は昔からそうだった。俺がまだ子供だった頃から。


 しかし、応じるヴォルフガング翁の笑みもまた、表面は柔らかいが中身は毒そのものだ。


 今回の場は魔界ではなく自領のため、特級呪物のような呪符はまとっていない。蔦にアナグマの紋章を染め抜いた質の良い黒い羽織を身につけており、大商人の威風を漂わせていた。


「いやはや。此度の貴国への技術供与、若者たちの交友を今後益々の国交の一助としたいという貴君の熱い想いに応えたく老骨に鞭打った甲斐がありましたなぁ」


 芝居がかった声音で二人は笑う。

 だが、それは剣と剣を鞘ごと押しつけあっているような笑いだ。


 タイヨウが気遣わしげに目を泳がせ、フォルクスが苛立ちを隠そうともしない。


「なあ、爺さん。なんかやることあんだろ? おかげでウチの天使が3時間も開門してなきゃいけねえんだぞ。早く進めろよ」


「あ、いや一回開いちゃえば維持は大して……」


 タイヨウが前に出ようとした瞬間、ハンナが声高にメイ・アボットを呼んだ。


「母さん!」


 姉妹かと思っていたが、二人は母娘であるらしい。


 ハンナの視線は警戒するように備悟に止まっている。


 メイは涼しい顔のまま、まるで猫でもあやすように返した。


「はいはい、タイヨウ様。知らない人と口聞いちゃいけませんよ。娘が心配しますからねえ」


 その間に鑑定魔のメイが備悟を値踏みし、勝手に落胆するのが見えた。麟五とは異なり、備悟は低能力者だからだろう。


 やり取りの空気が少し荒れかけたとき、兄は周囲を見渡し、タイヨウを見据えて話題を切り替えた。


「貴女がタイヨウ様ですか」


 そして――


「……白米、納豆、味噌汁」と、微笑みながら口にした。


「!?」


 目を丸くするタイヨウ。周囲も理解が追いつかず首を傾げる。


「漫画、温泉、桜。……ございますよ、ミカドには」


 異世界に転移してきた日本人が恋焦がれるものを羅列した誘い文句――だが。


「あ、はい。観月宮にもあるので……そうなんでしょうね……?」


 首を傾げるタイヨウに、兄の顔がぎしりと止まった。


 離れた場所で聞いていた麟五は、思わず苦笑を堪えた。


 兄はミカド皇国が、そして自分が常に優越の側にあると信じている。


 タイヨウの答えは、その前提を鮮やかにひっくり返したのだ。


 セミマルと爆笑していたカグヤ妃がタイヨウの頭を撫でる。


「ああ、おかしい。先だっても飯3杯喰らってたわいな」

「えへへ、土鍋で炊かれるので美味しいんですよねぇ」


 そして備悟に目をやり、ニヤリと笑いながら補足した。


「タイヨウ、わかっとらんじゃろ。蓼丸の兄貴は“ミカド皇国に来ないか?”と誘うておったんえ。主が恋しく思うものがミカドには揃っておると言うておったじゃろ」

「ええっ!? 本当ですか?」


 兄がたじろぐのを、麟五は珍しいものでも見る気持ちで眺めた。


 兄は強い。正しい。勝ち続けてきた人間だ。だからこそ、思い込みが砕ける瞬間に弱い。


「恋しく……って、僕の大切なものは全部バベルにあるのに? ハンナさんっていう大切な人がミカドに行くので、それは恋しいですけど。返してもらえるって聞いてるので、我慢しますし……」


 別離の不安がまたそぞろ顔を出したらしく、一瞬瞳を潤ませたが「ミカドには行かないですよ。ご挨拶が遅れました。僕の名前はソーレ・タイヨウ・ノーマンです」と優雅なカーテシーで挨拶した。


 そのタイヨウを片手で抱き上げながらフォルクスが不敵な笑みで備悟を見下ろす。


「そしてこの俺は、ウチの天使を手放す気のないパパ、フォルクス・バロウズ・ノーマンだ。ゴローコーだ」


 昨日聞き齧ったばかりの言葉が自らと同格のヴォルフガング翁を指すらしいと睨んだフォルクスが言うが、当のヴォルフガング翁は頭を抱え、「父様、御老公は偉いおじいちゃんって意味ですよ!」とタイヨウは少し赤面して耳打ちした。


 毒気を抜かれた顔でため息を一つつくと、蓼丸備悟はフォルクスと向き合う。


「貴殿がノーマン殿か。蓼丸備悟です。愚弟が世話になったそうで」

「ああ、大したことはしてないから気にするな」


 フン、とふんぞり返ったフォルクスを見て、セミマルがケラケラと笑う。


「大したことも何も、旦那がウチに来た時は麟五様は稽古で留守だったし、飯食って酒飲んでただけで何もしてねえな」

「己の所業は忘れても、花札の負けは忘れんようにな。ツケとくえ」


 笑い合う一同の、中でも肩の力の抜けたカグヤ妃の様子を見て備悟は素早く方向性を切り替えた。


「ノーマン殿、タイヨウ様にご負担をおかけするのはこちらも本意ではないので本日時間を頂いた件に移りましょう。我々の闇属性特級者50年の要求を5年に短縮するための“追加担保”ですーー」


 蓼丸備悟の背に隠れた飛梅音は、声を聴きながらも殆ど目を伏せて立っていた。


 そこからの数秒を、彼女は死ぬまで忘れなかった。


 いよいよ自分が前に出されると察した飛梅は目を閉じ、次に開いた瞬間――視界の白さに驚いた。


 白銀の岩肌、光を反射する霜、澄んだ空気。地下牢の湿気の代わりに、研ぎ澄まされた冷気が肺に刺さる。


 転移門を潜ったとはいえ、驚きの変化だ。


 まるで別世界。

 実際、別世界だ。


 地下牢から連れ出され、何が起きるのか、飛梅にはわからなかった。ただ息の詰まるような困惑だけが身体の中で渦巻いていた。


 そして――


 蓼丸備悟の背中越しに、飛梅は気づいた。

 

 そこに麟五がいた。


 ただ立っていた。


 いつも通り、落ち着いた目と呼吸で。


 飛梅は、握りしめていた拳をそっとゆるめた。


 その瞬間、気づいた。


(身体が軽いーー!?)


 ずっと、気づかぬうちに乾ききっていた何かが、今まさに満たされていくような感覚。


 肺に吸い込む空気が、甘い。

 血が指先まで巡っていくのがわかる。

 背中の内側がじんと温かい。

 心臓が歓喜に高鳴る。


 ミカド皇国では一度も得られなかった感覚だ。


 だが、今は違う。この場所は何かが違う。


 吸うたびに、身体が起きていく。

 細胞の一つ一つが祝福となり、「生きろ」と言っている。


 砂漠で死にかけていた体に、水と塩と糖が一気に戻ってきたときのような――静かで、しかし圧倒的な蘇生。


 飛梅はまだ知らない。


 ここは 闇魔素が満ちる国であり、彼女の身体は本来この濃度で動くのが正常であることを。


 ただひとつだけ、確かにわかることがあった。


 立てる。


 今なら、真っ直ぐに。


 その瞬間だった。

 飛梅は、蓼丸麟五と再び目が合った。


 視線は、たった一度。

 ほんの一拍。

 言葉を介さない、触れない、何も起きない距離。


 なのに。


 世界のノイズが、すべて遠ざかった。


 何も終えていないのに、飛梅の胸が、ふっと軽くなった。


 麟五の視線は、静かだった。


 喜びでもなく、驚きでもなく。ただ、受け止める者の目をしていた。


 それが逆に、飛梅の感情を強く揺らした。涙腺がたまらず熱くなる。


 今笑えば、崩れてしまう。


 そのことが、飛梅にも、麟五にも、同時にわかった。


 だから二人は揃って、微笑む手前で止まった。


 息だけが重なる。


 飛梅は、知らない。

 麟五の心臓が、さっきより二度、強く打ったことを。


 麟五は、知らない。

 飛梅の体内に今、闇魔素が満ちて、本来の力が静かに目を覚まし始めたことを。その歓喜に突き動かされた瞳で、己を見ていることを。


 しかし、この瞬間は、ふたりはただ同じ呼吸をしていた。


 互いの瞳に強い光が戻ってくるのを、同じように見つめていた。


 動かぬ飛梅に苛立ったのか、備悟が「出よ」と言うと、小柄な飛梅は勢いよく前に出た。


『はいっ! 特別消禍隊第七局一士飛梅音です!』


 甲高い一本調子に緊張した早口、そして何より翻訳呪文がかけられていないミカド語のため、フォルクスが片眉をあげる。


『なんて?』


 言葉の意味は分からぬが、いかつい異国の武人に威圧混じりに問われ、正気になった飛梅の肩がびくりと震える。


 その様子を見ていたタイヨウが父親をはじめ、バベル人たちに聞こえるように翻訳した。


「自己紹介されてましたよ。第七局って聞こえたので、リンゴ君と一緒ですね。一士ですって」

『新米だな。騎士団と一緒なら1番下だ』「そうなんですね! さすがです、父様。お名前はトビウメオトさん、と仰るようですよ。飛梅が姓で音が名です。オト・トビウメさんです」


 愛娘のヨイショを機嫌よく頷いていたフォルクスが首を傾げる。


『で? 追加担保のトゥべ……トビーがなんなんだ。新米をウチで鍛えるのか?』


 明らかに能力者ではない備悟ではなく麟五を振り返った父の顔をグイッとおさえて、タイヨウは身を乗り出した。


「とびうめ、トビー……もしかして、あなたが“トビ”さんですか!?」


 長い睫毛に覆われた宝石色の大きな瞳が煌めくのを見て、飛梅は思わずたじろいだ。


 失礼ながら、脳味噌が本当に入っているのかと疑うほどの小さな白い顔は人間離れした美しさで、異国の地にありながらミカド皇国語を話す様子からも、人ではなく天使のように見えた。


(すごいな、バベル王国は。魔界もあるし、天使も住んでるんだな……!)


 見当違いの納得をした飛梅は迷いながらもこくりと頷く。


『はい、隊ではそう呼ばれています』

「セリヌンティウスだ〜!」

『!?』


 タイヨウの声に、カグヤ妃とセミマルが、なんとも言えない生暖かい視線を麟五に送る。


 大人達のその目は――「お前、そういうことだったのね」とでも言いたげで。


 麟五は、息を止めた。


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