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大江戸オブ・ザ・デッド〜魔法全盛の江戸で、弓しか取り柄がない私ですが兄を探してます〜  作者: 森戸ハッカ
第三章:風の段『風は動なり。鎖を持たぬ』

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33. ナリヒラの受難

 自身が膨大な魔力を持つため魔力感知を得意としない麟五は、バベル王国に来るにあたり、魔術訓練具“水鈴”を忍ばせていた。


『百目の私が帯同するため必要ないかと思われますが、念の為。この水鈴は周囲に微量の魔力があれば起動できます。もし万が一、お一人になられたときに魔界に魔力切れの危機を感じることがあれば水鈴を使ってください』


 そう言って南海ノックの温かい手に渡された昨日が、かなり遠い昔のことのように思えてくるから不思議だ。


 その水鈴をルイが持て余して30分。


 魔力さえあれば幼児でも扱える訓練具であるというのに、未だに微動だにしない。


 観月宮の板前が用意した究極の品々を流れるようなスピードで片付けながら麟五は半眼で稽古風景を見守っていた。


 卓に並ぶのは左から天ぷら、海鮮ちらし寿司、すき焼き。


 天ぷらは絶妙な技術と新鮮な食材が織りなす至福の一皿だ。サクサクの衣の下に隠れた海老や季節の野菜は、口の中で優雅な舞を繰り広げる。だが素材の風味が存分に引き出された贅沢な品は盃の水でも飲み干すようにあっけなく消えた。


 海鮮ちらし寿司はまさに海の幸が豊かに広がる贅沢な一皿であった。新鮮な刺身と繊細な酢飯が見事に調和し、口の中で絶妙なバランスを生み出していく。目にも舌にも楽しい、鮮やかな彩りは一瞥も送られず姿を消した。


 最後のすき焼きは上質なミカド牛と秘伝のタレが奏でる至高のメニュー。肉の旨みがじんわりと広がり、甘く濃厚なタレとの相性はまさに絶妙。しかし一口ごとに広がるはずの幸福感は虚空へと霧散した。


 とりあえず接待のエース級の料理を並べてみたものの、名家令息の口に合ったのかどうかと怯えながら食事を提供していた給仕達は、食後の玉露を啜る麟五の不満げなため息に肩を落とした。


(魔力は動いてる。何が原因だ? バベル王国の魔術は俺たちとは仕組みが違うのか?)


 頬杖をついた麟五の思案は声変わりしたばかりの少年の声で打ち破られた。


「美味かったですか! 足りましたか!」


 そこには水干姿の気の強そうな少年が肩を怒らせて立っていた。


 紺色のお仕着せではなく、1人だけ質の良い絹の服を着た少年は、カグヤ妃の側近セミマルの息子らしい。


 何やら紹介された気もするが、ルイに気を取られていたので覚えていない。


 しかし、口の動きを見れば確かにミカド皇国人のようだ。


 いいものをみつけた、と、麟五は口角を上げた。


 一方、少年の傍らにいた者達は戦慄した。


 蓼丸の瞳は、いつも片隅に何かしらの暗い影を内包している。一見穏やかな笑顔も奥に潜む狂気を隠しているかのように見え、彼の魅力的な容姿とは裏腹に、常に周囲に微妙な不安をもたらしていた。


「た、蓼丸様のお許しがなくては直言してはなりませぬ!」

「大変な失礼を……申し訳ございません、蓼丸様!」


 ミカド皇国の常識が身に染みている給事役の側仕え達が青ざめてナリヒラの頭を押さえつけた。


 押さえつけられながらナリヒラは麟五を睨む。両親は確かにミカド皇国人だが、バベル王国に生を受けた彼にとっては『蓼丸家』と恭しく言われてもピンと来ない。


 それは、現在の観月宮の在り方に起因していた。


 大陸一の大国の第二王妃の居宮でありながら、観月宮は元々平民の、それも吉原の人間達だけで構成されていた。現地のバベル人達も入れず、出張吉原状態になっていたのだ。


 過去に起きた王妃同士の政変に敗れて以来、その宮に20数年引きこもっている当主のカグヤが彼らに国にいたときのような気やすさを求めたこと。


 そして彼女の息子であるカザンが騎士団に入ったことで、能力主義のバベル王国の気風に馴染んでいたことも大きい。


 結果、14歳にして一級程度の魔力を持ち将来が有望視されているナリヒラは健やかに自己肯定感と自尊心を育んでいた。


 一方、隠世となっている観月宮からほとんど出ることもないため常識感覚は幼児並みに発達していない。


 そんな彼にとって、カグヤ妃の夫ーーバベル王ですら毎回板前に感動の握手をしていく自慢の料理を無碍にする蓼丸はただただ不快な男だった。


「よい」


 無表情で側仕え達に手を軽く振った麟五にルイが頭を下げた。大型犬のような、というには大きすぎる、フェンリルの仔犬のような体躯を縮めて懇願する。


『リンゴ君、出来なくてほんとすいません! 間違えてるところ教えて欲しいっす!』


 バベル王国語をマスターしているとは言い難い業平は、水鈴をぶら下げたデカい金髪の男を不思議そうに見た。


 トントンとこめかみを叩いた麟五は、ふとナリヒラの顔を見た。


「お前、水鈴はできるか?」


 チョクゲンするなって要するに話しちゃいけないってことなんじゃ?と周りを見たが、皆が地に頭が付くほど跪いており、正解はわからない。


「……できる、ますけど?」


 ナリヒラにとって、それは幼児の玩具だった。


 扱ったことはあるし、母が記念に取っておいていることも知っている。三輪車を出されて「できるか?」と問われるような戸惑いがある。


 業平の言葉に頷くと、麟五は「この小僧の前で、もう一回やってみせろ」とルイに命じた。


 160cmの業平の目の前に水鈴がくるように屈んだルイが口を開く。


『花』

『鳥』

『風』

『月』


 だが、ルイが祈りを込めて覗き込む水鈴はやはり何も起きない。それを叱るでも怒るでもなく、麟五は深淵のような瞳で業平を見た。


「ーー何故だと思う?」


 ルイの手から風ですくわれ、放物線を描いて投げられた水鈴をキャッチしたナリヒラは呆気に取られた顔をした後、プッと吹き出してしまった。


 それに戦慄し、蜘蛛の糸に縋る亡者のように蒼ざめた顔で制止の手を水干の裾に伸ばしてくる周りの者を振り払う。


「なんだよ! みんなもわかるだろ?」


「……なんだ?」


 眉を上げた麟五にナリヒラは堂々と断言した。


「言葉だ……ですよ。ヴォルフガングの坊はさっきからバベル語喋ってるもん。それでミカドの魔術具の水鈴が動くはずねえんだわ」


 勝ち誇った顔で自分の口を指差す業平と麟五の顔を見比べてルイが慌てた。


『リンゴ君、なんすか!? 原因わかったんすか!? ごめんなさい、俺バカだからミカド語わかんなくて』


 その口元を見て、麟五は唖然とした。  


 ミカド皇国の魔術がここまで言葉に紐づいてあるとは、思いもよらなかった。


 しかし、これでバベル王国の能力者が使う“カルマ”とミカドの鬼道は似て非なるものだということがわかった。


 ルイは特級能力者級のクラスの、それも特別消禍隊でも隊長格に相当する魔力を持ちながら「俺はカルマが使えないから、評価が一級なんです……」と肩を落としていた。


 その言葉からカルマとは有能な能力者が使える鬼道なのかと思っていたが、カルマは編み出した能力者本人に依存し、他者が使うことは原則ないという。また呪言の類もないそうだ。

  

 おそらく、カルマとは蓼丸の麒麟児達のみが使えるオリジナルの、ナンバリングを持たない鬼道のようなものなのだろう。“麒道”と何代か前の麒麟児が名付けたらしいが浸透しなかった。使える者がいない魔術に、名など必要ないからだろう。


 カルマや麒道は、突出した能力者だけが使用できる、特別な魔術。ただ、本人が記憶し、使いやすくしておくための術式。


(ーーならば、ルイは鬼道なら使えるはずだ。ミカド語さえ、覚えさせればいい)


 鬼道は魔術の汎用性を高めた術式だ。一定の魔力があれば、主属性と異なる系統の鬼道であっても使用ができるほどに。


 ハーッと長いため息をついた麟五は体躯の割に大きな左手でガシッとナリヒラの頬を掴んだ。


「お前、名をなんという」


 血の気を失って驚愕したのは跪いていた他の側仕え達だった。ナリヒラは真っ直ぐ麟五の目を見つめながら答えた。


「……なりひりゃ」


「業平、お前はバベル語を解さぬ。そうだな?」


 生唾を飲んでコクリと喉を鳴らした後、業平は微かな動きで頷いた。


 麟五は薄い微笑を浮かべてルイを見上げた。


「よし。ルイ、よく聞け」

『ハイッ!』

「俺が翻訳呪文をかけられたために、正しい術式の発音をお前に伝えられないことがわかった。この業平が俺の代わりに水鈴の発音を教える」

『ハイッ!』

「ひぇっ!?」


 頬を摘まれたまま、業平が驚愕する。


「業平、『花』と言ってみろ」


 指が離され、痛みの残る頬をさすりながら業平はルイを見上げた。


「……はな」

「ルイ、今のを繰り返せ」

『ふぁーな』

「違う。業平、もう一度」

「は、な!」

『ぷぁっ、ぬぁ?』


 麟五は左手で再び業平の頬を掴むと口を大きく開かせ、右手でルイの腕を掴み、その太い指を3本業平の口の中に突っ込んだ。


「!?」

『!?』


 涙目になってえずく業平を感情の読めない瞳で見てから、麟五はルイに言う。


「最初は舌と唇の動きを学べ」


 かすかに塩気を感じる太い指を恨めしく思いながら「花」と発音する業平にルイはぞわりと身体の芯を粟立てた。やましい快感を必死に無視してぬめる温かな舌と小粒の白い歯が当たる感触に集中して、ルイが真剣な瞳で業平を見た。


『もう一回、いい?』

「……?」

『もう一回……』


 伝わってないことを悟ったルイが左手で1本指を立てる動きを慌ててすると、勢いで口に入っていた指がさらに喉に入り「うぉえっ!」と業平が反射的に身を引こうとするが、それも麟五に阻まれてかなわない。


「もう一回、だそうだ」

『もう一回!』


 そのタイミングで、中々膳が下げられてこないことを聞いたカグヤ妃が入室した。


「……主らは何をしとりんす」


 緊張と恐怖で灰になりかけている側仕え達と、涙と鼻水を滲ませ、涎を流してえずく家臣の哀れな姿に柳眉を跳ね上げた。


 高まった女主人の魔圧にザッと蒼ざめたルイが業平の口から指を引っこ抜き、額をゴンと床に押し付けて土下座した。


『カグヤ様! 俺がミカド語喋れないから水鈴使えなくて、今ナリヒラ君に教えてもらうところで!! ごめ、ご迷惑をおかけする分、金払います! じ、爺ちゃんが金払いますので、稽古させてください。お願いします!!』


 ゴンゴンと床に頭を打ちつけるルイに毒気を抜かれたカグヤ妃が煙管でポコンとルイの頭を叩く。


「すぐに金でなんとかしようと思うのはやめなんし。主の悪い癖じゃ」

『すみません……!』


 精一杯身体を縮めて小さくなったルイにフッと笑って業平を煙管で指した。


「ナリ、付き合うてやりゃ」

「御館様ぁ……」

「カザンが言うてたにも関わらずバベル語を習わんかった主が悪い。丁度いいわ、ルイから習うといい」

「そんな……」


 ガックリと肩を落とした業平に微笑むと、カグヤ妃は上品な動きで麟五に向き合った。


「もうじき替えの服も上がってくる。休むなら下に床を用意させたでありんす」


 その言葉に頷くと、麟五はルイと業平を見た。


「俺はこれから6時間寝る。その間に『花鳥風月』を仕上げておけ。その後はエリア3に戻る。カグヤ殿、明日まで業平を貸せ」


 青ざめて絶句する業平を見てカグヤ妃が鼻で笑う。


「貸すだけえ? 蓼丸殿、起きたらまた飯を食うかえ? 口には合うたか?」

「ああ、美味かった。馳走になる」


 それを聞いた側仕え達がホッと表情を和らげ、そこはかとなく浮かれた様子で食器を下げて部屋から出ていった。


 カグヤ妃が開いた扉を指し示すと、麟五がゆっくりと歩き出した。


 前を通り過ぎる際に、煙管を咥えたカグヤ妃が何と言うこともない顔で囁いた。


「“トビ”が主の何かは知らんが、ウチの息子を見てるとな。特級の男の執着は厄介ぞ」「ーー何が言いたい」

「何、遠い昔に聞いた主の許嫁の名は“トビ”ではなかったはずだと思うてな」

「……」

「さぁ、困りんした。難儀よのう」


 しなをつけた仕草で悩んでみせてから、カグヤ妃がきろりと青みがかった白目を見せながら上目遣いで呪いをかけた。 


「ーー自分は相手以外、受け付けられぬのに。相手が自分以外の男のモノになるのが許せるのかえ?」


 無言で去っていく蓼丸が階段を降りる音が聞こえると、カグヤ妃も音もなくそれに続いた。


 扉が閉まり2人きりになると、業平は部屋の端にあるオープンキッチンを指差した。


「……せめて手を洗ってくれよ」


 ルイがきょとんとした後、真似してキッチンを指を指す仕草をするのを見て業平は怒りで毛を逆立てた。


 蛇口に触れることもなくジャァッ!と水を出してみせると自分の手を指して「手ぇ! 洗え!」と叫ぶ。 


 意図を理解したルイがパァッと顔を輝かせ、『手を洗う!』と尻尾があれば振り切れんばかりの勢いで流しに向かった。


 その大きな背を見ながら、大きなため息を業平は吐き出した。


 彼はまだ知らない。


 残念ながら、そのため息はその日1番の大きさではないことを。


 エリア3に移動後、昼寝を終えてヤル気と体力に満ちたゴーンにも指を突っ込まれることを。


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