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大江戸オブ・ザ・デッド〜魔法全盛の江戸で、弓しか取り柄がない私ですが兄を探してます〜  作者: 森戸ハッカ
第三章:風の段『風は動なり。鎖を持たぬ』

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28. 出会い

 怒号のようなバベル王国語が飛び交う。鋭い音の羅列は、どれも意味を持たぬただのノイズ。だがその抑揚だけで、場の温度が一気に上がったことを麟五は察した。


 先程、日本人らしき少女に話しかけたのがよほどまずかったらしい。


 第3王子が護る様子を見せていることからも、少女が要人として遇せられていることはわかる。 


 この地では、闇属性能力者の少女が丁重に扱われているようだ。


 ーー飛梅とは違って。


 そのことが、たまらなく切なかった。


 麟五の逡巡など気づかず、血走った眼をした赤髪の大男が、剣を振り下ろさんばかりに吠えている。


 その隣、同じ軍服をまとった筋骨隆々の白髪の男が、油断するなと肩をすくめるが構えは崩さない。


 言葉はわからずとも、その敵意と殺気は刃よりも明確に伝わった。


(……油断するな。焦りは見せるな)


 彼らが何を言っているのかは理解できない。だが、立ち位置、重心、視線の運び――そのどれもが鍛え上げられた戦士のそれだった。


 異国に踏み込んだ瞬間から、ここが交渉の場ではなく戦場であることは、肌でわかっていた。


 ひときわ若い男が前に出てくる。白髪に淡い水色の瞳。


 動きからして、第3王子の側近であろう。


 彼の口元がわずかに歪む。冬の湖面のような色合いの瞳には、嘲りとも、警戒とも取れる笑みが浮かんでいた。


 麟五はそれを、敵意の裏返しと見た。


(風、か……?)


 彼の足元で空気がわずかに流れる。気圧の変化。呼吸が一瞬重くなる。


 風系の術式だ。圧縮と希薄化を交互に起こしている。なかなかの使い手だ。どうやら本気でこちらを殺す気らしい。


 打ち消すように肺の奥で魔力を循環させると、空気の流れは瞬時に霧散した。


 相手の顔がわずかに驚く。


 その顔を見て、こいつは初めて己より上位の風使いに遭遇したのだと悟った。


(稚い。だが、悪くない目をしている)


 再びざわめき。風使いの若者が怒鳴ると、いなすように第3王子が剣を下ろした。


 蓼丸は一歩も動かず、ただ聞こえない言葉を視覚情報に変換し続けた。


 力関係が瞬時に入れ替わったのが、空気でわかった。いや、軍制が正しく機能しはじめたらしい。上位者が命じ、下の者が従う。その様式に則り、なんらかの意思決定がまとまったということが理解できた。


 第3王子カザンが、麟五に語りかけた。


「蓼丸殿、我が国の術師により翻訳呪文をかける許可を頂きたい」


 是非もない。

 

 翻訳呪術に関しては、兄備悟から聞いていた。兄も施術済みで、その効果は確かだという。


 法外な値段を取られたとボヤいていたが、請求があれば兄に回せばいい。


 鷹揚に頷く麟五を見て、闇属性の美少女は焦って騒ぎ出した。


「いや、ちょ! 待って! 翻訳呪文をかける前に、僕ちょっとこの方と2人きりでお話したいんですけど、ダメでしょうか!?」


「はあ?」


 周囲の人間のボルテージが瞬時に跳ね上がったのを見て、水をかけられたように少女はシュンとした。その肩に手を置いたのはカグヤ妃だった。


 彼女は厳かに麟五に言った。


「……こちらの姫はタイヨウ様であらせられる。拠無い事情があって、姫は“日本人”であるということを隠しておられる。またそれをこの先もお望みじゃ」


 美しい少女の名はタイヨウというらしい。


 妃という立場のカグヤが下へも置かぬ物言いをしていることから、無理強いをされてはいないのだと感じた。



 しかし、ミカド皇国に行けば神と崇められる身分を何故隠すのだろうか?


「なぜ……」


 思わず漏らした問いに、カグヤ妃は聖母のような慈愛を湛えて首を振った。


「それを問うことは此度の本題ではないし、姫の望みではあられない」


 タイヨウは、と見ると、まるで幼子が母を慕うように、目を潤ませてカグヤ妃を見上げていた。


「姫……真、でございましょうか?」


 念のため麟五が尋ねると、タイヨウは死者もバク転で蘇るほどの神々しさで微笑み、深く頷いた。


「しかし……」


 次の瞬間、タイヨウの居た場所で白髪の男が蓼丸の後ろ襟を猫の子を持つように吊り上げた。


 駆け寄ったつもりであった麟五がぶすっと男を睨む。


『おおっと、2度目はねぇぞ。ちびっこ』


 蓼丸と男のスピードを目視できずに驚いていたらしい黒天使は、第3王子の腕に抱え上げられていることに気づき、再び驚いた。


「ひゃ! 速いですね皆さん!」


 そこにヌッと出てきたのは、鉄仮面のような表情に目だけギラつかせた眼鏡の女だった。


 第3王子と、先程麟五を殺そうとした風使いと同じ軍服を着ている。戦闘タイプには見えないが、闇属性の使い手なのかもしれない。


 女は麟五の正面に立ち、柔らかく何かを告げた。


 声色からして、許可を求めている――儀式の前触れか。


 女は指先で麟五の額に触れた。


 柔らかな魔力が染み込んでくる――翻訳呪文だ。


 抵抗する必要はない。蓼丸はただ静かに受け入れた。


 視界が明滅する。


 そして、世界が意味を持った。


「私は王国騎士団メイ・アボットと申します。まずはお名前からお伺いしてよろしいでしょうか?」


 メイの声が、今度は明確に理解できた。口の動きはミカド皇国語ではない。それなのに、声と意図が“転移”させられてきた。


 驚きと感嘆が、麟五の背骨を駆け上がった。


(これが翻訳魔術。これが、闇属性の力ーー!)


 独自の魔法体系が想像以上に発達している。兄が言っていたような、蛮族の国などでは決してない。


 翻訳呪文をかけた女は“アボット”を名乗った。王家御庭番、側近中の側近一族の名だったはずだ。


 麟五は誤解を修正するように、ゆっくりと頭を下げた。


「特別消禍隊第七局長、蓼丸麟五だ。度重なる無礼をお見せしたことを詫びる」


 凛と静かな声に、場が一瞬、沈黙した。


 麟五の金の瞳がゆっくりと巡る。


 カグヤ妃とその従者が、驚愕して顔を見合わせていた。蓼丸家の自分が頭を下げたのが余程意外だったらしい。


 他人の頭の言語を書き換えるほうがフィクションの世界の出来事のようだというのに。


 翻訳呪文は当然のこととして受け入れ、蓼丸家の人間が頭を下げることに驚く様が、少し愉快だった。


(ここは、神々と人のはざまのような国だなーー)


 そんなことを考えていると、白髪の偉丈夫の軍人がヌッと目の前に現れ、人好きのする顔で白い歯を見せた。


「俺は四貴家ノーマン領当主兼防衛局局長兼元騎士団長、そしてそこにいる天使タイヨウちゃんのパパのフォルクス・バロウズ・ノーマンだ」


 バベル王国は能力者達が貴族階級に立つ国だ。四貴家は、その貴族の頂点である四つの公爵家を指す。


 目の前の男は、その当主だという。


 蓼丸家に相当する支配者階級の人間とは到底思えぬ気さくさで、フォルクスは笑っていた。


「俺は、ゴ……」フォルクスの隣に立つゴリラのような大男が名乗ろうとした瞬間、声が割り込んだ。


 相変わらず軽々とタイヨウを抱き上げたままの第3王子だった。


「ーーその前にタデマル、“ニホンジン”とはなんだ?」


 その言葉に、カグヤ妃と従者、そしてタイヨウが凍りつく。


「カカカカザンさん!? 今、ゴーンおじさまがお話ししてる途中でしたでしょうが! お行儀が悪いですよ!」


 タイヨウがぺちりぺちりと王子の頭を叩いた。それに一切構わず、カザンは母親を睨む。


「母上もセミマルも知っているようだな。なんだ、“ニホンジン”とは。タイヨウを指しているのだろう?」

「ききき聞き間違いですよ!」


 口元を押さえようとするタイヨウの手を器用に躱しながら、第3王子は蓼丸から視線を逸らさない。


 麟五は驚いて、カグヤ妃の顔を見た。


 日本人という神が舞い降り、その神を護りつづけた国、神門皇国。


 その成り立ち故に、諸外国には日本人の存在を教えてはいないとは幕府から聞いていたが、平民の花魁であったカグヤ妃がそれを守り続けているとは思いもしなかった。


「息子にも伝えてないのか?」

「バベルに嫁いだからといって、わっちが吉原の輝夜であることは変わりんせん。お上のご意向に逆らうはずはなかろうて」


 蓼丸の金の瞳と、カグヤ妃の紅の瞳が交差して数秒。


「相わかった。お前、名はなんという」と、麟五は第3王子を見据えた。


「カザン。それの息子で現騎士団長でこれの婚約者だ」


 タイヨウの父を名乗ったフォルクスが横目でカザンを睨んでいる。


 婚約者というが、父親にはまだ認められていないらしい。


 麟五はそこで眉を寄せた。


(ーー父親? そもそも“父親”とは、なんだ?)


 通常、神はひとりで異世界から転移してくるものだ。家族ごと転移してきたのか?


 しかし、タイヨウもフォルクスも、いわゆる日本人の相貌とはかけ離れている。


 タイヨウが日本人であることを隠す理由は何やら深いものがありそうだ。


 誰が敵かもわからぬこの場所で、ミカド皇国人である麟五はタイヨウの身の安全を最優先に置いた。


「“日本人”とはな……」


 すうっ……と金色の目が細められる。


 タイヨウが青褪めてカザンの首に齧り付いた後、麟五は言った。


「――神の使い、いや神だ」


 カザンとフォルクスが驚きの表情で固まった。


 そして……


「よくわかったな。そちらではそう言うのか。まさしくタイヨウは我々の“ニホンジン”だ」

「君、見どころあるねぇ! わかる? わかっちゃうかなウチの娘の輝き」


 フォルクスとカザンが声を上げ、空気が緩む。


 その時、先程麟五が蹴り倒した金髪の男の横から老人の声がした。


 台車に乗った、呪符に包まれた謎の物体が呼んでいるらしい。さすが蛮族、折衝の無事を祈る仏像でも持ち込む風習でもあるのかと思っていたが、人だったことに麟五は驚いた。


「おぅい、すまんが誰かワシを運んでくれんか」

「あ、すいません! 今すぐ!」


 パッと麟五の前に呪符に包まれた老人をタイヨウが転移させる。


「このような形で申し訳ない、リンゴ・タデマル殿。ワシがヴォルフガングじゃ。本日は遠路はるばるお越しくださり……フォッフォッ、ビンゴ・タデマル殿から貴殿のご活躍は聞いておりますぞ」


 特級呪物のような物体は、カグヤ妃の輿入れの際から外相であったというヴォルフガング公爵であるらしい。


 兄と同じく五級程度の能力者であると聞くが、魔界にいて平気なのであろうか?


 麟五は深々と頭を下げた。


「ヴォルフガング御老公であられましたか。ご挨拶が遅くなりました。兄からは御老公は“魔界”の地にはおいでにならないはずだと聞いておりましたが」

「フォッフォッ、その予定でしたがな。先ほど貴殿に翻訳魔術をかけたメイが防御陣を、ほれこのように」

「左様でございましたか。“闇系”とはここまで多様な……」


 呪符とメイ、そしてタイヨウを見た麟五が思案するように腕を組んで黙り込む。


 その顔の前に不満げな顔で割り込んだのはフォルクスだ。


「なんだ? 一気に態度変わったな。おい、この爺さんと俺の格は全く一緒だ。俺もゴローコーだぞ」

「……」

「ついでに言うと、お前が先ほど蹴り飛ばしたのはゴローコーの孫だ。ルイ・“ヴォルフガング”だぞ」

「……」


 蓼丸はその隙に木札を取り出し、通話を繋いだ。


 兄はすぐに応答した。

「兄上、俺だ」

『やぁ、リン。首尾は?』

「……ああ、問題ない。闇属性の日本人がいらっしゃったが、話は予定通り進めていいか?」


 兄は絶句した後、咳払いして言った。


『構わぬ。ーー日本人の御方に失礼のないように』


 歩きながら通話していた麟五は倒れていた青年ルイの額に指を触れ、気を流し、目を開かせた。


「ぷはっっっ!! ……えぇ!?」


 悪夢から醒めたように半身を起こしたルイが、麟五と皆の顔を見比べて困惑する。


「……なるほど、承知した」


 通話を終え、木札を袂に入れると「立て」ルイに顎で指示した。


「あ、え?」


 騎士団生活で染みついた力による序列により反射的にルイが立ち上がった。


 改めて見ると、やたらとでかい男だった。 

 神保兄弟の通常フォームよりでかい。

 魔力量も桁外れだ。


 最初が肝心だ、と麟五は教官の眼をした。


「次に俺を馬鹿にしたらまた潰す。何度でもこうして起こす。わかるまでやる。わかったか」

「え、ああ……」

「返事はハイ、だ」


 ガッ!と脛を蹴られて涙目になったルイは、それでも揺らぐことなく背筋を伸ばして立った。


「はいっ!」

「俺は蓼丸麟五だ」

「……林檎?」


 ヘラッと笑った顔が残像となり、ルイはまた側頭部を蹴られて沈んでいった。


「“君”をつけろよ、デコ助野郎」


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