26. 出立
秋の森が息を潜める中、孝悌苑の庭だけが異様な熱気に包まれていた。
ライトが竹林を虹色に染め、スモークが光を呑み込んでは吐き出す。
地を揺らす低音、重なり合う歓声、空を裂くレーザー。まるで戦の前夜というより、野外フェスのようだった。
DJブースに立つのは玄蕃白。
日本にいた頃は六本木のクラブで腕を鳴らしたDJであったらしい。多方面オタクと本人は自称するが、器用な男だ。
日本人が齎す文化を持て囃す気風のあるミカド皇国人達は、忽ち「トゥモローランドみたいな、フェスっぽくしたいなっ⭐︎」という彼が欲する物を作り上げて提供した。
Tシャツにデニムというラフなスタイルの上にスカジャンを羽織り、ヘッドフォンを片耳にかけたまま、指先で音を操る。
鳴り響くのはEDMの重低音と和太鼓のサンプル。それは祈りのビート――戦の代わりに鳴らされる鼓動だった。
「行くぜ、バベルゥゥゥ!! ミカドの誇りを鳴らせェッ!」
彼の声に、特別消禍隊の若手たちは拳を上げた。
この舞台を整えたヨシワラグループのSP部隊も防弾ベストのままリズムを刻み、森全体が呼吸を始める。
折衝の地は、バベル王国が擁する魔界であるという。
平民は5分で死に至る瘴気が立ち込める死の土地。優秀と言われる三級能力者でも危うく、一級以上の人間のみ立ち入ることのできるエリアだそうだ。
バベル王国の闇属性能力者がミカド皇国へと続く転移門を開けるというが、濃い瘴気がミカド側へ流れ込まないと言われてもその保証はない。
故にこの場には一級以上の力を持つ一握りの精鋭達、次世代の希望が集まっていた。
彼らの緊張と高揚が入り混じる熱気が秋の冷気を完全に押しのけていく。
その中心――照明の隙間に、蓼丸麟五の姿があった。
黒衣の将。夜の闇よりも深い黒を纏い、目を閉じ、静かに音を聴いていた。
その周囲だけ、まるで時間が止まっているかのように風が静まっていた。
やがて、舞い手のような白い衣装を纏った第七局の面々が姿を現す。
薄衣の袖が光を反射し、動くたびに銀糸が星のようにきらめいていた。
その筆頭、南海が一歩進み出て膝をついた。
「隊長、準備整いました」
蓼丸は静かに視線を落とす。
瘴気避けの面布を上げた十人の従者達の顔を見る。
南海ノック
鉢屋テッサ
神保烈
神保剛
渡辺塔
顔と名前が即座に一致する人間達の能力だけでも、国を潰せるほどの威力だ。
「……戦でもするつもりか」
麟五の呟きに、南海は穏やかに微笑んだ。神と崇める隊長が自分達を認めてくれた誇らしさが胸を打つ。
「従者を伴ってはならないとは、向こうは言ってきておりません。したがって違法ではございません。トビの怪我は私の責任です。いかなる死地にもお連れください」
その屁理屈に、蓼丸の唇がかすかに歪む。笑ったのか、呆れたのかは誰にもわからなかった。
その時――
「おっとォ! そろそろ時間だよ〜!! 隊長ーッ! 一言お願いしまーす!!」
DJブースに立つ玄蕃の声が爆音のように響いた。
会場が沸き、マイクが宙を舞う。
銀色の軌跡を描いたマイクを、蓼丸は片手で受け止めた。
瞬間、音が止む。
森が息を呑み、風が光を抱えたまま静止する。
光の中心に立つ蓼丸麟五。
その顔は、あまりに整いすぎていて誰も直視できない。
美ではなく、支配。
まるで悪魔の王のような存在感だった。
「――闇エネルギーを、手に入れてくる」
低く、澄んだ声が遠雷のように空気を震わせた。
「それが、この国が長年苦しめられてきた歴史に、終止符を打つかもしれない」
静寂の中、彼は目を細める。
その瞳は深い夜の月の色をしていた。
「その手がかりを、飛梅が見つけた。ーーうちの新人だ」
その言葉に、群衆の空気が変わった。
熱狂ではない。
体の奥――骨の髄から、震えが生まれる。
ここに集っているのは、いずれも腕に覚えのあるミカド皇国の能力者達。
そんな自分達の仲間が世界を救う鍵を見つけたという言葉は、麟五が考えるよりも遥かに人々の魂を揺らした。
世界を救う鍵を、渡来する転生者の神ではなく、人が見つけた。
麟五の声には、そう信じさせる力があった。
命じられたわけではないのに、誰もが膝をつきそうになる。まるで、“生きよ”と悪魔に命じられたような感動。
玄蕃白はブースの陰で息を詰めた。
当然の顔をして出立の場に立ち会っていた東雲玄斎は庭の隅に立ち、ただ静かに目を伏せる。
――この男が作ろうとしているのは、彼女が戻ってくる場所だ。
それを理解しているのは、この二人だけだった。
リィン――。
鈴の音が鳴った。
誰が鳴らしたのか、誰の手にも鈴など見当たらない。
けれど、そのひと音が鳴り響いた瞬間、孝悌苑の空気がひっくり返った。
闇を裂くように、紫の閃光が走る。
何もなかった夜の空間に、光が形を持った。
最初は細い裂け目。
それが脈打つように震え、膨張し、やがて扉になった。
高さはおよそ二十五メートル。
縁を飾るのは見たこともない紋様。
紫と漆黒の光が幾重にも重なり、まるで宇宙の内壁をくり抜いたかのようだった。
ありえないものが、そこにあった。
音もなく、しかし確かな圧で、門はそこに存在していた。
捻じ曲げられた摂理が荒ぶる。
風が逆流し、竹林がうねる。
周囲の光が一瞬、全てその扉に吸い込まれていくようだった。
「……な、なんだ、あれ……」
誰かが呟く。
その声すら、すぐに闇に飲まれた。
これは、ミカド皇国には存在しない。
鬼道でもない。
闇属性の理の果て――。
それを理解した瞬間、人々の背筋を、ぞくりと冷たいものが這い上がった。
扉の表面が、ゆっくりと動いた。
闇の中で光がほどけ、蝶番もない巨大な面が、内側から押し開かれていく。
音はなかった。
代わりに、低い共鳴が空間全体を包む。まるで世界そのものが共鳴しているように。
開いた隙間から、白い光が漏れた。
霧のように漂うその光は、禍々しいほどに神聖で、見る者の魂を浄化しながら、同時に焼くような痛みをもたらした。
誰もが息を呑み、玄蕃ですら一瞬、指を止める。
――これが闇の力か。
言葉にならない畏怖が広がる。
異界の叡智が結晶したその扉に、蓼丸麟五が足を踏み出した。
「――行くぞ」
麟五が一言だけ告げる。
南海が真っ先に続き、従者たちは恐れも迷いもなく歩み出す。
誰も死地へ向かうとは思っていない。ただ、将と共にある――その誇りだけを胸に。
その瞬間、玄蕃白が両手を上げた。
「――よっしゃァァ!! 全員、鳴らせェッ!!!」
その一声で、世界が再び爆発した。
EDMのビートが蘇る。
ベースが地を叩き、スモークが風に舞い、レーザーが夜空を切り裂く。
竹林は光の洪水に沈み、音が生命の鼓動そのもののように脈打った。
誰もが踊っていた。
戦のために鍛えられた身体が、今はただ音に身を委ねて跳ねていた。
それは、解放だった。
蓼丸麟五という人類最強の男は、その背にミカド皇国の鎖を背負い、引きちぎっていく。
初めて訪れた自由。
誰にも支配されず、誰も支配しない夜。
それを祝うように、彼らは踊った。
涙と汗が光を弾き、拳を突き上げるたび、空気が火花のように散った。
ドロップの瞬間、全員が一斉に跳び上がった。
それはもはや音楽ではない。
魂の跳躍だった。
重力が消えたような一瞬、歓声と光と涙が一つになり、孝悌苑は祈りそのものの祭壇になった。
没入度の高いオタクの皆さんはEDMとの相性がいいはずだと以前より思っており、そのバイブスが漏れ出てしまいました。




