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【最終章】大江戸オブ・ザ・デッド〜魔法全盛の江戸で、弓しか取り柄がない私ですが兄を探してます〜  作者: 森戸ハッカ
第三章:風の段『風は動なり。鎖を持たぬ』

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24. 仕組まれた旅路

帰港と同時に、東雲は飛梅を連れて転移陣でどこかに消えた。


 その瞬間、蓼丸麟五の中で何かが焼き切れた。理性も任務も置き去りにして、彼は即座に特別消禍隊本部へと向かった。


 だが返ってきた報せは、あまりにも簡潔だった。


――幕府直轄小石川療養所預かり。


 理由は屍人感染の疑い。高能力者であるため収容先は、孝悌館地下の隔離房だ。隊長格ですら存在を忘れていた太古の遺物。


 つまり、彼女は特別消禍隊の施設内にいる。それでも、連絡も面会も一切許されないという。


「おいおいリンゴ君、そんな怖い顔すんなって。新人さんがトラブって療養所の連中が診てんだろ? 大事にはならねぇよ」


 軽い冗談と共に、他局の隊長が去っていく。書類の束を抱えて従う彼の部屋子の細い背中が妙に癇に障った。


 他の隊員たちも変わらず日常の動きを続けていた。


 報告書の山、通信機の点滅、伝令の往来。


 どこを見ても、いつもの特別消禍隊だった。


 だが、麟五の胸の奥で何かがずっと軋んでいた。怒りでも焦りでもない、もっと冷たいもの。


 (ーー手回しが、早すぎる)


 幕府直轄の療養所。

 それを束ねる東雲玄斎の名を出せば、誰も逆らえない。そう理解させられる仕組みが、事態発生から数時間で完成している。


 山本総長の承認を経ずに移送が完了しているのに、誰もそこに疑問を抱かない。


 まるで、最初から決まっていた手順をなぞるように。


「……妙だ」


 声に出すと、空気がわずかに震えた。


 重臣ではあるが、東雲単独でここまで段取りよく進むとは思えない。


 かつての隊長の治療に執念を抱く彼が、屍人治療の可能性を抱く飛梅を手に入れるために、働きかけた人物は誰か?


 御三家、という名がよぎり、ある人物の姿が浮かんだ。


 半分だけ血の繋がった、長兄の笑みだった。


 そんな彼の様子を、廊下の影から見つめている者たちがいた。


 海鎮ノ儀に参加していたテッサ、神保兄弟、そして南海。彼らは海鎮ノ儀の護衛という、誉ある任に就いていたとは到底思えぬ沈んだ顔を見合わせた。


 テッサは飛梅の弓を抱えたまま、静かに溜息をついた。


「……異常ね」


 そう呟いたが、それ以上、誰も何も言わなかった。


 飛梅のことは心配だったが、蓼丸麟五ですら手が出せぬ牢に入ったとあれば、それぞれが日常に戻るほかない。


 だが――彼らの視線は、完全には逸れてはいなかった。


「リンゴ君……ほんとに、一人で背負うなよ」


 神保兄弟の弟・剛が小さく呟くと、南海は勢いよく顔を上げた。


「俺は第七の百目だ! トビの怪我の責は俺にある。全力で事にあたらせてもらおう」


 その言葉に、テッサはわずかに眉を上げ、抱えていた弓を軽く持ち直した。


 唇に浮かんだのは、いつもの冷ややかな微笑。


「ご立派ね。では私も手を貸すわ。どうせこの国は、放っておくと立派な人から順に燃え尽きていくものだから」


 その声音はどこまでも穏やかだったが、そこに含まれた皮肉と憂いは、鋭い刃のように空気を切った。


「いいのか? 只事ではない事態になっていると俺のサイドエフェクトが警鐘を鳴らしている。ーー危険かもしれぬぞ」


 南海はぷっくりした頬を持ち上げた。ニヒルな笑みをつくったつもりらしい。


 甘やかされて育った巨大猫のような風体でありながら、自認がハードボイルド諜報員なのである。


「そうね。トビさんは、思ったより大きなものに巻き込まれているみたい。でも、殴ればいいのよ」

「えっ」

「やっぱり暴力よ。暴力は全てを解決する」


 テッサは微笑んだ。

 何が士族だ。幕府の重臣であっても、テッサに敵う人間はいない。自分の権力が上だと甘んじて、平気で平民を踏みつける様には反吐がでる。


 神保兄弟は互いに視線を交わし、無言で頷く。


 テッサの言葉で、些か常識とは異なる解決法をインストールしたのは間違いなかった。


 南海はモゴ……と躊躇った後、短く「恩に着る」とだけ言って、足早に廊下を進んだ。


 誰も指示を出してはいない。


 だが、彼らはそれぞれの持ち場へと散っていく。まるで、見えない合図に導かれるように。


 冷たい室内灯の光の下、彼らの背が次々と遠ざかる。その一つひとつの背中が、奇妙に眩しく見えた。


 それでも麟五には、その光が届かない。


 誰かが動いてくれていることも、その背中の奥にある焦燥や祈りも、何ひとつ見えなかった。


 ただ、自分だけが取り残された気がした。


 世界が静かに回る音が、やけに耳に痛い。


 そして、麟五は悟った。

 自分だけが、ここで世界を見失っているのだと。


 飛梅の小さな背が魔力を封じる檻に収監されたとき、世界が壊れたと思った。


 けれど今この場で、時間はいつも通り流れ、人々は笑いながら勤務していた。


 彼女がいなくなったというのに、誰も世界を止めようとはしない。


 蓼丸麟五は、静かに息を吸った。


 世界が平然と続く中、自分だけが異常に焦っている。


 ーーそんな世界に価値はあるのか?


 麟五は長い間、廊下に立ち尽くしていた。



◆◆◆



 数時間後、飛梅が囚われて12時間余り経った。麟五は江戸特別消禍隊の各隊長が集まる隊長会議に出席していた。


 総長の山本ジョージは、いつもの伝法な調子で言った。


「感染の疑いだってな? 小石川の医師が診るらしい。隊の子らの話じゃ、すぐ動けてたってんだろ? 心配すんな、すぐに戻ってくる」


 連日閑古鳥の隊長会議も、本日は全員揃っていたことに山本が喜んでいるのがわかる。


 議題は海鎮ノ儀に移る。屍人発生からの鎮圧は日常業務であったが、千五百年無事故できていた伝統の式典で、しかも艦長が言う通りに万全の防護体制をしいていたのにも関わらず屍病が発生したことに関して皆が議論が白熱させる。


 誰も飛梅の名は出さなかった。

 

 そのことが、蓼丸麟五の神経を逆撫でした。


 だが、彼らに憤っても意味がない。彼は短く一礼し、無言で部屋を出た。


 廊下に出ると、胸の奥がざらつく。


 左目の奥が熱い――護芒星。


 彼の瞳に刻まれた赤い五芒の印は、四大元素を統べる者の証。水、火、風、土を支配する“人類最強”の象徴でありながら、それは呪いでもあった。


 “人を殺してはならぬ”という絶対の制約。


 十四の歳、皇に刻まれた日。世界は歓声に包まれたが、麟五はただ一人、奴隷になった気がしていた。


 誉れなどではなく、鎖。


 いま思えば、あの日こそがすべての始まりだったのかもしれない。


 殺意を諫めるように、瞳の奥で護芒星が脈打つ。


「……いっそ、この目を抉ってしまえば」と一瞬、思った。


 そうすれば飛梅を、幕府の鎖から取り戻せるのではないか。


 理性がかろうじてその衝動を押しとどめた、その時だった。


 胸元の携帯木札が震えた。

 嫌な予感を抱えながら、応答する。


「──久しいな、リン。お兄ちゃんだよ」


 兄、蓼丸備悟の芝居がかった声音。

 それだけで、血が凍った。


「……兄上。今は――」


「今は、じゃないさ。飛梅の命がどうなってもいいのか? あんな蛮族の血がどうなろうと、蓼丸の血は騒がないか?」


 声は穏やかだったが、底に棘があった。

 麟五の呼吸が詰まる。


 やはり、と掌に汗が滲んだ。


 東雲玄斎は――外交官の頂点に立つ男、兄・備悟を動かしていた。


 恐ろしく早い。幕府の上層が本気で動いているとは思っていた。


「一時間後、実家で話そう。……いいね?」


 通信は一方的に切れた。

 掌の中の木札が、冷たく光を吸い込んでいた。



◆◆◆


 朝の光がまだ淡く、霞のように庭を包んでいた。


 その白い光の中で、蓼丸家の屋敷は眠る獅子のように静かに佇んでいる。


 正門は、黒漆塗りの高い長屋門。


 切妻の屋根には蓼丸家の紋が金泥で描かれ、朝露を受けてわずかに光を返していた。


 両脇の石垣は苔むしながらも崩れひとつなく、その整いようが、家の威を物語っている。


 門番が二人、黙して一礼。

 その動きに無駄がない。

 門が開くと、外気とともにひやりとした空気が流れ込んだ。

 空気の温度すら、外とは違う。


 参道は白砂と石畳で構成されている。

 両側には松と槇の老木が並び、剪定の鋏の音だけが遠くで響いていた。


 庭師たちは誰一人、顔を上げない。蓼丸の者が通るとき、視線を上げぬのが古よりの作法だった。


 玄関前には広い石段。

 両脇に銅製の灯籠が立ち、夜の名残りの炎が朝風にちらちらと揺れている。


 黒檀の大扉が静かに開いた。


 中から、黒の紋服をまとった従者たちが現れる。彼らは息を合わせたように一斉に頭を垂れた。


「お帰りなさいませ、麟五様」


 その声は、朝の静けさに溶けていった。


 光の射す玄関の奥――そこは、蓼丸の血を継ぐ者だけが踏み入れられる、静謐と権威の聖域だった。


 螺鈿細工の階段を上り、兄の私室の前で足を止める。中から氷がぶつかる音がした。


「入りなさい」


 扉を開けると、そこは異世界のようだった。壁一面の黒ガラスが新宿のビル街の夜景を映し出す。兄が外交官の権力を私的に濫用しバベル王国から仕入れた魔鏡だ。高層ビル群を見下ろす光景に、ここが二階だとは思えなくなる。


 冷ややかな香りが流れ出た。

 蒸留酒と革張りのソファの匂いが混ざり合い、そこはもはや居室ではなく、ひとつの嗜好の聖域だった。


 壁一面にはウィスキーの瓶が整然と並ぶ。琥珀色の光が揺れ、艶のある黒檀のカウンターが穏やかにそれを映していた。


 蓼丸備悟――伝統ある一族の嫡男にして、文官の頂点。


 だがその完璧な秩序の裏で、彼はコレクターでもあった。世界各地の酒を蒐集し、最近では自ら醸造にも手を出しているという。


 白いシャツに黒のスラックス。シェーカーを軽く振る指先は、音楽のように滑らかだった。


「よく来たね、リン。君の好みは、たしかジンベースだったろう」


 シェーカーを軽く振り、透明な液体がグラスに流れ落ちる。氷が静かに鳴り、光が屈折してカウンターの上に淡い輝きを落とした。


 光と香りが混ざり合う。

 その瞬間、蓼丸備悟という男のすべてがこの一室に凝縮されていた。


 備悟は完璧に笑う。

 しかし、その微笑に感情はない。


 麟五は黙してグラスを受け取った。

 兄とは決して分かり合えない。文官の頂点と、武官の頂点。同じ血を分けながら、見ているものがまるで違う。


「……飛梅の件だな」

「そう。感染の疑いと聞いているだろうが、実際は違う。ーーあれは闇属性能力者の可能性が高い」

「闇……属性?」


 その言葉を聞いた瞬間、蓼丸麟五の胸の奥で何かが音を立てた。


 国内には存在しないとされていた“第六の力”。


 彼の脳裏に、試験場で初めて彼女を見たときの光景が蘇る。


 他の四元――火、水、風、土であれば、彼はその気配を皮膚の裏で感じ取ることができる。それはもはや呼吸のようなものだった。


 だが、飛梅だけは違っていた。何かが“視えない”のに、“確かにそこに在る”と感じた。それは彼の第六感が拒みながら惹かれた、未知の領域。


 ――やはり、そうだったのか。


 驚きと、得体の知れぬ確信。

 胸の奥に燃えるような痛みが走る。


 あの少女は、自分が守ってきた世界の理の外側に立っていたのだ。


 気づけば、グラスの中の氷が小さく鳴っていた。


 備悟はその様子を愉快そうに見つめながら、淡々と続きを告げた。


「……ちょうどいい時期だ」

「時期?」

「バベル王国との折衝が迫っている」


 兄の声は静かに、淡々と流れる。


「バベル王国――世界で唯一、闇属性能力者を生む国。ゲヘナという魔界の森を抱え、闇魔素が血を変える。彼らにとって闇は畏怖ではなく、信仰だ」


 備悟は刹那、どこか遠い目をした。


「そして、二十年前にその国へ嫁いだ女がいる。輝夜太夫。伝説の女狐は第二王妃となり、第三王子を産んだ。その王子はいま、騎士団長だそうだ。……息子に王位を狙わせぬとは、廓の女は──」


 備悟は、そこで言葉を切った。


 麟五の瞳が静かに揺れる。自分もまた、花魁の子。兄が言いかけて止めたのは、忘れているほどに弟を思っている証。だが同時に、言葉の途中に滲む階級意識が、彼の心を冷たく刺した。


 備悟は話を戻す。  


「そのカグヤ妃が聖誕祭の準備で“富籤一式”を求めている。盆暮のミカドジャンボ富籤の規模だ。印刷機、印刷紙、鑑定機。対価は五億円相当。外相はヴォルフガング公爵――通称“御老公”だ」

「それが俺に、どう関係する。貿易は俺の仕事じゃない」

「表向きの話はな。だが私が本当に欲しいのは金などではない。闇エネルギーだ。東雲に試算させた。創薬に必要な純度の闇素、五億バベリウム」


 兄の瞳が、まるで宝石のように輝いた。それは夢ではなく、計算の光だ。


「あるいは、闇属性特級能力者を五十年派遣してもらうのもいい。だが、成人特級の渡航は禁じられている。未成年を除いて、だ。お前がそうであるように、彼の国にも未成年の特級の1人や2人いるだろう」


 備悟は琥珀のグラスを傾け、淡い光を覗き込むように言葉を続けた。


「──分かるだろう? 特級を抑えられるのは、特級だけだ。力の位階が違えば、どれほどの兵を積み上げても意味がない。ゆえに、交渉の場にも均衡が必要なんだ」


 静かな声だったが、その中に逃げ場のない理があった。備悟の言葉は、あたかも自然法則のように重く響いた。


 その瞬間、蓼丸麟五は悟る。

 兄の視線が最初から自分を指していたことを。護芒星を持つ唯一の存在――彼以外に、この任を担える者はいない。そのための人質が、飛梅だったのだ。


「……つまり、俺を行かせたいわけだ」

「察しが早い。私は無能力者に近い五級だ。魔素の濃い地では肺が焼ける。だが、君なら護芒星の庇護がある。バベルでも同類として扱われるだろう」


 備悟は立ち上がり、弟の肩に手を置く。

 その手は優しく、だが逃げ場のない命令の重さを帯びていた。


「行ってくれるね? リン」


 氷が割れる音が静かに響く。

 麟五は目を閉じた。  


 兄の声音は穏やかで、まるで仕事の話でもしているかのようだった。その口調には一片の情もなく、取引の条件を読み上げる商人のような平静さがあった。


 だが、その言葉の底には、別の確信が潜んでいた。


 ――飛梅は“交渉材料”に過ぎない。


 弟を異国に送り出すための、便利な駒。そして、場合によっては観察対象として利用できるかもしれない程度の存在。  


 備悟にとって、彼女は人ではなかった。

 道具ですらない、盤上の石。どう転んでも自分の利益になる位置に、最初から置かれた石だった。


 まさか、その小さな石に弟が心を奪われているなどとは彼は夢にも思っていない。


 蓼丸はそれを理解していた。

 だが、人を殺せぬ己には抗う術がない。飲み込むしかないのだ。


 最強の力を持ちながら、自らの意思では動けない歯車の一つとして。 


 護芒星が左目の奥で赤く脈打つ。

 それは誇りの光ではなく、鉄鎖の痛みだった。


 出立は今夜。

 すべての歯車が、音を立てて回り始めていた。


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