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大江戸オブ・ザ・デッド〜魔法全盛の江戸で、弓しか取り柄がない私ですが兄を探してます〜  作者: 森戸ハッカ
第三章:風の段『風は動なり。鎖を持たぬ』

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20. 海鎮ノ儀

 海鎮ノ儀ーー。

 それは千五百年前より続く大祀であり、秋彼岸の頃に行われる。


 幕府水軍庁および皇天宮庁の人間達で執り行われるこの儀に列席を許される特別消禍隊は、各局のうち目覚ましい功績を上げた者のみ。現隊長陣はそれぞれ列席経験を持っている。


 護衛は名誉であり、同時に国家最高位の信任を意味した。


 特別消禍隊では、長らく第七局の名が推挙の筆頭に挙がってきた。


 蓼丸が入隊してからも彼の存在を中心に推薦が続いたが、第七局は現業を優先し、式典の任務を辞退し続けてきた。


 それでも推挙の頻度は歴代最多。

 その卓越した戦績と統率力から、人々は「華の第七」と彼らを呼んだ。映えある任務を横に置き、自らを影に置こうとする光を人々は見逃さず、「華の第七」は長年江戸っ子達の心を掴み続けている。


 しかし今回の選抜は、蓼丸麟五ひとりの功績によるものではなかった。


 麟五は出立前に書状を開き、自分の名の下に書かれた第七局第一班の面々の名に目を滑らせる。


 《鉢屋テッサ 水系一級 砂系特級》

 《南海ノック 水系一級 火系三級 風系三級》

 《神保烈 水系特級 火系三級》

 《神保剛 水系特級 火系三級》 

 《飛梅音 水系三級 風系三級》


 夏季に増加した蘇り屍人への対処で、彼らは火気を一切用いずに被害を最小限に抑え、「冷静なる制圧」として幕府上層部の高い評価を受けた。


 結果、彼ら全員が名誉護衛として海鎮ノ儀に参列することとなった。


 麟五は静かに書状を閉じ、前に立つ部下達を見つめ、口を開いた。


「海鎮ノ儀では火気の使用が禁じられている。炎は海を汚すとされるからだ。ゆえに、お前達が推挙され、この栄誉を賜った。護衛を賜ることは誉であり、同時に試練だ。心して任するように」


 言葉は淡々としていたが、底には揺るぎない信頼があった。


 メンバーは誇らしげに、敬礼の姿勢をとる。


「飛梅。艦上における遠距離の制圧は弓に頼るしかない。お前に任せる。心を乱さず、射を曲げるな」


 書状に書かれた能力では著しく劣る新米ではあったが、この夏の功績の立役者である飛梅への言葉を、横に並ぶ先輩隊士達は誇らしく受け止めていた。


 一方、飛梅本人だけは、言葉の裏に隠された声を聞いていた。


「ありがとうございます! 心を乱さず、射を曲げず……」


 ーー東雲玄斎を、必ず的にします。


 その決意を飲み込み、飛梅はきらめく瞳で、深く頭を垂れた。


「承ります!」



◆◆◆



 翌日、護衛艦「不動」の甲板。


 海風が鉄の匂いを運び、整列した水兵たちの白い制服をはためかせていた。


 潮風が吹き抜け、白布が鳴る。


 艦長は背を反らし、声を張り上げた。


「耳をかっぽじって聞け! この千年、海鎮之儀に乱れは一度たりとも起きとらん! わしら水軍の防疫は完璧じゃ。船員どもはひと月前から洋上に籠もり、外気との接触を断っとる。屍人が大量に発生するには“最初の一人”がいるはずじゃが――それを絶てばええ。それをわしらは守り抜いてきたんじゃ!」


 潮騒を圧する胴間声に、兵らは胸を打たれた。


「今日も何事もなく終わる。そう信じとる。……疑う者はおらんじゃろう!」


 整列した兵たちは一斉に応じ、士気の声が響いた。


 部下の1人が特別消禍隊の到着を告げると、艦長は手を振って誘う。


 特別消禍隊は臨場隊服を身につけていた。

 水軍の人間達の正装にもなる白い制服と比べると、護衛としての実をとったそのシルエットはあまりにも無骨に見えた。千五百年間、一度も護衛の必要などなかったことを鑑みれば、仰々しく滑稽ですらある。


 水軍庁長官である艦長は幕府に身を置く士族だ。御三家蓼丸一族の者と言えど、蓼丸麟五より立場は上。


 艦長は余裕の表情で入艦してきた彼らを眺めまわし、飛梅の背に背負われた弓に目をとめた。


「おいおい、弓か? 今どきそんなもん担ぐ奴があるか。海原で猪でも出ると思っちょるのか」


 笑い声が列の端でかすかに漏れる。


 だが、飛梅は表情を変えず、指先で弦を確かめただけだった。


 蓼丸が一歩前へ出る。


 巷でも圧倒的な人気を誇る当代の麒麟児を初めて見た者達は、威圧感に気圧されて息を呑んだ。


「部下への直言は控えて頂きたい。彼らの指示権限は私にある。今、笑った者ーー万に一つの備えを笑う者が、万を守れると思うな」


 艦長は舌打ちし、一同と共に黙り込んだ。 


 重く静まり返った艦上の時を動かすように、下方から鈴の音が響いた。


 夕刻、群青と金の境をたゆたう陽が沈む直前の空の下、ミカド皇国国旗の描かれた幟に囲まれた豪奢な籠がゆるやかに進んでいた。


 艦首に舷梯が降ろされ、軍楽の音が海風を裂く。

 

 籠は皇宮庁の風能力者達によって、重力を感じさせぬ動きで艦に降り立った。


 籠の両側に付き添う皇官達は官服姿に、白い面布を付けている。


 直視すら許されぬ神。


 皇の入艦に、人々の動きが止まり、甲板全体に静かな緊張が広がった。


 息の詰まるような静寂の中で、飛梅はただ1人、東雲玄斎の姿を見つめていた。


 水軍でも、特別消禍隊でも、皇宮庁でもない立ち位置に彼とその部下達は陣取っていた。それも正装ではなく、医官姿で。


 その事実は、飛梅の胸にある種の感銘を齎した。


(この人は、本当に、屍人治療を願っているだけなんだろうなーー)


 功名や謀略ではなく、ただ真摯に。

 敬愛する、かつての隊長の回復のために。


 失踪した兄の消息を知る人物として注視はしているが、彼女にとって東雲は敵ではなく、あくまでも兄を取り戻すための的であった。


 鶴のような老人姿を見る。

 聞けば彼は、本来まだ35歳なのだという。母よりも遥かに若い。隊長の命を救うために、文字通り命を削ったのだ。


 話せばわかる相手かもしれない。

 そんな期待すら湧いた。


 ーー子供は世界を都合よく、自分の見たい形に切り取ってしまう。


 世界は決して自分の思うような形などしていないという残酷な真実に、彼女はまだ気づいていなかった。


 世界は正しさでできていると、どこかで信じていた。


 だが、戦争とて正しさと正しさのぶつかり合いである。世界は理ではなく力で動く。その残酷な均衡を、十代の少女はまだ知らなかった。


 それが、同い年の蓼丸麟五にはない、飛梅の決定的な甘さだった。


 夕陽が沈みきる頃、艦は静かに沖合へと滑り出す。


 甲板のあちこちで松明に火が入れられ、提灯が吊るされた。


 やがて鉄の巨体は光をまとい、海面に無数の灯を映し出す。


 その光景は、まるで船全体がひとつの灯籠になったかのようだった。灯火のゆらめきが波と共に揺れ、空と海とが境を失っていく。その幻想の中で、人々は思わず息を呑んだ。


 この夜ばかりは、死者と生者が隣り合う。


 古くからの言い伝えが現実のものとなり、艦上を満たした。


 夜の帳が降りる。


 御簾の奥から、皇の声が静かに響いた。


「妾がこの海にて、亡き者どもを鎮めん……」 


 それはか細い、少女の声であった。


 笛が細く高く鳴り、太鼓が低く応じる。香炉の煙は檜と沈香の香を放ち、潮の匂いと溶け合って甲板を包む。


 巫女たちが灯籠を海へと流すと、波間に無数の火が浮かび、やがてひと筋の光の帯を成した。


 現世と彼岸を結ぶ橋――まさにその名にふさわしい光景だった。


 儀式は滞りなく進んだ。


 巫女達による奉納舞が終わり、艦長は誇りをいっぱいに浮かべ、高らかに指示を出した。


「任務完了。回頭し、帰投する!」


 ーー次の瞬間だった。


「……う、うぅ……」

 

 突如、最前列の船員が膝を折り、呻き声を漏らした。


 背を丸め、吐き出す息が泡立つ。


「お、おい……」


 隣の仲間が気遣って顔を覗き込むと、船員は濁った瞳で咆哮をあげ、その肩に獣のように喰らい付いた。


「な、なーー……!?」


 喰らわれた男の声は言葉にならなかった。

 そのまま絶命し、倒れたかと思えば、息の途切れるより早く痙攣一つで立ち上がった。


 皮膚が灰色に変色し、目は虚ろに濁る。

 息を引き取ってから数秒。

 まるで死と生のあいだに扉など存在しないかのように、男は屍人へと変じた。


 その異常な速さに、誰も声を出せなかった。


 ただ、恐怖だけが船を包んだ。


 最初に屍人となった全員が踵を返すと、絶叫が上がり、隊列が崩れた。


 屍人と化した男達は唸りながら、ぎこちない歩みで声の方向へと進んでいく。


 逃げ惑う者たちは反射的に後退し、甲板の奥から舷側へと押し出されていった。


 その騒ぎに、奉納舞を捧げていた巫女たちの叫びが重なる。


「いや……いやぁあっ!」


 その悲鳴が消える刹那、新たに屍人に噛みつかれた男の身体が勢いよく弾かれ、首からの鮮血が弧を描いて宙に散った。


 松明の光を受けた赤が、夜空に花のようにパッと咲いた。


 それはまるで、儀に捧げられた供物のようだった。血の滴は風に乗り、灯籠と花弁の浮かぶ海へと落ちていく。


 海面がひときわ赤く染まり、笛の音が歪んで止まった。


 ――海鎮ノ儀は、ここで祈りを失った。


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