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大江戸オブ・ザ・デッド〜魔法全盛の江戸で、弓しか取り柄がない私ですが兄を探してます〜  作者: 森戸ハッカ
第二章:火の段『火は力なり。意志なき者に宿るべからず』

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19. 月を見ない夜


『若! カンちゃんに無理な注文したらしいな!?』


 9月に入り、麟五の姉の出産に伴い、父でもないのに育休をとっている腹心の部下佐々木カイロから電話が鳴った。


「……久しいな。姉上は息災か?」


 姉の珊瑚は無事に男児を出産した。事前の予測通りに特級の赤子であったため、蓼丸の御用人一族である佐々木家の優秀な能力者達は育児に奔走している。


 蓼丸麟五も同様に佐々木家に預けられて育ったため、彼らの忠心を尽くした育児は身をもって知っていた。


 ふと懐かしい気持ちで振り返っていると、新生児育児の睡眠不足から苛立っているカイロが声を荒げた。


『珊瑚姫もベビーも元気だよ! アンタにそっくりで夜寝ねえけどな! 若、聞いてるか? カンちゃん、若に頼まれた洋服が買えなかったからって怯えきって爺に泣きついたんだぞ! 可哀想に、爺は80歳なのに開店前から並んで……』


「教官〜! どうですか? 似合いますか?」


 とてとてと近づいてきた飛梅がうれしそうに麟五の前でくるりと回転してみせた。


 身につけているのは衣料品チェーン店『ちまむら』で限定販売されたゼンリョクジャーコラボ商品のパーカーだ。


 ショートパンツにメンズのMサイズのパーカーを羽織っているため、萌え袖&生足という強火力、さらに照れて上目遣い。


「似合ってる」


 麟五は左肩にカイロが喚く携帯木札を挟み直すと、右手は猛スピードでカメラのシャッターを切った。友人のカメラマンに撮られることに慣れている飛梅が無意識にポーズをとる。それがまた可愛い。


「ほわぁー! うれしいぃぃ。本当に頂いていいんですか? 限定コラボのことは知っていたんですが、仕事があるから並べないなって諦めてたんです〜! どのように手に入れられたんですか?」


 ゼンリョクレッドのパーカーを着たまま、惚れ惚れとゼンリョクブルーのパーカーを持ち上げて眺める様子は子犬のような愛らしさだ。  


 麟五は心から微笑んで頷いた。


「実家が少し、な」

「すごーい! 蓼丸家って、なんでもつながりあるんですねぇ。さすが御坊ちゃまだなぁ」


 飛梅に目を細めている間に、電話のがなり声はまだ続く。 


『一回で全色買えなかった爺は「お役目を果たせなんだ」とか言って腹切ろうとしたんだぞ! なんだ、ゼンリョクジャーパーカー全色購入任務って! そんな任務、特別消禍隊にあるわけないだろうっ!』


 佐々木一族の長老、佐々木煖炉。老武士と言われて人が思い描く姿そのものの彼に、カイロの甥の貫路6歳が泣いて頼んでいる様子が容易に浮かび、思わず吹き出しそうになったが咳払いして誤魔化した。

 

「ご苦労。皆と姉上の息災を祈る」


 通話を終え、一拍。

 私室の隊長室に置いた高級メーカーの革張りの椅子に麟五は腰をかけて腕を組んだ。


「……飛梅」


 低く抑えた声が、静かな室内に響いた。

 ベッドの上でパーカーを丁寧に畳んでいた飛梅が明るい笑顔で振り向いた。


「はい、なんでしょう!」


 麟五は真っ直ぐ飛梅を見据えた。


「次の海鎮ノ義ーーその護衛任務に、お前を推挙する」

 

 飛梅の灰色の瞳が大きく見開かれる。

 そして思わず、素の一人称が出た。

 

「わ、私を……ですか?」


 海鎮ノ儀ーー。


 それは千五百年前より続く国家の大祀であり、毎年、秋彼岸の頃に行われている。島国であるミカド皇国が海と共に栄え、海に幾万の命を失ってきた証として、一度も欠かされたことない最古の祭祀。


 常は皇京宮に座す皇が、この日ばかりは自ら海に赴き、祭祀を執り行う。


 国家の安寧と永続を象徴する、最も神聖な行事だ。

 

 飛梅も当然、海鎮ノ儀は知っている。

 

 それを執り行う国の象徴にして神の代行たる存在ーー皇のことも。


 皇は古い時代に日本から渡来した人物だと言われているが、常は皇京宮の奥深くに在し、その姿を見たものはほとんどいない。名すら明かされていない。

 

 だが、その御座の存在を疑う者はこの国にはいなかった。


 皇は祈り。

 皇が息づく限り、この国は海に沈まぬーー古来よりそう信じられてきたから。


「皇の護衛は映えある務め。入隊からわずか四ヶ月、試用期間にある者が任じられるのは異例だ。……俺以来だな」


 喜びと緊張が入り混じる飛梅の胸中だったが、すぐに瞳が揺れた。見つめる麟五の眼差しは重く、続く言葉がただならぬことを告げていた。


「だがーーひとつ、懸念がある」


 声は低く、鋭さを帯びる。


「海鎮ノ儀には小石川療養所の所長、先日お会いした東雲玄斎殿が出席する。海で命を落とした魂を慰めるための式典だが……屍人海難研究を口実に、ここ十年は必ず姿を現している。幕府の要人でもあられるしな」


 こくり、と飛梅の喉が鳴った。

 麟五の金色の瞳が鈍い光を放つ。


「俺は、あの男がお前の身内の失踪に関わっていると睨んでいる。ーーそして、お前の存在に勘付いているだろうとも」


 あの男、と、幕府の重鎮に対して言い捨てた麟五を見て飛梅の唇が震えた。


 だが反論も否定もせず、ただ真剣な眼差しで続きを待つ。


 目の前の少女が名を借りている飛梅の兄、飛梅音。


 麟五はその顔を知らない。

 しかし、先日東雲玄斎が飛梅を見つめる視線から、この答えに確信を持っていた。


 麟五はわずかに眉を寄せた。


「東雲殿は、すでに隊員リストの初稿に目を通しているはずだ。その中に“飛梅”の名を見ている。リストの見直しの指示は来ていない。つまり、止めるどころか、むしろお前を儀式に近づけることを許している……これは、罠かもしれん」


 沈黙の中、灯の火がぱちりと音を立てた。


 やがて麟五は拳を握りしめ、強い声音で告げた。


「あえて問う。何があっても、俺が守る。ーーだが、それでも行くか?」

 

 一瞬の逡巡もなく、飛梅は背筋を伸ばし、きっぱりと答えた。


「行きます!」


「……理由を言え」蓼丸の声は低く沈む。


「家族のーー妹の足跡を追うためです。あの人は、僕の顔を知っている様子でした。よく似ている顔を見たはずなんです。どんなに危険でも、あの人に近づける可能性があるなら、行きます! 手がかりを見逃すわけにはいきません」


 失踪した兄を妹だと言い張る、少女の頑なさの奥に消えない決意が燃えていた。


「それに、教官と一緒なら怖いことなんてないですし!」


 麟五はしばし黙し、彼女の決意を見極めるように視線を注ぐ。


「海鎮ノ儀では、火・土・風・水の鬼道使用が禁じられている。すなわち、我が隊の要は弓となる。飛梅ーーお前だ。お前の腕ならば、皇というこの国で最も尊き御方の護りを任せても恥じぬと判断した。誇れ。これは名誉である」 


 そして深く息を吐き出すなり、飛梅の胸元に拳を当てた。


 稽古で何度も触れている。

 その夜も厚手のパーカー越しに彼女が豊満な胸をしっかりと隠していることがわかり、惹かれる女性に触れた十代の男子に似つかわしくない痛みが麟五の胸を刺した。


 憐憫だった。


「だが心に刻め、飛梅。お前はまだ成っていない。俺の目が届かぬ所で無茶をするな」

「はい!」

「覚悟の上で、務めを果たせ」


 灯明が、2人の影を畳に長く落としていた。


 飛梅はまっすぐな瞳で、揺るぎなく前を見据えている。


 その姿は、まだ幼さを残しながらも、確かに隊士と呼ぶに相応しい凛々しさを纏っていた。


 身分詐称という危険を犯しても家族のために単身飛び込んできた勇気は、変わらず好ましいとは思う。 


 だが麟五の胸中は、別のものに締め付けられていた。


 もし彼女を失ったら?


 想像しただけで、胸の奥が軋む。


 これまで死を恐れたことは一度もない。仲間の死を看取っても、冷徹に背を向け、歩き続けてきた。


 なのに、今は違った。


 灯明に照らされたあどけない頬を見つめるたび、喉の奥に熱いものがこみ上げる。


 これはただの責務か、それともーー。


 麟五は自問を打ち消すように、拳を膝の上で握りしめた。


 気づいてはいけない。

 気づいてしまえば、守るという誓いすら揺らいでしまう。


 彼女を守りたいとなど、俺はまるで考えていないのだから。


 誰にも触れられず、見つけられぬ場所に閉じ込めたい。世界ごと焼き払ってもいい。

 

 この瞳が、自分だけを見ていればそれでいいのだと願っていることなど。


 飛梅は目の前の人類最強の教官の眼差しに暗い色が漂っているのを見て、見当違いの至らなさに視線を下げた。


(まだぺーぺーの私を東雲玄斎に近づくチャンスだからって起用するなんて、それは色々と心配だよね!)


 今日も絶好調に鈍感な飛梅は小さく頷くと、にへらと笑みを浮かべた。


「ありがとうございます、教官。自分はまだ至らなくてーーせっかく頂いた機会も、何も活かせないかもしれませんが、任務を優先します。やっぱり、僕は教官とお会いできて、本当にしあわせです」


 その屈託のない言葉が、麟五の胸を鋭く抉った。


 どうして彼女は、そんな無防備な笑顔を向けられるのか。罪なほどまっすぐで、何も知らずに。


 飛梅は兄を想い、未来を信じている。


 この光を見上げるたび、近頃は胸の奥で何かが軋んだ。


 触れれば砕け、掴めば穢れる。


 自分が、そんなものに心を奪われ、理性という檻を軋ませる獣であることを突きつけられる。


 けれど、目を逸らせなかった。


 彼女の存在は、あまりにも清らかで。


 それを汚すことを恐れながら、同じほどに汚してしまいたいと願っていた。


 上官の懊悩にはつゆほども気づかず、飛梅は勢いよく障子に向かって行った。


「あ、そうだ! 少し待っててください。今日ね、教官のお好きなカルヴァドス、一階のバーコーナーの隠し棚にあったの見つけたんですよぉ〜! とってきますね!」


 その言葉に、麟五は動揺した。


 どうして、そんなことまで覚えている。


 小さな仕草や嗜好を気遣うその優しさは、部下に必要な資質ではない。


 だが彼女は、それをただ自然にやってのける。自分の想いなど欠片も知らぬままに。


「……勝手に気を使うな。新米の分際で」


 短く冷たい言葉を返すが、飛梅は気にする様子もなく「はぁい!」と明るく返事をして出て行った。


 静寂が戻る。


 麟五の胸の内には、どうしようもない焦燥が広がっていった。


 彼は国内屈指の名家の生まれだ。しかし、その天賦の才を礎に幼少より鬼道と礼法を叩き込まれ、家を離れて己の力でここまでの地位を築いた。


 だが、それでも所詮は一軍人に過ぎない。

  

 幕府の命があれば、どれほどの功績も一夜で塵になる。


 幕府に職を置く者は士分を与えられる。それはバベル王国でいう貴族に相当する地位であった。特別消禍隊に属する彼は本来持つその身分を現在手放していた。


 一方、東雲玄斎は幕府直轄医務院小石川療養所を総べる。


 屍人対策と医政を司るその地位は、もはや御三家に並ぶ影響力を持つ。


 東雲にとって飛梅という存在は、見逃すだけの利があるのだろう。


 その理由に、麟五は確信を持ちつつあった。


(恐らく飛梅はこの国にはいないとされていた闇属性能力者だ。そして、屍人もーー)


 先日の祭りの際、四大魔素を練り上げて重力として振りおろす『四象』という技を使った。最大限コントロールしても、あの強い技は周囲の能力者から魔力を奪う。


 だからテッサは土塀を解除し、レッツ&ゴーの双子は仁王フォームから通常体に戻っていた。


 だが飛梅はなんら影響を受けることなく、自身の放った矢を手元に回収していたのを麟五は確認していた。


(魔力を吸い上げられないが、何かがあるという感触があった。微かだが、屍人も。死体が蘇ることに闇エネルギーが関わっている……?)


 失踪した飛梅の兄も、飛梅同様に闇属性も持っていたため、確保されているのではないだろうか。


 屍病治療は東雲玄斎の人生を賭けた悲願だ。そのために法を越える権力もある。


 一方、あの男が「不要」と判断すれば、隊士ひとりの命など紙一枚で消える。


 麟五であっても、止められはしないだろう。


 ーー守りきれぬかもしれない。


 その言葉が脳裏を掠め、麟五は怒りで魔力を揺らがせた。


 どれほど魔力を磨いても、この国では権力という見えぬ刃には抗えない。


 そしてそれが、あの少女に向けられるのかもしれないーーそう思った瞬間、心の奥底で静かに箍の外れる音が聞こえた。


 神を護るために生まれた士分。

 

 その士分が奪うというのなら、神ごと焼き尽くそう。


 この世界が彼女を拒むなら、世界ごと滅びればいい。


 麟五は椅子に預け、深く息を吐く。


 窓の外、雲間から漏れる月。


 その光に、どこか人ならぬ美貌が滲んでいた。


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