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大江戸オブ・ザ・デッド〜魔法全盛の江戸で、弓しか取り柄がない私ですが兄を探してます〜  作者: 森戸ハッカ
第二章:火の段『火は力なり。意志なき者に宿るべからず』

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17. 飛梅家の休日

 畳に広げられた蚊帳の中は、やわらかな月明かりに照らされ、小さな思い出の箱のようだった。


 開け放たれた空間には、山の涼しい夜風と虫の声が届く。


 飛梅は心地よさにうっとりと目を閉じた。


 蓼丸麟五の部屋子になった2ヶ月目、里帰りの許可が降りた。48時間の自由である。


 ストーカー気質を完全に隠した麟五が「俺は使わないから乗るといい」と侍従が運転する蓼丸家の車をすすめてくるのを「あ、自分、黒塗りのセンチュリーだと酔うので! お気持ちだけで!」と固辞して、電車で4時間かけて帰ってきた。


(正直、助かったーー……)


 痛む腰を電車のシートに預けて、ぐったりと飛梅は俯いた。


 電車に乗った瞬間から、能力で眠らせていた生理を起こしている。屍人が血の匂いに引き寄せられるため、女性の水系能力者は非番の日にまとめて短時間で生理を終了させるのが常であった。


 能力さえあれば、一般人でも旅行にあわせて調整したり、アスリートが試合と重ならないよう行う行為であったが、試験前からも含めて3回分を溜め込んでいたのでさすがに堪えた。


 男性のふりをしており、さらに休日も基本的に麟五から離れられない部屋子という身分である。最悪、兄に成り替わり特別消禍隊に潜入する8ヶ月間の生理キャンセルも覚悟していたため、今回の休暇には心から安堵した。聞けば、また2ヶ月後に里帰りが許されるのだという。


 兄の気配の端を掴んだ今、幸運の流れが自分に来ているような気がしてならず、飛梅は嬉しくなった。


 浴衣のまま寝転び、団扇で顔を扇ぎながら笑いを含んだ声を上げた。


「やっぱり、こっちの空気はいいね。江戸じゃ夜でも息苦しくてさ」


 本を読んでいた手を止めて、母はおどけた顔をした。


「青梅も江戸ですぅ! もう、すぐ田舎扱いして!」


 飛梅カフネは自分とよく似た娘の瞳を見下ろして微笑む。


「あなた、小さい頃もそう言ってたわよ。『山の空気は甘い』って。ーーパパがよく言ってたから。この家の風は、山の匂いがして一番だって」


 風系に長けた能力者であった父の顔はもうぼんやりとしか思い出せない。


 だが、会話など温かい記憶は消えずに残っていた。


「パパ……もう十年か」


 カフネは蚊帳の布を見上げ、遠くを思うような声を出す。


「早いものねぇ。あの人はいつも不器用で、でも人一倍やさしかった。ーー実はママねぇ、今回のことがなければ、10年経ったら追いかけようと思ってたのよ」

「えっ!?」


 跳ね起きた娘の額を笑って弾くと、そのままカフネは優しく髪を撫でてやった。


「パパは優秀な能力者なのに小さい頃から身体が弱くて。遠縁を辿って、こんな田舎に捨てるみたいに預けられててね。光るものはカブトムシしか興味がない男の子しかいない村で、パパは星座の名前を教えてくれたのよ。それは好きになるでしょう」


 母の手は弓を引き続ける者とは思えないほどやわらかく、温かい。


「ぜんぶだったの。幼なじみで、友達で、恋人で、家族で。面白いことがあったら、真っ先に話したくなる人。それが、全部なくなっちゃったのね。笑い合えなくなって……そのとき、ほんとに、生きていけないくらい辛かった。人って、“若くして死んだ人は可哀想だ”ってよく言うけどね……置いていかれる方がずっと可哀想よ。人生が続くのに、自分の一部が死んじゃったみたいでね。今も、ちょっと笑ったときとか、ふとした瞬間にね。あの人が横にいないのが、どうしようもなく寂しいの」


 2人の子供が18歳となるまで。

 そこまでは辛抱しよう。

 

 そう思った日から、生きるのが少し楽になった。悲壮感はなかった。ただ再び会いに行く約束の日を心待ちにするような、そんな日々。


「そんなことを考えていたからね。バチが当たったのかなって、思うの。お兄ちゃんが消えて、取り返しに行くって、あなたが男のフリをして入隊するなんて……」


 飛梅は少し唇を噛み、けれど笑みを浮かべた。


「パパの分まで、私が強くならなきゃね」


 そこで母の顔の翳りは濃くなった。

 ためらい、重くなった口を開く。


「でも、パパがいたら、お兄ちゃんのことは……」


『生まれてきてよかったと、一瞬でも思わせたら、子育ては成功だよ。カフネなら、大丈夫。僕は君に会えて、ずっとそう思ってきたから』


 幼い子供を2人遺して旅立った夫は、最期の病床で言って微笑んだ。


 夫が生きていたら、こんな危険なことに娘を送り出しただろうか?


 失踪した息子の命が途絶えていないことを知ってすぐに、娘は入れ替わりの案を出した。長かった髪を即座に切り落として見せたときは、自分の身が斬られたような音がした。


 カフネはずっと怯えていた。

 もし、失敗すればーー……


(生まれてきてよかったって、思えなくなる。きっと、そんな傷になってしまうーー)


「お兄ちゃんは、絶対に取り戻せるよ!」


 飛梅は勢いよく身を起こした。

 その瞳は、夏の夜に宿る星のように強く光っていた。


「狙えぬときは狙わぬも技のうちって教えてくれたでしょう。でも、私は狙える。もう少しで的が見えるの。だから、信じて待ってて」


 母は驚いたように娘を見つめ、それから静かに頷いた。


「無理はしないで。危ないと思ったら、すぐに帰ってきなさい。生き延びてこそ、次の弓が引けるのよ」


 師匠の顔になったカフネが、2人の間の緊張をほぐすように目をくるりと回した。


「本当にがんばらなくていいわよ。今だから言うけど、お兄ちゃんね、特別消禍隊に入っても半年で辞めるつもりだったんだから」

「えぇっ!?」 


 飛梅は目を丸くして叫んだ。


「アネモネちゃんの撮影スタジオが新宿でしょう? 青梅に戻ってこれるような仕事でもないし。だからあの子、将来はここを出て飛梅弓道場新宿教室を開きたいんですって。特別消禍隊は、そのためなの」

「んん? 隊と新宿教室に、何の関係が……?」


 兄の許嫁のアネモネの顔を思い出しながら首を傾げる娘の前で、母は笑い声を上げた。


「弓なんて今時流行らないから、生徒さんも年々減ってるでしょう? だから『元特別消禍隊直伝』って箔をつけたいんですって。チラシに書きたいって」

「まって……それだけのために!? チラシ目当てであの難関をクリアしようとしたの? しかし何で半年……試用期間か!!」

「そうなのよ〜! 正隊員になった瞬間辞めようとしてたアホなのよ〜! 恋は盲目よぉ」


 呆れて布団に倒れ込んだ飛梅は笑って言った。


「アホらし〜! こうなったらゴリゴリ成績上げて、お兄ちゃん連れ戻すよ。それですぐ辞める! まったくもう〜! 隊にも馴染んできちゃったのに、どうやって入れ替わろうかと頭を悩ませた日々を返して欲しいよ!」


 母と娘の笑い声が部屋にはじけた。

 

 蚊帳の外では、夜風が竹林を揺らし、葉擦れの音とともに青い草の香りが流れ込む。


 母娘の夜は、穏やかに更けていった。


(私は最高にツイてる! 明日からまた頑張ろう!)


 隊で実績を積み上げ、躍進を続ける飛梅はこのような夏の夜が最後のものとなることを知らずに幸福な眠りについた。



 


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