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少女がその回転寿司店の駐輪スペースに自転車を乗りつけたのは、五月のうららかに晴れた日曜のお昼時でした。世界がコロナ禍に突入する直前のことです。
自転車を降りた少女は、額ににじんだ汗をアディダスのジャージの袖口で拭うと、少しのあいだ寿司店の外観を見上げていました。そして思い出したようにショルダーバッグからスマホを取り出し、ピロン、と一枚店の外観の写真を撮りました。
――ついに来た。ここまで。
少女は思いました。バッグの中をまた漁って今度は財布を取り出すと、中の現金を注意深く確認しました。1000円札が二枚、500円玉一枚、50円玉一枚、あとは10円玉と1円玉が何枚か。にやり、と彼女は一人頬に笑みを浮かべました。
――食べてやる。
少女は思いました。
――今日はこころゆくまで、誰にも気兼ねせず、お寿司をたらふく食べてやる。
財布をバッグにしまいなおし、勢いよく店の入り口のドアを開け、中に入って行きました。
店に入ってすぐのところにある座席案内機を操作して、指定された席に向かいました。
店内には入口から見て左右に一つずつ、縦に長い回転レーンが設置されていて、そのレーンを挟んで席が合計四列、用意されています。そのうち右端の並びの席が一人席になっていましたので、少女は当然そこへ席を指定されました。
回転レーンに正対してずらりと並んでいる木製の椅子席に、一人客がまばらに座って、黙々とお寿司を食べています。少女は一人であることを少々恥ずかしく思いながら、その客たちの後ろを抜けて、指定された一番奥の席に向かいました。
席に着きました。少女は再び額を拭って、こみ上げてくる笑みを抑えるのに苦労しました。
回転寿司に一人で来るのは初めてです。財布の中には高校に入ってからすぐ始めた、喫茶店のアルバイトの初給料の一部が入っています。今日こそ、母や祖母や弟に気兼ねせず、2500円分めいっぱい、お寿司を食べまくることができるのです。
――落ち着け私。
少女はショルダーバッグを荷物かごに入れると、回転寿司レーンの手前に立てかけてある注文用タブレットをタップしました。そうして店員呼び出しボタンを押しました。
すぐに店員がやってきました。若くてスラリと背の高い男の人だったので、少女はちょっとどぎまぎしました。
「はい」
店員さんがくぐもった声で言いました。煙草の匂いがしました。大学生くらいのアルバイトのように見えます。
「あの、お水をいただけませんか」
少女は声を上ずらせながら言いました。けっこうな暑さのなか自転車を長時間乗ってきて、ひどく喉がかわいていました。しかし一人席のテーブルには粉茶とお湯の出る蛇口があるだけで、水の用意が無かったのです。
「――水なら、」
店員さんはそう言いかけて、店の入り口の方を振り見ました。しかしすぐ顔を戻して、
「いえ、承知いたしました。少々お待ちください」
と言って早足で向こうへ行ってしまいました。
少女は不審に思って店員さんの見た辺りを見てみました。すると、
「冷水」
と書かれた小さな案内板が、入り口の天井近くに掲げてあったのです。要するに水はそこでセルフサービスでもらえるようになっているのでした。
――やっちまった!
少女は一気に体の冷える感覚がしました。
――これって軽いパワハラになるの? 「ご自分であちらでお注ぎください」とか、一言言ってくれれば自分で取りに行ったのに!
そう自分を責めていると、店員さんが湯呑を一つ片手に持って戻ってきました。
「どうぞ」
店員さんがテーブルに置いた湯呑には水が八分目ほど入っています。
「あっ、はい。あの、すみませんでした」
少女はそう聞こえるように言ったつもりでしたが、最後の「すみませんでした」は声が詰まって、ごにょごにょ聞き取りづらくなりました。
「ごゆっくりお過ごしください」
店員さんはそう言って去って行ってしまいました。
少女は店員さんの後ろ姿を見送って、それから彼の持ってきてくれた湯呑を見ました。なんだか高揚していた気分が一気に落ち込んでしまった感があります。落ち着け、落ち着け、大したことじゃない、こっちに悪気があったわけでもないし……などと自分に言い聞かせて、ようやく気分を取り戻すと、湯呑を手に取ってこくこくと水を飲みました。冷たい水が喉を通ると、気分もより晴れてきました。
――さて。
少女は注文タブレットをいじり始めました。メニュー画面を表示させ、いよいよお寿司を注文します。
しばらく待っていると、注文したお寿司が三皿、回転レーンの上にある配膳レーンに流れてきました。少女は皿を取りました。




