残業地獄の終わりに
夜のオフィスに、カタカタとキーボードの音が響いていた。
ビルの最上階、すでに日付は変わっている。誰もいない空間に、男が一人。
「……まだ終わらねぇのかよ、ふざけんな……」
神谷 蓮、24歳。都内の中小企業に勤める営業職。
朝8時出社、深夜帰宅が当たり前の毎日。休日出勤、サービス残業、無言の圧力。
目の下には濃いクマ、机の上には栄養ドリンクと胃薬の空き瓶が並ぶ。
終わらない仕事に追われる日々の中、彼の唯一の楽しみは――ゲームだった。
『レヴァンティア・クロニクル』
中世ファンタジーを舞台にした、剣と魔法と陰謀が渦巻く王道RPG。
神谷は、そのゲームの“悪役ルート”にハマっていた。
「……ノーベルクラウス家の長男、ジークフリート……こいつ、バッドエンド確定の悪役貴族だったな……」
冷酷、無慈悲、領民からも嫌われ、最終的には主人公に処刑される運命のキャラ。
だが神谷はその破滅に、どこか共感していた。
「俺も似たようなもんだよ……働いても報われず、上には殴られ、下には笑われ……」
ゲームの中のジークフリートは、名家の嫡男として生まれたにも関わらず、父の期待に応えられず、歪んだ行動に走った。
現実の神谷もまた、社会の期待に押しつぶされかけていた。
(……もういい加減、疲れたよ……)
ふと、視界がぐにゃりと歪んだ。
「……あれ?」
胸に違和感が走る。次の瞬間、鋭い痛みが心臓を貫いた。
「っ……あ、ぐ……」
呼吸ができない。視界が暗くなっていく。
体が机に崩れ落ち、書類がばさりと舞い散った。
(こんな……最後、あるかよ……)
救急車も呼べない。誰もいない。
ブラック企業の静かなオフィスで、彼の心臓は静かに止まった。
そして――
暗闇の中で、意識が再び浮かび上がる。
(……あれ? 俺……死んだよな?)
目を開けると、そこには見慣れない天井。
重厚なカーテン、木製の天井、ふかふかのベッド。
「……は?」
鏡を見れば、知らない少年の顔。
金髪に近い銀色の髪、透き通るような青い瞳。
そして、使用人らしき人物が頭を下げる。
「若様、お目覚めですか。ジークフリート様……!」
その名前に、神谷――いや、ジークフリートは確信した。
(ここ……俺がゲームでプレイしてた、あの“ノーベルクラウス家”の屋敷……!?)
そう、彼は“あの世界”に転生していた。
――最悪のバッドエンドを迎える、悪役貴族の長男として。