2:説明会
杏里は秀一と共に、雑居ビルの中へと入った。書類に記載されていた看板の喫茶店らしき店に入れば、ふわっと珈琲のいい香りが鼻を擽った。
店内には一人しか客がおらず、客のまだ二十代後半くらいの若い男が杏里達を見て椅子から立ち上がった。
淡い金髪をウルフカットにした、中々の美青年である。まるでインド人のような褐色の肌をしている。顔立ちは濃いめの西洋人顔だ。モデルやハリウッドスターと言われても納得しちゃうくらいのイケメンである。
「失礼。イノウエ・シュウイチ様と奥様のアンリ様でいらっしゃいますか?」
「あ、はい。井上秀一です」
「妻の杏里です」
「はじめまして。私はグォールドゥオルド・ゴーギャブナグルと申します。ファリアスリーンの者です。私の名前は言いにくいかと思いますので、どうぞ親しみを込めて『ぐーちゃん』とお呼びください」
「あ、はぁ……どうも?」
「どうぞ、お座りください。『こーひー』を飲みながら話しましょう。私は地球に来てまだ半年なのですが、『にほん』支部に来られて本当によかったと思います。美味しいものや便利なもの、楽しいものがとてもいっぱいです!」
「えーと、ありがとうございます? それで、えーと、ファリアスリーンへの移住を前向きに検討中なのですが、色々聞きたいことがありまして……」
「はい! なんでもお答えいたします! まずは簡単にご説明させていただきますね。イノウエ・シュウイチ様とアンリ様に移住の招待状が届いた経緯からです。私が所属する国では、国の守護神として水竜と呼ばれる生き物がいます。こちらの『げーむ』や『まんが』に登場する『どらごん』を想像していただけると分かりやすいかと。その守護神である水竜が、めでたいことに卵を産みました。しかし、母親が産後間もなく亡くなってしまい、番である父親も後を追う様に亡くなりました。本来ならば、両親の愛と魔力で水竜の卵は育ち、孵化するものなのです。国中の者達の中で、水竜の卵と相性がいい魔力の持ち主を探したのですけれど見つからず……ダメ元で私が地球に派遣されました」
「それは……もしかして、水竜の卵と相性のいい人を探すためですか?」
「はい。地球の人には基本的に魔力がありません。というか、『地球』という世界の存在が『魔法』というものを拒絶している感じですね。しかし、界を渡り、ファリアスリーンに来ていただければ、地球の人も魔力を得ることができます。その世界で生きるために肉体が最適化するといった感じでしょうか。実は、地球にいる時には魔力がない地球の人の潜在的魔力を探知する魔導具があるんです。今回はそれを使い、半年かけて、イノウエ・シュウイチ様とアンリ様を見つけたという次第です。我が国としては、是非ともファリアスリーンに移住していただき、守護神である水竜を育てていただきたく存じます! あの、如何でしょうか?」
「えっとー、お話はなんとなく分かりました。仮に移住をして水竜? の卵を育てるとして、住む所や収入源となる仕事は保証されているのでしょうか? あと、地球で貯めたお金とかどうなります?」
「はい! 住む所は決まっております! 『竜の谷』という村がありまして、そこで水竜の卵を孵化させていただき、育てていただきたいのです。家自体は少し古いのですが、改修工事をして住みやすくしておりますし、広い庭もございます! 家賃は当然ありません! 庭も好きにしていただいて結構です。仕事は、水竜を育てるのが仕事みたいなものなので、毎月、国から水竜の養育費と謝礼を合わせて、『にほんえん』で換算すると『ひゃくまんえん』が支払われます」
「「ひゃくまん!?」」
「はい! なにせ、大事な国の守護神を育てていただくのですから、むしろ安いくらいかと……水竜を育てる以外は、何をしていただいても構いません。あっ。犯罪行為以外になりますけど。現地では、私の双子の兄が補佐役としてお手伝いさせていただく予定です」
「あの! 今まで貯めた貯金は持っていけますか?」
「はい! 貯めてこられた『にほんえん』を、ファリアスリーンのお金に換算した額を現地にてお渡しいたします」
「だって。杏里ちゃん。僕はいい話かなぁと思うんだけど」
「そうね。貯金は持っていけるし、住むところも収入も保証されてるし。……一番の問題は私達が本当に水竜とやらを育てられるかなんだけど……」
「それはやってみなきゃ分かんないかな。あ、僕達は子どもがいないんです。水竜? が僕達にとっては子どものような存在になりそうな気がするんですけど、名前をつけたりとかしても大丈夫なんですか?」
「はい! 大丈夫です! むしろ、是非とも名付けをしていただきたいです! 水竜を育てるにあたり、人間であるイノウエ・シュウイチ様とアンリ様に懐いてもらって、人間という生き物に親しみを感じてもらうという意図もあります」
「なるほど?」
「あの、どれくらいでファリアスリーンに移住することになるんですか?」
「できるだけ早い方が助かります。水竜の卵は、弱りはしませんけど、育ちもしないので……」
「んーー。今月中に仕事を辞める旨を職場に伝えてー。来月末で辞めてー。移住直前に家族に伝えればいいかな?」
「今、家にある家具や服、化粧品などはファリアスリーンに持っていけますか?」
「家具の類は家に備え付けてありますので、ちょっと厳しいです。『かでんせいひん』の類は、電気がないので使えません。その代わり、魔力で動く『魔導製品』がありますから! ちゃんと最新式のものをご用意しております! あと、服に関しては、気候が違いますし、『にほん』の服だと無駄に目立ってしまうので、あまりオススメできないです。化粧品は、界を渡る時に中身が変質してしまう可能性もあるので、これもオススメできないです。すいません……あっ! でも、ちゃんと化粧品の類も売ってますので! アンリ様のお肌に合った化粧品もちゃんと見つかるかと思います!」
「あ、はい。分かりました。ありがとうございます。えーと、身一つで移住する感じなのかしらね?」
「そんな感じだねー」
「他にご質問はございますか?」
「えっとー、現地の言葉は通じますか? あと、読み書きとか」
「それは現地に到着した時に私の兄が魔法をかけますので、ちゃんと言葉が通じるようになります! 読み書きは……申し訳ないんですけど、覚えていただくしかないです……そこまでカバーできればよかったのですが……」
「杏里ちゃん。知らない言語を覚えるのも楽しそうだよ。絵本から始めてみたりとかね」
「そうね。折角異世界に行くんだもの。この際だから、新しいことにどんどん挑戦していきたいわ」
「お二人とも、本当にありがとうございます! それでは、移住をしていただけるということでよろしいでしょうか!?」
「はい。子育てを頑張りつつ、色々楽しんでいきますねー」
「補佐役の方がいらっしゃるなら安心ですし、この人がいればなんとかなりそうな気がするので、新天地での生活、頑張ってみたいです」
「ありがとうございますっ! では、こちらが契約書になります。こちらがファリアスリーンの言葉で書かれたもので、こちらが『にほんご』で書かれたものです。内容は同じですので、しっかりと読んでいただいた上で、ご契約の署名をされてください。新たなご質問がございましたら、毎週『どようび』はいつもこの『きっさてん』にいますので、なんでもお聞きに来られてください! あ、契約書は移住当日にお持ちください。この『びる』の屋上に『扉』がありますので、こちらから界渡りをしていただき、ファリアスリーンへと向かっていただきます」
「ご丁寧にありがとうございますー。僕は今のところ質問はないですー」
「私も大丈夫です。ふふっ。これから忙しくなるわね」
「そうだねぇ。家具とかの処分もしなきゃね」
「ファリアスリーンは、お二人のことをとても歓迎いたします!」
「「ありがとうございます」」
嬉しそうにニコニコ笑っているイケメン『ぐーちゃん』に見送られて、杏里達は喫茶店を出た。日本円に換算すると百万円相当の金銭が毎月支払われるなんて逆にちょっと怖くなるが、国の守護神を育てるのだから、それくらいが妥当なのかもしれない。
不安は当然ある。しかし、チラッと隣を見れば、秀一がいつも通りののほほんとした顔をしている。秀一が一緒なら、きっとなんとかなる。
杏里は前を向いて、頭の中でこれからすべき行動を考え始めた。