1:異世界への招待状
リハビリで書いてます。
不定期更新になるかと思います。
ひろーいお心でゆるーーくお楽しみいただけますと嬉しいです!
杏里が仕事から帰って郵便ポストを見てみると、封筒が入っていた。その場で見ずに封筒を小脇に挟んでエレベーターへと向かい、マンション内の自宅に帰る。
家の中に入れば、ふわふわーっと美味しそうな匂いが玄関の所まで漂っていた。今日の料理当番は夫の秀一なので、夕食を作ってくれているのだろう。帰宅して夕食が出来ているだなんて最高である。
秀一と結婚して今年で二十年目になるが、秀一の料理上手なところが杏里の密かな自慢だし、とても好きなところだ。後片付けまでしっかりやってくれるところもいい。
杏里は今年で四十五歳になる。大学を卒業してから、ずっとスーパーで正社員として働いている。夫の秀一は四十六歳で、不動産会社で働いている。結婚して二十年になるが、子どもはできなかった。
秀一の子どもが欲しいと思わなかったわけではないのだが、杏里は仕事が楽しかったし、積極的に子どもを望まなかった。秀一と話し合って、不妊治療はせずに、もし自然と授かったら大切に二人の子どもを育てようと決めた。
杏里は自室に鞄を置いてから洗面台に向かい、手を洗って、脇に挟んでいた封筒の表書きを見てみた。
『ご当選おめでとうございます! これは異世界ファリアスリーンへの招待状です!』
杏里は驚いて、慌てて秀一がいる台所へと向かった。
バタバタと台所へ行くと、中年太りで下っ腹が出ている口髭を生やした黒縁眼鏡の冴えないおじさんが振り返り、おっとりと笑った。夫の秀一である。
「おかえりー。杏里ちゃん」
「ただいま! 秀一さん! 大変!」
「なにが? あ、今日のご飯はなーんだ」
「赤魚の煮付け!」
「正解!」
「ってそうじゃなくて! こんなの届いてた!」
「えー? なにこれ。詐欺?」
「分かんない。まだ中を見てないもの」
「とりあえずご飯できたから熱々のうちに食べない? その中身を読むのは後でにしよう」
「あ、うん。んーー。お風呂入って洗濯物終わらせてからの方がゆっくりあるわね。やること全部終わらせてからにしますか」
「うん。今日の味噌汁はじゃがいもだよ。新じゃが! ごろごろ!」
「あら! いいわね! うちの店でも新じゃが出てたわ。早く食べましょうよ」
「うん。注ぐねー。お茶は、緑茶、ほうじ茶、玄米茶、どれ?」
「玄米茶の気分」
「じゃあ、玄米茶ね」
秀一がおっとりと笑って、いそいそと夕食を食べる準備をし始めたので、杏里も手伝う。
美味しい夕食を楽しみ、風呂や洗濯を済ませた後。
杏里はホットミルクを用意して、秀一と並んで居間のソファーに座った。杏里も秀一も酒が飲めない。毎晩、寝る一時間前に二人で一緒にホットミルクを飲んでいる。
なにやら装飾過多な感じの封筒を開けて中に入っていた書類を取り出して読んでみれば、それは『異世界ファリアスリーン』へ移住しませんかというものだった。
約十年前に、突如として『異世界ファリアスリーン』との『扉』が世界各地で開いた。
ニュースで見聞きした情報しか知らないのだが、『異世界ファリアスリーン』は魔法などがあるファンタジーな世界で、更に世界を発展させるため、異世界である地球との交流を目的に『扉』を大量に用意したらしい。
『扉』が現れた当初はとても混乱していたが、今では普通に受け入れられており、『異世界ファリアスリーン』に移住する者も、逆に向こうから移住してくる者もいるそうだ。
極まれに、『異世界ファリアスリーン』側から招待される人がいると聞いている。杏里も秀一も何か特別秀でたところはないのだが、何故か『異世界ファリアスリーン』から招待されてしまったらしい。
書類をよくよく読んでみれば、とある生き物を育てて欲しいとも書いてある。詳しい説明会が行わるようで、日程が記載されていた。
杏里は困惑して秀一を見た。
「どうする? 秀一さん」
「んー。どうしようかぁ」
「異世界に移住って、仕事とか住む所とか、今まで貯めた貯金とかどうなるのかしら」
「そこらへんのことは何も書いてないから説明会に行くしかないかなぁ。杏里ちゃん。折角の機会だから、僕は行ってみたいな」
「マジですか」
「マジですよ」
「えーー! あなた、去年副店長になったばっかじゃない! 今までのキャリアを全部捨てるの!?」
「仕事にこだわりはないかなぁ。いや、ちゃんと仕事はしてたし、それなりに楽しいけど、別の世界で新しい生活ってのも正直魅力的かなぁと。僕としては杏里ちゃんが一緒ならどこでどんな暮らしをしてもいいしね」
「えぇ……うーん。バイヤーの仕事大変だけど楽しいしなぁ。それにとある生き物を育てるって一体なんなのよ……」
「僕達に子どもができるねぇ」
「……そう言われるとちょっと魅力に感じちゃう……いや、不妊治療はしないって決めたのは私達なんだけど。あっ! 親にはなんて言おうかしら?」
「仮に移住するとなったら、そのまま言えばいいんじゃない?」
「あなた長男じゃない」
「そうだけど、弟も妹もいるから大丈夫だよ。なんなら、貯金の一部を両親の介護が必要になった時のために渡しておけばいいんじゃないかな。僕の親だけにするのは不公平だから、杏里ちゃんの両親にも渡しておこうか」
「うちの場合は姉に預けておけばいいかなぁ? って、移住する感じになってない!? ほんとに大丈夫なの!?」
「とりあえず説明会に行ってみない? 話だけでも聞いてみようよ」
「秀一さんは異世界に行きたいの?」
「行けるなら行きたいかなぁ。あ、もちろん杏里ちゃんと一緒に。だって、子供の頃に読んでいた本の世界みたいじゃない。ファリアスリーンって。どこに住んでも仕事も家事もしなきゃいけないし、人間関係とかで大変な思いをするのも一緒なんだし、それなら新天地に飛び出してみるのも僕的にはありだねぇ」
「えーー。そっかぁ。言われてみればそうかもだけど。今までのキャリアを捨てる……いや、キャリアって言っても、私はスーパーのバイヤー程度のものだけど! ……あ。異世界行ったら姉と会わずに済むようになるわね」
「そうだねぇ」
「異世界行くわ。あの人と会わなくて済むようになるのならなんだってしてやるわよ」
「杏里ちゃんのお姉さん、性格キツいもんねぇ」
「子どもの頃から心底苦手。ずっと押さえつけられてきたし、今でも面倒事を押し付けられたりするし。気に食わないことがあれば、すぐにヒステリックに怒鳴るし。世界レベルで距離が置けるなら、その方がいいわ」
「消極的な理由だけど、いいんじゃないかな。身内が原因のストレスはない方がいいよ」
「あなたは兄弟仲いいじゃない。いいの? ほんとに異世界行っちゃって。多分、二度と会えなくなるけど」
「んー。まぁ、多少は寂しいけど、僕は杏里ちゃんがいてくれたらそれで十分幸せだしなぁ。両親の介護とか任せちゃうことになるのは申し訳ないけど、こんな機会そうそうないし、誰も僕達のことを知らない世界で一から頑張ってみたいって気持ちの方が大きいかも」
「そういえば、あなた、旅番組とか好きだもんね」
「うん。自分が知らないものに触れるとワクワクするよね」
「それは分かるわ。私もそうだもの。んーー。よし! じゃあ、移住する方向で説明会に行ってみますか!」
「うん。ふふっ。なんだか楽しみだねぇ。ワクワクしてきちゃった」
「あはっ。私も。秀一さんがいつでもどっしり構えてるから、なんか何があってもなんとかなりそうな気がするわ」
「ちょっと照れます」
「ふふーっ。ほっぺたぷにぷにしてやろうぞー」
「あははっ! 杏里ちゃん」
「なぁに?」
「新しい世界で幸せになるための努力を一緒にしようよ」
「うん。秀一さん」
「んー?」
「私、あなたのそういうところ、割と好きよ」
「照れます」
「赤いほっぺたむにむにー」
「あははっ!」
杏里はうっすら赤く染まっている秀一の柔らかい頬を両手でむにむにしながら、『異世界ファリアスリーン』とは具体的に一体どんな世界なのだろうかと、じわじわワクワクし始めた。