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五十円玉二十枚の秘密

作者: 天野純一

 とある土曜日の昼下がり。


「会計は以上で、7200円です」


 ()()()()()は積み上がった本を前にして告げる。(よこ)(みぞ)(せい)()(たか)()(あき)(みつ)(あゆ)(かわ)(てつ)()。探偵小説が相当好きなんだろうな。


 目の前で財布をまさぐっているのは、本屋内でもマフラーに顔を埋めた中年の女。探偵小説だったら容疑者の筆頭になりそうだ、などと陽菜は失礼極まりないことを考える。


 女は7200円ちょうどを支払い、去っていった。


 次の客は、服のところどころに汚れが目立つ若い男だった。


 彼は本を携えていない。陽菜が不審に思っていると、


「五十円玉二十枚を千円札と両替してほしい」


 彼はたしかにそう言った。そして、ポーチの中から大量の五十円玉を鷲掴みにして取り出した。


 陽菜としては特に断る理由はない。むやみに拒絶したほうが面倒事になりそうだった。彼女は揉め事が大嫌いだ。


「分かりました。千円札でよろしいのですね?」


 レジから千円札を一枚取り出し、手渡した。男のほうも、五十円玉をカルトンの上にバラバラと落とす。


 陽菜が二十枚あるのを確認すると、男は本屋を出ていった。


 今日限りの出来事だろうとそのときの陽菜は軽く考えていた。


 翌週の土曜日、例の男は再び現れた。


「五十円玉二十枚を千円札と両替してほしい」


 先週と全く同じ口調、全く同じセリフ。陽菜は少し不信感を募らせた。だが、別になんということはない。単純な両替を持ちかけられているだけなのだ。詐欺とかを疑う必要はないだろう。


 陽菜は先週と同様に、千円札を渡した。


 男が去ってから、陽菜はさっき受け取った五十円玉を観察してみることにした。


 何の変哲もない五十円玉だった。偽造品かとも疑ってみるが、つぶさに観察してみても、他の五十円玉と何ら違わなさそうだった。


 その男は、次の週も、また次の週も現れた。その度に陽菜は両替してあげた。時が過ぎるごとに、この非日常な両替の時間が、陽菜のひそかな楽しみとなっていた。


 そんな秘密の楽しみが続いて2ヶ月ほど経った頃。


「いつも通り五十円玉二十枚を千円札と両替してくれ」


 陽菜も反射的にうなずく。


「はい。分かりました」


 男が千円札を受け取り、いそいそと帰ろうとする。陽菜は引き留めた。


「あの」


「はい」


 男がこちらを振り返る。陽菜はずっと聞きたくてウズウズしていたことをようやく口にした。


「どうして毎週毎週両替されるのですか。近くに銀行はありますし、そちらでもいいでしょうに」


 男は落ち着いた口調で応じた。


「申し訳ないが、その質問には答えられない。――ではまた」


 それ以降、男はパタリと現れなくなった。


 いったい何だったんだろう?


 陽菜は時たま不思議に思いつつも、時が経つにつれて記憶は薄れていった。


--------------------------------------------


 黒髪の男がポーチに手を掛けながら言う。


「いつも通り五十円玉二十枚を千円札と両替してくれ」


 陽菜もすかさずうなずく。


「はい」


「助かるよ。いつもありがとう」


 この男が礼を言ってきたのは初めてだ……初めて?




 バサッ。


 陽菜は布団から身を起こした。なんだ今の夢は。遠い昔のような……。


 そこでハッと思い出す。あれは大学生でバイトしていた頃。今から10年くらい前か。謎の男が毎週五十円玉の両替を要求してきたんだ。


 懐かしさに浸りつつ、今度は好奇心がくすぐられた。あれは何だったのか。知りたい。


 陽菜の小学校からの幼馴染に、たわらつみとおるという男がいる。今は山奥で絵を描いて生活しているそうだ。


 絵やら音楽やら文学やら石集めやら。色んなものに手を出してはとことん突き詰めて、いつのまにかパタッとやめている。いつも何を考えているのかよく測れない人間だ。


 徹にアポを取りつけて約束の場所に向かうと、彼は倉庫の中でキャンパスに向かっていた。


 陽菜のほうから声をかける。


「久しぶり。元気にしてた?」


「ああ、おかげさまでな」


 陽菜は彼が描いている絵を見て、首をかしげた。


「……何それ?」


「見て分かるだろう。絵だ」


「いやそれは分かるけど。その絵は何? サイ? いやゾウ?」


「……カバだ」


「……失敬」


 気まずい沈黙が流れる。沈黙を破ったのは、徹のほうだった。


「で、俺に相談事とはどうした?」


「ああ、実はね……」


 ここに来るまでの間に、10年前の出来事を必死に思い出して整理してきた。若い男との不思議なやりとり。相手の顔とかはもう思い出せない。会話を断片的に覚えている程度だ。


 整理してきた内容を話すと、徹は絵筆を脇に置いた。


「最後までその男は理由を話さないまま消えてしまったと」


「うん、そうだったと思う」


「ふむ……。不確実な要素が多いからなんとも言えないが……。10年前か。うん、多分分かったぞ」


「え、もう!?」


 陽菜は仰天した。あーでもないこーでもないと考えた時間は何だったのか。


「重要なのは時代だよ。今から10年前といえば、1()9()6()0()()()。横溝正史や高木彬光が栄華を極め、鮎川哲也がデビューしたての“探偵小説”の全盛期だ」


「そうだね」


「あの頃の五十円玉はどんなだったか覚えているか?」


「うん。今と違って穴が開いてなかったと思う」


「そうだ。菊50円ニッケル貨といって、まだ穴が開いていなかった。で、ニッケルでできているということはどういうことか分かるか?」


「ニッケルって何だったっけ……」


 陽菜は物理や化学が大の苦手なのだ。元素周期表か何かに載っていたようなおぼろげな記憶が……。


 徹は特に嫌がる様子もなく教えてくれる。


「ニッケルや鉄、コバルトといった金属は磁石に引きつけられる性質があるんだよ」


「あの頃の五十円玉は磁石にくっつくの? 今のお金はつかないって聞いたことがあるけれど」


「その通りだ。磁石についてしまうと、困ったことが起こるからな」


「困ったこと?」


()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。1960年頃時点で磁石にくっつくのは五十円玉だけだから、その若い男が磁石で賽銭泥棒をしていたのなら、五十円玉ばかり貯まってくるだろう」


「でも、五十円玉なんてお賽銭にあまり入れなくない?」


「そうだな。だから一週間に一回しか来なかったのさ。寺という寺、神社という神社を巡りまくってかき集めていたんだろう。なんとも不謹慎な話だが」


「徹も不謹慎とか言うんだね。信心とかあんまりなさそうだけど」


「……聞かなかったことにしよう。話を戻す。五十円玉が大量にあっても使い勝手が悪いだろう。だから陽菜に両替させたわけだ」


 陽菜も合点がいった。


「銀行に両替に行かなかったのも、後ろめたい理由だったからなのね。あと私が理由を聞いたら答えずに消えちゃったのも」


「そういうことだな。陽菜が知らない間に、互いに名前も知らない秘密の共犯関係が生まれていたというわけだ」


(了)

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