第5話 画竜点睛の時
俺は再び頭を下げ、それから口を開いた。
「まこともって、ありがたきこと。
信春、直治、屏風を関白様にお目にかけるのだ」
俺の声にうなずき、二人が荷車から襖に挟まれた屏風を抱え、運び込む。
「こちらの座敷に入れよ。
人目につかぬ方が良いし、狩野の絵じゃ、徒や疎かにはできぬ」
「お言葉、ありがたく」
そう俺は手早く応え、立ち上がって信春、直治どのを手伝う。この場合、ぐだぐだと言葉を紡ぐより、はやくお見せした方がいい。関白様が見ようとじりじりとされているのが窺えるのだから。
数瞬の間ののちには大きな屏風一双が開いて置かれ、座敷に京の町を出現させていた。
「これは予想を超えて、また見事な……」
そう呟いて、関白様は顔を屏風に近づけてしげしげと眺め、眺め続けた。
「おや、麿がいるではないか」
「おそれながら、描かせていただきました」
「見ても見ても尽きぬ。見飽きぬ。
京の町は果てがないの。
まさに、これは素晴らしいものじゃのう……」
と、ここで不意に関白様が涙声になられた。
「おうおう、義輝殿がいらっしゃるではないか。
おお、六角が京を押さえた時の姿か。
この……、この京はもはやなく、儚い過ぎ去った夢のような姿じゃな……」
「いいえ、お言葉を返しまことに申し訳ございませぬが、これを過ぎ去りし二度と取り戻せぬものとしてはなりませぬ。
そのためにこそ、この屏風に将軍様のお姿を残したのでございます」
関白様のような貴人に言葉を返すは不敬なれど、俺は言わずにはいられなかった。
「そうか。そのとおりかも知れぬのう。
『麿が不甲斐ないばかりに義輝殿が討たれてしまった』などと言えば、『わしは将軍じゃ、馬鹿にするな』と、義輝殿は声を荒らげられたであろうなぁ」
見れば関白様、はらはらと落涙されていらっしゃった。
「それは見事な最期であったと、将軍の名に恥じぬお強き姿であったと、市中の者も皆噂しておりまする。この絵は再びその将軍様の御威光を取り戻すべき姿にて、その道標となるものにございます。
そうあらねば、将軍様も浮かばれませぬ」
「棟梁の言うとおりじゃ。
再び取り戻さねばならぬ姿じゃ。
そのためにも聞いておきたい。義輝殿は、棟梁にはどのような絵を描けと申されたのじゃ?」
袖で涙を拭いながらの御下問である。
「は。
将軍様はまず、手前に尋ねられました。
関白様が越後に下向したのは知っておろうか、と。そして、将軍様は関白様と志を同じゅうしておられる、と。
とはいえ、将軍様の書く書状はすべて三好の手の者に見られておるから、文字はいかぬ。だから、長尾景虎殿、いやさ上杉謙信殿が京に参る切っ掛けとなる絵を描け、と。
その絵は、見る者が見れば上杉謙信殿とわかれど、知らぬ者が見ても誰とは決められぬ。そういう絵がよい、と。
その絵が越後に送られる時が、世が正しき道に戻る始まりぞ、と申されておりました」
俺がそう答えると、関白様はお持ちの扇子をもう片方の掌にぱしりと叩きつけられた。
「なんと……。義輝殿は、京の町を描けと申されたわけではないのか」
「は、それはこの源四郎が判断にて。
進物たるに相応しいものを描けとのことでしたので、手を掛けさせていただきました。
静謐なる京の町の姿が望みであるということから、このように描かせていただきましたが、将軍様の身にこのようなことが起きてしまった今、これを描き残しておいて本当に良かったと思っております」
「そうか……」
関白様は改めてしげしげと洛中洛外図屏風を眺められて、再び仰られる。
「して、上杉はどこじゃ」
「実はまだ描いてございませぬ。未だ画竜点睛の時、至らずやもと。
世があまりに荒れ、まことに上杉殿を描いてよいか、一介の絵師にはわからなかったからなのでございます。
ですが、逆を言えばどなたでもこれから描くことができまする。
将軍様の遺命を伝えるものとしてこれを関白様にお使いいただければ、この狩野源四郎、恐悦至極に存じます」
「なるほどな。
狩野の棟梁は、麿にこの絵を買えと申すか」
さすがの俺も、この御下問には狼狽を隠せなかった。
「な、なんと、滅相もない……」
「冗談じゃ。
そのように慌てなくてもよい。なかなかによい面構えになったとは思うが、慌てぶりを見ればやはりあの源四郎なのだな。麿は嬉しく思うぞ。
よい。
この絵、棟梁の読みのとおりに使わせてもらう。そして、この絵の代も心配いたすな。まだ麿にもそのくらいの力はある」
そのお言葉を聞いて、俺は果てなく安心した。
もちろん、絵の代のことではない。
これで将軍様も少しは浮かばれようか、とだ。
第6話 今の京取り巻く情勢
に続きます。




