第4話 棟梁、息災だったか
話しだした直治どのの言葉は重かった。
「どこかの大名に洛中洛外図屏風をお渡しすることによって、将軍様の遺命として我らの思うように動いてもらうこと自体はよろしい。ですが、渡された大名が再び第二の三好殿、松永殿にならないよう、そのための手も同時に打っておかねばなりませぬ。
でないと、同じことの繰り返しになりますし、今こそがその手を打っておくべきときかと」
「たしかにそのとおりだ。
今こそ手を打つときということにも、異存はない」
俺はそう応える。
そうだ。
京の町を取り合い、取った日から守ることに汲々とし、小競り合いに明け暮れる。
今まで繰り返されてきたこの愚かな流れをなんとかせぬ限り、天下の静謐は取り戻せぬ。
それには傑物が必要なのだ。この繰り返しはやむをえぬところがある。ゆえに誰も止められない。今までの常識を打ち破る傑物であれば、根本的になにかを壊すか作ることでこの繰り返しを止めるであろう。
ひょっとして……。
京の町を取ったあと、どのように統治されるのかをお聞きするというのは、3人の大名の試金石となるのではないだろうか。
一長一短はあれど、将来をどうするか、具体的な考えがある者が強いのだ。それを選び出すことができれば、あとは関白さまが放っては置くまい。これを機と見ればかならず働きかけをされる。
関白様は、みずからが武士になるしかないとまで思いつめられたお方だ。名まで近衛前久と武家風に改められた。
切実なまでになんとかせぬという思いがあるお方が、洛中洛外図屏風、これを見られればその機を作り出せるものとおわかりになられるはずなのだ。
近衛邸の障壁画を描く話を人を介して関白様に伝え、それとは別の絵の話があることをも付け加えた。「関白様が越後に下向される前、我が父とともにごあいさつ申し上げたときにお話になられた絵のこと」で、と。
これだけのことからでは、他の誰も、たとえ松永殿であっても、将軍様が絡む洛中洛外図屏風のこととはわからぬであろう。
だが、関白様だけは、気が付かれるはずだ。
すなわちその絵とは、「近々、足利義輝殿から屏風絵の依頼があろう。よくよく準備をしておくのだ」と関白様が直々に念を押されたものなのだから。
折返しと言って良いほど、関白様からのご返信は早かった。
良き伺候の日時もすぐに決まり、信春、直治どの、そして小蝶までもがお伺いすることになった。
俺たちは、洛中洛外図屏風を襖で挟んで荷車に積み、障壁画に見せかけた。それを左介が曳き、俺たちは二手に分かれて工房を出た。
信春と直治どのは先行し、俺と小蝶、左介があとから続いた。これも目立たぬように、である。今でも、松永殿の目は恐ろしい。我々の行動を見張るという意味と、実際にその顔にはめ込まれた目と、その両方が、である。
家や襖自体の修繕に伴い、そこに描かれた絵も修復を行うことはよくあることで、工房への出入りも多い。つまり、これは決して目立つことではない。
季節は、はや梅雨も上がり、日差しがきつくなりつつある。
京の町の夏は蒸す。もうしばらくしたら耐えられない暑さとなろう。火を使う礬水引きに嫌気が差す季節だ。
とはいえ、鮎や鱧が旨くなる季節でもある。まことに季節というものも、一長一短だ。
小蝶は市女笠から垂れ衣を下げているが、そろそろこれも耐えられない暑さになるだろう。薄絹ゆえ見た目は涼しそうだが、風が通らないのだからこれはまことに蒸し暑いものなのだ。
だが、小蝶が暑さに倒れるより先に、俺たちは関白様の近衛邸に着くことができた。
左介は近衛邸の門の中まで入ってそこで待っていた信春に荷車を渡し、持ってきた竹筒の水を一気に飲み干した。よほどに暑かったのだろう。
近衛邸の下働きの男が気を利かせて、俺たち全員と左介の竹筒にまで新たな水を与えてくれたのに礼を言って、俺たちは左介を残して屋敷に入った。
俺たちは、いつぞやと同じように近衛邸の庇の下に並んで座った。座敷は遠慮したのである。
そこへどかどかと荒々しい足音がして、関白様が現れた。
俺たちは足音が聞こえたのを合図に平伏しているから、その姿を見ることはできていない。
だが、お懐かしい声が降ってきた。
「棟梁、息災だったか。久しぶりじゃな」
「ははっ」
そうお返事し、更に頭を下げ、関白様の物言いといい所作といい、完全に武将のそれとなっているのに気がつく。
「皆、顔を見せよ。
そして、用件は言わぬでもわかっておる。人払いはした。残っているのは真に信用できる者たちのみだ」
変わらず、いや、前に増してせっかちになられたようだ。
まあ、無理もない。この数年の間、関白様にとっては、結果として無駄な歳月だったのだから。
第5話 画竜点睛の時
に続きます。




