第2話 肝心なる人の姿
小蝶は、死を従容として受け入れる女ではない。しぶとく最期まで見苦しくあがき、自分の欲するものを手に入れるために、じりじりとでも前に進む女だ。
取りようによっては可愛げに欠けるやもしれぬが、小蝶の絵筆がここまで回るためには、天賦の才があるにせよ、それだけの勁さが必要だったのだ。
ここにいる者すべてが、多少なりともその道を歩んでいる。
一番才に恵まれた信春ですら、おそらくは「まともさ」を捨てるという選択をしているのだ。
「では頼もう。
だが、もう半分の方を優先せよ」
そう、つまりは死を従容として受け入れない方を、だ。
いっそ命を捨てる選択の方が楽なだけでなく、美しいということもあろう。だが俺は、命を捨てない選択こそ、小蝶にはして欲しいのだ。
「はい」
小蝶は返事とともににこりと笑う。
と、直治どのの小蝶を見る目が眩しいものを見るような眼差しになったのを、俺は見逃さなかった。だが俺は、それを気が付かないふりで黙殺した。
というか、これはそうするしかないではないか。
直治どのの叶わぬ思いを知り、さらに人というものが諦めと諦めのつかぬ思いの中で葛藤するのを俺は知っている。そしてそれを責められるほど、俺という人間はできてはおらぬ。
それにもし、明日俺が死んだら、小蝶は直治どのの元に嫁ぐべきであろう。人が思いを真の意味で捨て去るのには、果てしない間が必要なものだ。小蝶をそのような間の中に置くことを俺は望まぬ。
結局、この恋のいくさ、如何に決着がついたように見えていても、真の決着がつく日などないのかもしれぬ。今の血を吹くような傷は癒えても、いつまでもじくじくと血は滲み出続けるものなのかもしれぬ。
俺はその思いを振り払い、言葉を続けた。
その笑み、俺の意を汲んでくれたのであれば良いのだが……。
「では、話を続ける。
これから話すことは、今日明日の話ではないぞ。もしかしたら、信春が七尾に戻り、直治どのが仕官した後まで尾を引く話と思って欲しい。
その上で俺は、あの洛中洛外図を有効に使おうと思っている」
「期間の話はよい。どうせ乗りかけた船だ。
だが、あの洛中洛外図、あれを狩野の棟梁としてどう使うというのだ?」
と、信春が聞いた。
「洛中洛外図屏風、あれにはまだ、画竜点睛たる肝心なる人の姿が抜けている」
信春の問いに答えた俺に、直治どのが眉をひそめる。
「将軍様の遺命として、こういう洛中洛外図が残されたと、めぼしい大名たちに話を持ちかけ、こちらの要望を満たす姿勢を見せた相手こそを描き足して渡すという手段でございましょうか?」
「さすが直治どの。
まずは、そのとおり。
将軍様の御遺志を継ぐ者として、この洛中洛外図屏風を得た者が天下静謐をもたらす者としての大義名分をも得られるのだ」
俺の答えに、直治どのは難しい顔になった。
「将軍様の遺命の証として、たしかに洛中洛外図屏風は、次の世を支配する者の正当性を示すものになりえましょう。
ですが、それだけに危険でもあるかと。
各地の大名と、様々な交渉が必要になるかと思いますが、棟梁自らその交渉を行うのでございますか。
狩野の名の価値は存じ上げておりますが、それでもことは天下の差配者を決めること。踏み込み過ぎるは危険が多く、難しい部分もあるやに存じますが……」
それはわかっている。
だが……。
俺には考えがあった。
それに案外、俺が見るところではあっても、頼れる大名なり武将の選択肢は狭い。つまり、さほど手を広げる必要はない。
京から遠い大名は、そもそも大軍を引き連れての上洛があまりに不利なのだ。
京とその周辺は人が多く、日々さまざまなものが生産され、結果として多くの富がある。一見して京がさほど豊かに見えないのは、人も多過ぎるためにその富が分けられてしまい、分け前が少なく窮している人の姿が目立ってしまうからだ。そして、ふんだんに分前を取る者は表に出てこない。
つまり、ふんだんに分け前を取り、富みに富んでいる京の周囲の大名に対し、鄙の大名が軍を引き連れて挑むのは極めて難しい。
ましてや、鄙の大名は上洛の行軍だけで軍資金を費やすのに、富んでいる京の周囲の大名は手ぐすね引いて待ち受けていられるのだ。
これは、絵の仕事の多寡から、棟梁たる俺にもわかっていることだ。
扇絵の売れ行き、京以外では微々たるものだ。日の本のすべての売上などということを考えても意味がない。京で売れれば、それはもう日の本のすべての売上に等しいと言って良いのだ。
ましてや金のかかる金泥を使った絵が注文されるのも、それによって描かれる場所も京が中心だ。
一国一城の主でさえも、障壁画まで手が回らないという例も多い。いや、それが当たり前である。我々が京にいるからこその常識で他を量ってはならぬのだ。
第3話 京を巡る情勢
に続きます。




