第1話 今日明日の話ではない
いよいよこれ切り出す時がきた。
「とりあえず、それは措いて今は将軍様が討たれてしまったことについてだ。
お前たち、まずはこの先どうするかを決めて欲しい。
信春は七尾に戻り、絵師として売り出したいのであろう。
直治どのは許された狩野の名をもって、どこぞに仕官の道を探すということもできよう。
俺は、その道を邪魔しようとは思わぬ。これよりは成算もわからぬ企てゆえに、乗るか否かは己で決めて欲しいのだが……」
「俺は乗る」
「早いな、信春」
俺は、打てば響くような早さで応えた信春に不審を覚える。
お前、ひょっとして小蝶の追求が怖いあまり、そうそうに返事をしたのではあるまいな。
露骨に疑いの眼差しを向けてしまった俺に、信春は居心地悪そうな顔になって言う。
「源四郎。
お前は狩野の棟梁だ。
今回、三好殿の件で、狩野の棟梁が、いや、京の町衆ができることの片鱗を俺は知った。
俺も一旦国に戻ったのち、再び上洛して派を立てる。
絵筆を持っては源四郎に劣るとは思わぬが、このような力については、まったく窺い知れぬ話だ。
今回、お前の姿を見て、そのあたり盗ませてもらうぞ」
「さすが信春。
盗むと言ったか。決して教えぬし、むしろ邪魔をしよう。商売敵だからな。
盗めるものなら盗んでみよ」
「おお、見事に盗み出し、そのうちに源四郎、我が派でお前の首も刈ってやる」
あまりの言に、直治どのと小蝶の顔色が変わる。
だが、このくらいのことを言って憚らないのが信春の持ち味ではないか。
だから俺は、構わず言い返した。
「無理だな。
お前の派は五十年と保たぬ。
絵師としては信春の方が俺より名を残すやもしれぬが、お前に派は残せぬよ」
「やかましいっ!」
憤然とする信春の顔が可笑しくて、俺は笑った。
ここままで心の底から笑ったのはいつ以来かと思いつつ、だ。
おそらくは、洛中洛外図屏風を描き終えてから初めてのことであろう。
「直治どの。
直治どのはどうされる?」
四つも歳下ながら、このような問いに対してさえ、直治どのの顔はあくまで穏やかだ。
「この話、下りられませぬなぁ。
そもそも、この私めがいなければ……。
棟梁の策は、そのままでは危なっかしくて見ておられませぬ。真に小蝶様をお守りできるのは、この直治にござる」
……これには俺も閉口させられた。
直治どのの言は、まったくもって正しい。
こと戦略、戦術ということになれば、この中では直治どのの独壇場だ。
特に敵が武家である以上、武家の考えがわかる直治どのの助けは絶対に必要なのだ。
だが、その鼬の最後っ屁ともいう言が、小蝶を守れるのは自分しかいない、とは。
さすがに、これには一本取られた気がする。
「そうだな。
俺には謀は儘ならぬ。
頼むから小蝶を守ってやってくれ」
「それは卑怯にござる」
「……卑怯かな?」
思わず直治どのに問い返す。
「それでは、私が小蝶様を守ったのは棟梁の命でということになり、手柄はすべて棟梁のものではございませぬか」
「あっ、そうか」
「卑怯も卑怯、大卑怯だな」
信春、うるさい。横から口を出すな。小蝶までもが笑っている。
まあ、いい。
この際だ、直治どのの力を借りられる、それで今は十分だ。
そして、問うまでもないかもしれぬが、あえて問う。
「小蝶。
お前は女だ。
無理をする必要はない。下りても良いし、そのことについて俺は、とやかく思うことすらない。
だが……」
俺は、最後まで言い切ることはできなかった。小蝶が言わせなかったのだ。
「この小蝶も皆様とともに洛中洛外図を描いた身。
今さら下りようとは思いませぬ。
もちろん危険は承知の上。もしも、この身になにかありましたら、蓮の台※1を半分空けてお待ちしておりまする。
後添※2の方とご一緒に、ごゆるりと参らせたまえ」
「本気か?」
「半分くらいは」
そんなことだろうと思った。
思わず、再び信春からも直治どのからも笑いが起きる。
小蝶は、死を従容として受け入れる女ではない。しぶとく最期まで見苦しくあがき、自分の欲するものを手に入れるために、じりじりとでも前に進む女だ。
取りようによっては可愛げに欠けるやもしれぬが、小蝶の絵筆がここまで回るためには、天賦の才があるにせよ、それだけの勁さが必要だったのだ。
ここにいる者すべてが、多少なりともその道を歩んでいる。
一番才に恵まれた信春ですら、おそらくはまともさを捨てるという選択をしているのだ。
1※蓮の台 ・・・ 極楽浄土に往生した者が座る、蓮の花の座
2※後添 ・・・ 死別した後の二人目の妻
新章に入りました。
引き続き、よろしくお願いいたします。
これが最終章です。




