第17話 描かれた屏風
ともかく、松永殿、変わらぬ。
相も変わらず、髪の白い部分は増えておらず、若々しくさえある。
そしておそらくは、自分の家中の者に問い詰められる俺の姿を、さんざんにいたぶるように眺めていたのであろう。
変わらず白っぽく底光りしているその目で、だ。
蛇の前の蛙、俺はそうならざるを得ない。
さすがに格が違う。
一気に俺、心が折られたような気になった。
ここまで来たということは、松永殿も今の状況に焦りを覚えているということのはずだ。だが、その片鱗も感じさせぬ。
やむをえず、俺は直治どのに視線を走らせる。
直治どの、立ち上がって、描きあげた絵をしまっている納戸に向かう。
その間にも、松永殿、話し続ける。
「棟梁、京の町を描き、その静謐を保たんがために上洛せよと、どこぞの武将に進物にするのであろうが。
とうの昔から知っておるのだよ、その話は。
まして、棟梁の手の者が、あちこちで京の姿を写し取っていたこともこの耳に入っているぞ」
くっ、予想以上に将軍様のまわりは、このクソジジイの息がかかった者で埋め尽くされているらしい。
「誤解でございます。
将軍様からは、『京の名所案内があれば、このようなものがあったと後世に残せるのだが……』と聞いておりまする。たとえば相国寺七重大塔、これも三十六丈(約109メートル)もの高さをを誇るものでありながら、はや焼失から百年が経とうとしております。すでにその目に見た者は死に絶え、そのような巨塔ですら忘れ去られるは必定、将軍様の危惧はよっくわかりまする。
なので、あくまで京の名所、京に住む者が遊楽できるところを描いたに過ぎませぬ」
「さあ、どうだか。
その言い逃れが、この久秀に通用するかの。
結局は、世を動かすは人よ。その人がどう描かれているかで、棟梁の言が嘘だということは自ずから明らかになろうよ」
……相変わらず、このクソジジイは真を突く。
これで、この力を公のために使っていただけるのであれば、狩野の棟梁として忠を尽くしても良いのだが、如何せん、松永殿は汚れすぎている。
そこへ、直治どのが信春にも手伝わせて屏風を運んできた。そして、松永殿の眼前で開き、立てたうえで、引き下がっていく。
いよいよ……。
俺が長年描き続けてきた京の絵姿を、信春、直治どの、小蝶以外の者が見るときが来た。
ああ、おそらく父は盗み見ていただろう。
勝負である。
勝てば、松永殿は二度と狩野に手を出しては来ぬであろう。
「これは……」
「洛外名所遊楽図屏風でございます」
縦が二尺八寸(84.8cm)に横五尺八寸(175.8cm)。これが二つで四曲一双の小ぶりのものだが、金泥を使い、すやり霞に覆われた京の図である。
「棟梁、これはまことに将軍様の依頼のものか」
松永殿、いっきに当てが外れたというような声になった。
「先程も申し上げましたとおり、依頼はされておりませぬ。
当然、絵の具の代もいただいておりませぬし、狩野の身上のみで金泥を使い、絵を描くとなれば、これで精一杯でございまする」
洛外名所遊楽図屏風、京の名所を描き、そこに集う人がちらほらといるだけの絵である。
絵としての完成度は高くても、そこに込められたる意味はまったくない。
実は俺、この日が来ることを確信していた。
なので最初から、縦は五尺三寸(159.2cm)に横は十二尺(361.8cm)、これが二つで六曲一双となる屏風と、洛外名所遊楽図屏風という二つの屏風を並行して描いてきたのだ。
かたや、京の人々の生活まで描かれた大画、かたや金泥を使い原資が掛かっているとはいえ、ほぼ名所案内に過ぎぬ絵である。
二つを同時に描くというのは、その完成度を高めるのに極めて有効な手段であるし、これを通して得るものも多かった。
おそらくは、洛外名所遊楽図屏風、こちらはどこかの商家にでも引き取られて、案外のこと、洛中洛外図より長く世に残るやも知れぬ。
「まさか、まやかしではあるまいの」
「まやかしとはなんのことでございましょうか。
お疑いであれば、この絵、お持ちになってお調べくださっても結構でございまする。
また、将軍様からは、この絵についてその後、まったく御下問がありませぬ。やはり、私めが先走りましたものか、と。
なれば、もしも将軍様がお忘れでございましたら、松永様にお買い上げいただけるのであれば、この源四郎、恐悦至極に存じます。
金泥分の出費の穴が埋まるのは棟梁として……」
「やかましい!
誰がこのようなもの買うか」
松永殿、そう吐き捨てる。
ひょっとして俺は、このクソジジイの弱点を掴んだやも知れぬ。つまり、吝嗇ということだ。
無理にでも売りつけに走れば、早々に立ち去るのではないか。
ちびりちびりと片鱗を見せてきた伏線を回収です。
史実でも、ほぼ同時に同じ絵を描いているんですよね。
第18話 嫁
に続きます。




