第15話 予感
まあいい。
ともかく、仕事は仕事である。
さすがは父で、大徳寺の涅槃図を描きあげた後は、どのようにしたのか、そのまま障壁画の注文まで受けてきていた。描くのはまだ先にせよ、父の商才には恐れ入る。俺にはまだ、とてもこの真似はできぬ。
だが、そのせいで仕事前の殺気立った父に、俺は小蝶のことを聞く機会を失っている。
いや、もしかしたら父は、そこまで考えて俺に捕まらないようにしているのやもしれぬ。
こういうことは、時間が経てば経つほど聞き難くなるものだ。
聞く際には俺は自分の読みを話さねばならぬ。そのときに、時間があればあるほど深い読みを要求される。
一月もあったのにこれぐらいしか読めぬのか、とは思われたくはないのだ。
父は、おそらくはそこまで考えている。我が父ながら、こういうところはとことん喰えぬ。
まぁ、いい。
俺も忙しいのだ。そのうちになるようになる。俺の問題で、決着の期限も俺が決めればよいのだ。無理に焦る必要もない。もちろん工房も忙しいのだし。
小さな絵、扇絵など、描いても描いても終わらぬのだが、これが腕を上げる近道ともなっている。
信春、直治どの、小蝶は当然のこととして、その他の者も確実に腕を上げていた。否応なしに毎日描かせられる、これはとても大きいのだ。石見太夫も、そろそろ仕官なりの話もあるやもしれぬ。
近頃工房に出入りするようになった我が弟、秀信も齢十歳にして粉本による絵修行を終えようとしている。近いうちに、秀信も大きな我が力となってくれよう。
ただ……。
絵修行の行き着く先は、やはり人による。
どこまでたどり着けるか、さらに一皮むけるか、それはもう才だけでなく巡り合わせや運というものなのかも知れぬ。
ここへ来て、信春と直治どのに微妙にだが、明確な差が現れ始めていた。誰にでもわかる差ではない。よほどの手練でなければわからぬし、直治どのは気がついていても、信春は気がついておるまい。
信春の筆の方が、より伸びやかに上を行くようになってきたのである。
それに対し、直治どのの筆は、相変わらずどこか生硬さが抜けきらぬ。これは、直治どのの心にも大きな影を落とし始めていた。
「そろそろ高弟として、狩野を名乗ることを許そう」
俺の許しの言葉に、信春は言を左右して逃げの手を打った。
おそらく信春は、内心、狩野の棟梁たる俺の筆をも超えたと思っているのであろう。
そろそろ七尾に帰り、そこから新進の天才絵描きとして名を売ろうと考えているに違いない。なれば、自ら狩野を超える一派を立てようと考えるであろうし、その際には狩野の画名は邪魔になる。
相変わらずの信春に棟梁が勤まるかは見ものだが、時流の波に乗れば一気に派を大きくすることもありうるだろう。このような波のめぐり合わせ、なかなかに馬鹿にできぬものなのだ。
それに対し、直治どのは絵筆の硬さがそのまま生き方の硬さにも繋がるようで、狩野の名乗りを素直に喜び、受け取ってくれた。
これで、直治どのは、いずれかの大名家への仕官の道が拓けたということになる。立場ある武士の作ともなれば、生硬さが抜けきらぬ絵の方が好まれようし、信春から離れれば気鬱も晴れるであろう。
それになにより直治どのなれば、絵描きの技のみの者として仕官するのではなく、絵も描ける者として重宝されるはずだ。
まだまだ世は荒れる。
なれば、出世の機会も多く、どこぞの家老は狩野の名も持っているなどという例すらありうるし、直治どのなれば先が楽しみであろう。
ただ、それは俺の見るところであって、直治どの本人は、小蝶に対してまで引け目を感じているようだ。自分は一派を立てるほどの腕ではないという、その思いが引け目に通じているようだ。
そして、まだまだ直治どのが幼いと思うのは、「なら信春のような男であれば小蝶の気を引けるのか」という視点がまったくないところだ。女性としては、信春のような男とともに生きていく方が危ういではないかと思うのだが、その当然の視点がまだないのだ。
だが……。
これは別の意味も持っている。
信春と直治どのが、近いうちに工房から姿を消すということでもあるのだ。
俺はその日が来るのが恐ろしい。少なくとも信春は、明らかに敵に回る。これより先、なにが起きていくのか、俺は震撼せざるをえない。
一方で、小蝶は信春の失言以来、自らの心を外から窺わせるような真似をしなくなった。女性がおのれの心を本気で隠そうとするならば、古歌の「しのぶれど 色に出にけり わが恋は ものや思ふと 人の問ふまで」などということはないのではないか。
第16話 松永殿、来襲
に続きます。




