第14話 真桑瓜騒動
その後も、俺たちの関係は、表立ってはなにも変わらなかった。
俺の予想を裏切り、直治どのはあからさまに小蝶を口説くこともなく、ただ、物売りから甘いものの一つも買って渡すに留まっている。だが、手元不如意の直治どののこと、その回数も決して多くはない。
これでは思いなど伝わらぬ。
複雑な思いとともに、そう思っていたのだが……。
ただ、それが罪もない事件に繋がったことから、直治どのの思いは工房で知れ渡ることになった。
そろそろ夏のことゆえ、直治どのが瓜売りから黄蘗色も鮮やかな真桑瓜を丸ごと一つ奮発し、それを小蝶に渡そうとしていた。
右京には結構畑地もあることから、申し分なくみずみずしいものが売りに来られているのだ。
ただ、受け取った小蝶とて、他の者と分け合って食べるので、自分は甘いものを切り分ける役を頼まれたとしか思っていないのだが……。
直治どのは、いそいそと工房横の井戸に真桑瓜を沈め、冷やしだした。見ている俺としては、微笑ましいというか、健気というか、その一方で腹立たしいというか、忌々しいというか、複雑極まりない感情が湧く。
工房の棟梁として、「俺も、俺も」と同じことができるわけもない。するにしても全員に対してであって、小蝶のみに対してなどできるはずもない。
それはともかく、そのあと直治どのが手水を使いに立ったところへ、間が悪く信春が帰ってきたのだ。
「暑くなったなぁ」などとお気楽に呟きながら、信春は冷水を飲もうとして、井戸の中に吊るされている真桑瓜に気がついた。
「誰のものかな。
一欠片、貰うぞ」
との声と同時に、止める間もあらばこそ。
刀子が差し込まれ、くり抜かれた一欠けが信春の口に収まった。
そこへ直治どのが戻ってきたのだから、不穏なものにもなろうというものだ。
「今、なにをしたっ!」
齢十四の人間の出す声ではない。
直治どの、城主の息子ともなれば、戦場での下知(※)の声の出し方というものも知っているのだろう。
「あ、いけなかったか。
なら、早く言え」
と、信春め、平然と返したものだから話はややこしくなった。
「新しく買って返せっ!」
「なんでだ?
まだ、ほとんど手はついておらぬぞ。
切り分けて食えばよいではないか」
「許さぬっ!」
「なんだ、瓜一つで大げさな……」
あとはお定まりの言い合いである。とはいえ、年長で身体の大きい信春が、ことつかみ合いともなれば、武士の子である直治どのにはまったく歯が立たぬ。直治どのから手が出ることはないゆえ、言い争いにとどまるのはありがたいことではある。
ともかく、武士の子、それも城主の子ともなれば、どれほどの種類の稽古を積み重ねているのか、底が知れぬ。
その直治どのだが、俺や信春にはこのように物が言えるのに、小蝶に対してはほとんど話せぬ。絵のことなら話せるのに、それ以外のこととなると、壊れかけの水車のように舌の回転は覚束ぬ。
話せないから口説けぬ。それを自らわかっているゆえに、物売りから甘いものを買うのだ。
こう話を並べると、なんともしょうもない話である。
だが、そこは直治どのも必死なのだ。だからこそ、ここで信春のつまみ食いに対して引けぬ。
だが、手強い直治どのに手を焼いた信春はこともあろうに……。
「……直治、わかったぞっ。
この瓜は、小蝶どのに渡したかったのだろう。最近、お前、なにかと小蝶どのに甘味を渡しておるものな。
お前、小蝶どのに懸想しているのか」
「この、うつけがあっ」
直治どのの顔色は蒼白から一瞬で赤く染まり、六つも歳上の信春を面罵し、とりあえず黙らせた。というより、論争の中身を変えた。信春が、そのまま黙っているはずがないのがわかっているからだ。
俺は、頭を抱えた。
そもそも信春よ、そのようなことを問うのに、なぜいつものとおりのでかい声で聞くのだ。
小蝶は挙動不審となって礬水の鍋をひっくり返し、盛大に湯気を噴き上げる。
信春と直治どのは、互いにどちらがうつけかどうかで揉めているし、もう、仕事に差し支えること夥しい。お前たちは二人共、十分にうつけではないかっ。この馬鹿者めらっっ。
……そこから先は、もうくどくどと話すまでもあるまい。
結局、棟梁たる俺が双方と小蝶をなだめ、新たな真桑瓜を十も買い、工房全員に行き渡らせることになった。
予定外のとんでもない出費だ。
俺だけが損をしているのではないかと思うのだが、この思い、そう外れてはおるまいよ。
※下知 ・・・ 命令
当時、真桑瓜は1つ4,000円ぐらいに相当したそうです。そりゃあ、怒るよw
第15話 予感
に続きます。




