第11話 直治どのの思い
「直治どの。
頭をあげられて、こちらに」
俺はそう言って、自分の部屋に直治どのを連れて戻った。
「直治どの。
その二年だか、一年だかの間に、名を成し、派を立てようと思われているのか」
「そのとおりでござる。
そして……」
直治どのの必死な形相に向かって、俺はその言葉を遮って言う。
「直治どの。
この狩野源四郎、全力を挙げてそのことにつき、邪魔をいたしましょうぞ。
それでもなお、二年で派を立てることができるとお思いか」
「なぜ……」
呆然とし、信じられないという面持ちで直治どのは俺の顔を見る。
「直治どの。
今よりは、狩野の棟梁として話そう。
派の棟梁ともなれば、常に他の派の棟梁と仕事の取り合い、鬩ぎ合いの毎日。
筆を能くする者が新たな派を立てるということになれば、狩野だけではなく京のすべての絵師が敵に回るは必定。
それでもなお、勝ち残った者だけが派を立てられるのだ。そこには汚い駆け引きもあれば、縁故という信用も必要になる。
若干十四歳、二年後でも十六歳にして、それを直治どのが作り上げられるのか。
この狩野源四郎をもってしても、受け継ぐことはできても新たな派を立てることは難しいと思っている。狩野の今は、四代の日夜の積み重ねの結果なのはご存知であろう」
「しかし……」
白くなるまで唇を噛み締め、それでも反論しようとする直治どのを俺は見つめた。
自分の心に、もくもくと黒煙が立ち上る。俺は苛立っている。
そうか、これが嫉妬という心の動きなのやもしれぬ。
つまり、俺は小蝶を手放したくない。そう考えて……、いや、考えてはおらぬ。そう心が動いているのだ。
俺は……、俺は小蝶に惚れている。だから、小蝶に惚れた他の男が許せぬ。
直治どのであっても許せぬ自分に驚愕しながら、初めて俺はそれを明確に自覚した。
俺は、黒煙を意思の力で押しつぶし、直治どのに告げる。
「それに、そこまでしても、直治どのに小蝶はなびかぬ」
「な、なにゆえにそのようなことが……」
半ば呆然と直治どのは聞く。
俺は、質問に質問で返した。
「そもそも、なにゆえに直治どのは小蝶に惚れたのか」
「兄に尽くす姿を見、その描く愛ぐい絵を見れば、当然のことでござろう」
「兄ではない」
「はっ」
「兄ではないのだ」
俺の言に直治どのの顎が落ちる。文字どおりの驚愕なのだろう。
「それは、どういうことでござろうか」
「狩野の家中のことにて、他言は無用ぞ」
俺は、あえて念を押す。
「……心得申した」
声まで蒼白になって、直治どのが応える。
「小蝶はな、我が父が、土佐派棟梁の土佐光元の娘を自分の産ませた子と偽って引き取ったのだ。俺も、小蝶が妹ではなく、はとこだと知ったのは二年前の絵比べのあとでな。
父がこのようなことをしたのには、やはり理由がある。
あの光元め、『武士になりたい』などとほざいて、家にも寄り付かず放蕩していたのだ。その結果、齢十六にして、どこかの女を孕ませおった。当然育てるに育てられず、日々の生計に窮し、あまりの空腹に母と泣く女童を我が父は見ていられなくなった。
そして、その女童を引き取るには、我が父だけでなく、そのときの棟梁である祖父の考えも入っていたらしいのだ」
「なんと、そのようなことが……」
直治どのにとっては、青天の霹靂であろう。
祖父が首を縦に振っていれば、誰も異を唱えられぬ。
狩野の誰もが、あの堅物の宗祐叔父ですら、小蝶を身内として扱っていた。
何事にも用心深い直治どのですら、疑う余地があるはずもない。
そこまで話し……。
不意に父の思惑が、俺の中ではっきりと形を作った。
これは我が父ながら、まことにえげつない。
土佐光元は相変わらず、らしい。
さすれば、土佐の直系の血筋の娘を狩野の棟梁の嫁とすることで、大手を振るって土佐派を我が狩野が吸収することもできよう。
もっとも、現実的には、土佐派の重鎮と呼ばれる高弟たちが自力でなんとかしようとするだろうとは思うが……。それに、彼らにとっては、狩野の絵の手本である粉本を学べというのは屈辱であろう。
だが、父なれば、その不満を力押しで押しつぶす。
簡単なことだ。
土佐派は大和絵の流れゆえ、公家におぼえが良い。
狩野は、加えて武家にも顔が利く。ゆえに、武家に力を借りるのも容易い。交渉の席に強面の武将が一人立ち合うだけで、土佐の高弟は意のままにならざるをえぬ。
根回しの周到さと、実行のときの豪腕の両立、これも父の手の内なのだ。
第12話 男と男の話ぞ
に続きます。




