第9話 花は枯れる
いや、そもそもだが、いかに美しい女でも歳を取るものだ。
失われてしまう美しさより、狩野の嫁としては家を守るだけの器量の方が必要だ。また、あまりに吝嗇で悋気(※)に満ちているようだと、この俺が日々苦労する。日々、絵筆を持つ意欲を奪われてしまうのは避けたい。
やはり、心根が優しく、気が利いて、絵の仕事のことも少しは理解り、小蝶のように家を差配できる者がよい。
となると、やはり小蝶が……。
いかん、これでは堂々巡りだ。小蝶以外を選ぶために条件を出しては、小蝶に戻ってきている。
「目が泳いでおりますよ、兄上様」
「うるさい。そういうところぞ。
小蝶、お前はもう少し、淑やかにできぬのか」
「おや、兄上様は、三歩下がり、常に一つ一つお考えを伺うような女性がよろしかったのですか。
では、この小蝶も明日からそのようにいたしましょうか。
なに、簡単なこと。さすれば、兄上様……」
毎日、なにかと伺いを立てては一刻ごとにすり寄ってくる小蝶を想像して、俺はげんなりした。そうなったら、絵筆など持てぬぞ。
それに、小蝶め、妹としてこの家に入ったことなど綺麗さっぱり忘れた振りをしておるな。
「いや、やめてくれ。
いちいちあまりに面倒だ」
小蝶の顔が、輝いたような気がした。
「では、これからも、この小蝶めに家宰を任せていただけるのですね。
これでは、私、他家に嫁になど行けませぬなぁ」
「あ……」
「それではこれで、この話は終わりということで」
「ちょっと待て。
先々、この兄が嫁を取るかもしれぬ。それは考えたのか」
このままやられっぱなしではよろしくなかろうと、俺は呼び止めて改めて問う。
そもそもここで問わねば、いつ問うというのだ。
「相変わらず、兄上様はお優しい」
「どういうことか。
そのような言い方で、うやむやにはさせぬぞ」
「縁談とは家と家のもの。
これから先、兄上様がお断りになれぬ縁談もあるやもしれませぬ。
そういった事情までお考えの上で、この小蝶の身の先々をお考えいただいたのですね。今のお言葉は、そういうことでございましょう」
「……そうだ」
「だから、お優しい、と」
……まだ言いたいことがありそうだな。その口ぶり、相当に含むものがあるぞ。
「だが小蝶、それでよいのか」
「兄上様。
初めてこの家に来て、初めてお目にかかったときから兄上様は特別な方でございました。
ですが、この思い、まことに身勝手なこの小蝶の独りよがりでございます。
ですから、最初からこの思いが成就するとは思っておりませぬ。私も好きにしますゆえ、兄上様も好きになさいませ」
そう言われてしまっては、もはや俺から言えることはなにもない。
人の心の中に踏み込み、なにかを思うなとか、なにかを考えるなと言うほど愚かしいことはなかろう。なぜなら、まったく意味がないからだ。人がなにを考えているかなぞ、顔をつき合わせていても決してわからぬ。この俺が絵師であり、他の者の顔をじっくり見て取ったとしてもだ。
「……そうか」
と、ようやく芸のないひと言を俺は絞り出した。
「このようなこと、はずみで口から出たとはいえ、もともと口にするつもりはございませなんだ。
小蝶は扇絵が描ければ食うには困りますまいし、兄上様はなにもお気にされることはなかろうかと。
ああ、もちろん、兄上様が嫁子を取られた暁には、二度とお側へは寄りませぬゆえ、ご安心を」
「相わかった」
よっく、わかった。
小蝶のこと、無かったことにはできぬということが、だ。
おそらくは……。
俺が他家から嫁を迎え、ここで生活を始めれば、小蝶という花は枯れる。枯れぬ訳がない。「二度とおそばへは寄りませぬ」などと安請け合いできることの意味、たちが悪いことに、小蝶自身がそこに気がついてはおらぬ。
現実に起きることとして捉えること、小蝶にはできぬことなのだ。
おそらくは、そうなったら現実に起きていることより夢の方が間違いない真実だと思い、思い込み、ついには夢遊の病から衰弱に至るやもしれぬ。
そうなら、俺が嫁を取る前に、そう、小蝶という花が枯れる前に他家に嫁に出すしかない。
そこで新たな生き甲斐を見つけられるよう、天に祈りながら、だ。
だが、俺よりよい男など星の数ほどもいる。天が祈りを聞き遂げてくれる割合は存外高いとは思う。
だが、天に任せるのは、あまりに運頼みであるのも間違いないところではあろう。
さて、どうしたものか……。
※悋気 ・・・ 嫉妬心
第10話 小蝶の闇
に続きます。




