第7話 これが京、そして洛中洛外図ぞ 承前
働く者はそれだけではない。
世に生業の種類は多く、職人とも商いとも分けることができないものも多い。
大原女が牛と一緒に薪を運んでいるし、風呂屋では白衣の湯女が客の頭を洗っている。高野聖が日々の糧を得るための布売商売をしていると思えば、猿回しが赤いちゃんちゃこを着た猿に芸をさせ、琵琶法師は犬に追いかけられて、盲目ながら走って逃げている。
そして、商いがあれば、当然のように客がいる。
意気揚々と歩く烏帽子を被った若衆がいる。どこぞの奥方が、傘を差し掛けられながられながら歩いている。
公家の子供が我慢できなくなったのだろうか、輿から降りて人目につかぬよう抱えられておしっこをしている。この下絵を描いたのは信春。あまりに信春らしくて頬が緩んでしまう。
だが、このようなものまで含めて、道を行く者の数は多い。
京の町は生きている。
人々によって生かされている。
そうとしか言いようがない。
生きていると言えば、たくさんの生命が京にはあり、それがまた日々我らの糧となっている。
犬を連れた鷹匠、そしてその鷹に狩られる鷺。鳥をとりもちで掴まえる鳥刺し、深泥ヶ池で鴨を弓矢で狙う者、狩りに出かけるのか、家来に弓を持たせた武士もいる。
鮎を獲る者も多いことを考えれば、どれほどの獲物が京にいるのだろうか。
毎日毎日狩られながらもいなくならないのだから、その数は恐ろしいほどに多いものなのかもしれぬ。
そして、人の生命の力の発露が見られるのが祭りだ。
祇園会の長刀鉾、蟷螂山、さらに神輿渡御。
そして、それを曳き、担ぐ者たち。
祇園会は、京の人々がここに暮らしている限り、その生命が受け継がれていく限り、続いていくのであろう。
思い切り伸びをする。
目を酷使する日々はまだ終わらない。根を詰めすぎて感じられぬ、あの疲れが蓄積しているのだ。
ここまでで、すでに二千を超える人々を描いてきた。
さらに、俺のお会いしたことのある方たちを描いていこう。
関白様は、お屋敷の門で客人を迎えている。
公方御所には続々と来客があって賑やかだ。そんな中で、将軍様はお付きの者に挟まれ守られている。
細川殿の屋敷では武士だけでなく奥の方たちも顔をのぞかせている。長年手入れされてきた庭は、広く美しい。
松永殿の家では、盛大に左義長が行われている。これを描き落としてはならぬ。
最後の最後に、俺の祈りを描こう。
将軍様が、ご無事で安泰でありますように。
そう祈って、俺は賑やかな闘鶏の場を描く。
闘鶏は、安泰祈願の行事なのだ。
将軍様はこの絵で屏風の右隻と左隻、ともにいらっしゃることになる。
これで二千四百五十一人。貴賤、老若男女、すべてを描いた。その人々の姿こそが京の都なのだ。
ただ、未だ描いていないものもある。
上杉殿だ。
上杉殿だけは、あとから世の状勢によって描き足す。
今の段階では、画竜点睛を欠くが仕方ない。
そして、もう一つ。
描かぬことで、俺は呪いを掛ける。
描かぬことゆえ、そのなにもない空間から、俺の意図を推し量ることは誰にもできまい。
三好殿の屋敷には、御成のときの冠木門だけが残る。
他の屋敷や家には、人を描いた。
だが、三好殿の屋敷は無人だ。
俺は、描かないことで将軍様の意を表し、仕掛けたのだ。
おそらくは来年、再来年にはその仕掛けは発動し、三好殿の屋敷はこのような姿になるであろう。
絵師の姿写しは呪にもなると、俺は信じている。
心ゆくまで描き、目を酷使し、二度とこのような仕事はできぬと内心思い……。
俺は、画竜点睛を欠くままの屏風絵を、そのままにしまい込んだ。
将軍様から御下問があれば、あらためて出してくればよい。そして、その時の状勢で、最後の筆を入れようではないか。
第8話 縁談話
に続きます。




