第2話 筆を遊ばせるは楽しい
だが、そんなことは抜きにして、ただ単純に楽しい。
絵を描くことは、俺にとって糊口をしのぐ技でありながら、ひたすらに楽しい。
細かく細かく、信春、直治どの、小蝶の描いた下絵を写し取っていく。その中で、すべての下絵は俺の筆のものになっていく。
ただ、あまりに実際の姿からかけ離れてはならぬものゆえ、下絵を書いた三人とは常に打ち合わせる必要がある。
それぞれの下絵を描いたときの話は、みな楽しい。描かれる者たちのそのときそのときの動きや意思がわかっているのは、下絵を描いたのが信春、直治どの、小蝶の三人だからだ。さすがの観察力ですべてを見て取り、それをそのまま紙の上に移してある。おかげで俺は、京の人々の表情までも描き込むことができる。
打ち合わせた結果、当然のようにこの三人と共に描きこむこともある。これに関しては、「直接見ていない俺にはどうにも描けぬ」と、そう思うこともあるからだ。
動き、躍動感は下絵からだけでは十分に伝わらぬのだ。
やはり祖父は偉大だった。
このような合作のときでも、狩野の画法の教本というべき粉本を学んだ俺たちの合作筆致に違和感は生じない。
だが、何しろ細かい絵なので根を詰めて描くが、それで得た疲れほど進んでいかぬように見える。。
縦五尺三寸(159.2cm)に横は十二尺(361.8cm)、これが二つで一双の屏風となるわけで、そこに細かく細かく描くというのは、描いても描いても終わらぬということだ。
膨大な空間に、根を詰めて筆を走らせ続ける。いつの間にか、自分の意識が筆に乗り、どこか別の世界を覗っているような気になる。
ひたすらに筆を走らせ続け、我に返ればぐったりと疲れている。
その疲れる頃合いには小蝶が茶を淹れ、皆で話しながら菜饅頭や餅、稀には「びすかうと」などの南蛮菓子をつまむなどの贅沢もする。
その際の話も楽しい。
この洛中洛外図は、使う色数が多い。
色数が増えると、至るところに絵具皿が並び、使う筆の本数も増える。そして、いちいち筆を持ち替えるのも面倒なので、いたるところで替え筆を持つことになる。右手で赤を描きながら、他の指には黒の筆をはさみ、左手の指の間には緑と青の筆をはさみ、口には黄色の筆を咥え持っているという姿にもなる。
描きかけの上に絵筆を落とすなど、絵師としてあるまじきことだ。だから、無意識に顎には力が入る。
作画中にそのような感じで固まってしまった顎をほぐすためにも、他愛のない話はありがたいものなのだ。
信春の能登国、直治どのの肥前国に伝わる話なども飽きない。
いずれの場所も戦乱とは無縁とは言えぬ場所だ。
それでも、日々の生活は続けられているし、そこからこぼれてくる話は可笑しくも微笑ましい。
ほとんど京から出たことのない小蝶にとっても、これらの話はやはり楽しいらしい。そして、小蝶にもそれらに負けぬ京の都の話がある。山海の話は少ないものの、人の数が多いだけに細かい説話は多いのだ。
小蝶が屈託なく笑う姿はここのところあまり見られていなかっただけに、俺としても喜ばしいものがある。
いにしえに今昔物語集を聞き取り、そして書き遺した者もこのような楽しさを得たのではないか。
思いの外、この国は広く、その地方ごとの生活は奥深いのだ。
第3話 高みと妬心
に続きます。




