第1話 描き出したぞ
後顧の憂いは断った。
一つの謀を終え、俺はそろそろ絵師の本分に戻り、筆を持つ日こそを重ねばならぬ。
信春、直治どの、小蝶とともに、洛中洛外図屏風を仕上げねばならぬのだ。
ここまできて、ようやく俺は自分のやりたいことが掴めた気がする。
武家の障壁画、その勇壮さ、豪放磊落さ、そういったものは当然良いものだ。
だが、俺という人間は、その一辺倒ではない気がする。
美は極めて些細なものにも宿る。
一度はそのようなものに、うつつを抜かすほど没入してみたい。大から小なるものを作るのではなく、小を積み上げて大としてみたい。
俺の心の中のどこかにあったその欲が、俺にこの絵を完成させるという選択をさせた。
このような機会、そうそうあるものではない。
この欲を満たし、小を積み上げて大とする描き方を得ておくことは、俺がこれから絵師として生きるのにあたって大きな財産となるだろう。実際にこの先、このような絵を描くことはないにしても、我が絵の仕上がりは大きく変わるはずだ。
ならば、たとえ狩野からの持ち出しになろうとも、この絵は完成させようではないか。俺は、祖父を超えていかねばならぬのだから。
そもそものことを言えば、将軍様のご下命の意図はすでに実現せぬ。上杉殿が軍神たりえなくなったとき、京に呼ぶという状況はすでに崩れた。さらに言えば、その必要も今は薄い。三好殿の横暴、今はほとんど抑え込まれてしまったのだから。
そのためか、未だ将軍様からは、この絵がどうなったかと尋ねられてはおらぬ。本来であれば、こちらから伺いを立てるべきなのではあろうかと思っている。
だが、ご下命の状況が崩れた今、こちらが伺いを立てれば、押し付け、売りつけるための意と取られることにもなりかねない。俺としては、それは避けたい。それに、そう遠くない未来において、この絵の客が現れるという直治どのの読みは正しいとも思っている。
俺は、派の棟梁として、この絵を仕上げる。
売れればよいが、売れなくともよい。棟梁が好きな絵を一枚描いたくらいで、狩野の屋台骨は揺るがぬ。
ようやく、俺はそう割り切ったのだ。
ならば……。
三好殿が京を追われた、今この時の京の姿を残すのがよい。束の間でも、京の都は明るい気が満ちている。この機を逃してはならぬ。
俺の考えに三人共が賛意を示し、いよいよ下絵を本絵に写し出すことになった。
将軍様の御所には、六角殿の家紋入りの幔幕を描こうと思う。隅立て四つ目、後々まで残る絵として、この家紋は良いものだ。
六角殿は尾張の織田殿にも繋がりがある。三好殿に対抗する勢力のまとめ役として、今この時の京の姿を残すのには最も当然な選択なのだ。
そして、これを描いたが最後、戻れぬ橋を渡ったということになる。
三好殿の|三階菱に五つ釘抜《さんかいびし に いつつくぎぬき》の家紋を描いた方が、無難なのは間違いないのだ。
この絵を三好殿、松永殿に見られれば、狩野の派の存続にも関わるほどの不興を買うことは間違いない。俺が隅立て四つ目を描いたら、その覚悟を信春、直治どの、小蝶にも示したことになる。
ひそかに、父も描きかけの空白の幔幕を見たらしい。
「源四郎、賽子の目はまだわからぬぞ」
そう言いながらも、「もはや隠居の身」と俺の決断に口を挟むことはなかった。
おそらくは、我が部屋のすべての下絵を見てそう判断をしたのだろう。
こういうところで、否応なく俺は思わされる。俺は良き父を持った、と。
第2話 筆を遊ばせるは楽しい
に続きます。




