第23話 謀(はかりごと)の全容
畠山の陣には、すでに根来衆が雇われていた。なので、俺が話を持っていく相手は雑賀衆しかいなかった。
依頼内容は、「一月二十日(※)に貝吹山城にていくさを起こすゆえ、三好の大将を討ち取って欲しい」というものだった。最初は、将軍地蔵山で仕掛けようかともと思ったのだが、京に近すぎるとあからさますぎて露見する危険があると考え直したのだ。
雑賀の頭領、雑賀孫一は、敵の大将を討ち取った手柄が商売敵の根来衆のものになることを承知の上で、仕事を受けてくれた。
多額の報酬を約束させられたものの、町衆たる俺がいくさに介入する方法は他にはない。当然その報酬は、狩野の懐だけから出ているのではない。京の町衆たちからも相当の額が出ている。
もちろん、町衆の中でもいろいろな考え方があり、三好殿から儲けさせていただいている者もいる。だが、その者たちも酒屋役、土倉役、さらに津役に関銭と税を取られていた。ただ単にそれだけであれば、売値に乗せればいいだけの話なのだが、ことはそれだけでは済まなかった。
分一徳政令の公布権まで、三好殿は手に入れられたのだ。この分一徳政令が出されると、酒屋土倉が貸していた金はなかったことにされてしまう。それが嫌なら、貸した金の一割を上納せねばならぬ。こうなれば、その一割のために分一徳政令は乱発され、とてもではないが商売などやってはいられぬ。
結果として、町衆のかなりの数が財布の紐を緩めたのだ。
同時に……。
三好実休殿の兄、嫡男義興殿についても俺は手を打った。こちらは、町衆の中でも一握りの者しか知らぬ。
岩絵の具の緑青は青みがかった緑色を出す粉末だが、なぜか古いものほど毒が強い。そして、選り抜きに古いものが密かに運ばれていた。
それは、高級別誂品の繁縷塩に混ぜられ、生活雑貨を扱う町衆の一人から献上され、義興殿の歯の掃除に使われることになった。口の中を洗うことは、近年始められた習慣である。ゆえに繁縷塩も極めて珍しいものゆえ、家来に下げ渡されることはありえぬ(※2)。
さらに診察する当代一の名医も、将軍様に連なる者なのだ。毒消しとしての処方は、砒素を含む石黄となろう。これはあくまで一般的な処方である。そして、その名医の処方した薬を混ぜる匙は、医業見習いの薬石問屋の若い者が握っている。そして、その薬箱に特別に良き石黄を入れるのは、薬石問屋の番頭だ。
医を志す者が毒殺を行うは難しい。なので、このように役割を分担させたのだ。互いにはなにも知らぬ。それぞれの役割を決めた、薬石問屋の主の胸の内にしか証拠はない。
そして、義興殿が伏したのちに、「毒を盛ったのは松永殿」と、京の町に流れるのはそういう噂となる。俺は、この噂を松永殿に御注進(※3)する役割も負っている。
結局、松永殿に権勢を与えたのは三好殿なのだ。
その三好殿への、小蝶の身の安堵という俺の直訴は、けんもほろろに突っ返された。それどころか、松永殿以上の無理を持ちかけられたのだ。
妹は松永殿へ、三好殿へは狩野の扇の販売権からの上がりの半分に加え、武家屋敷の障壁画の上がりの半分を献上せよなどと、このようなことを飲めるわけがないではないか。
こと、ここに至り、俺は父とも密かに協議を重ねた。
ただ、このあたりは当然のように、信春と直治どのはおろか小蝶にも内密のことである。とても言えたものではない。
「小蝶を差し出せば済む」と言う父への説得には、案外苦労はなかった。
三好殿が狩野の扇の販売権に触れたことが、父をも怒らせたのだ。そして、「なにがあろうとも小蝶は差し出さぬ」と言い張る俺に、父はいくつかの案と伝手を渡してくれたのだ。
ともかく、町衆たちは皆、今まで相当に上がりを掠められていて怒り心頭に発していた。その数の多さが、最後には父の考えをも動かしていた。
町衆の中には、久米田との間にある堺の会合衆に繋がりがある者もいて、さらに企みは齟齬なく進んだ。もっとも、これは信春と直治どのにも話せなかったので、往復の握り飯だけの関係としてある。
そのため、久米田までの往復ではより苦労を掛けてしまったが……。
結果として、三好殿は頼りになる弟を失い、ついに京を追われたのである。
※1 グレゴリオ暦1562年3月5日は、ユリウス暦1562年2月23日、でもって、和暦永禄5年1月20日にあたるようです。
※2 歯磨きのあと、口をすすぐ習慣ができるのはわりと新しいそうです。
また、緑青自体は無毒ですが、古いものほど精製が不十分でヒ素の混入が見られるそうです。
※3 御注進 ・・・ 事件を急いで目上の人に報告すること。
次話から新章に入ります。
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