第22話 絵師たちの唇歯輔車(しんしほしゃ)
今回の企み、俺は父とともにひそかに動いていた。この全容は父以外のだれも知らぬ。
信春と直治どのが、織田軍の援軍を演出し開戦に持ち込む。
織田木瓜の幟は小蝶が描き、彫り、ひたすらに刷り上げた。もちろん、布に見えるよう良く揉み込んだ紙を使ってだ。柔らかい紙を刷るのは極めて難しい。だが、小蝶はやり遂げた。
騎馬武者の姿は、雲母紙に、信春と直治どのが雄渾に描いてくれた。
そして、この策には信春と直治どのの知恵が不可欠だった。
唐人から買った花火をほぐし、粉にしたものに火をつけ、数瞬の閃光を得る。この閃光で、幟と騎馬武者の姿を、絵か本物か判別できぬほど短い時間見せるのだ。
弾薬は突き固めれば爆発するが、広げて火をつければ一瞬で燃え、明るさは出すものの音はほとんど立たない。このような弾薬の性質は、城主の息子である直治どのでなければ知り得ぬことだ。絵師に過ぎぬ俺たちには及ばぬ話である。
そして、幟や騎馬武者を描いた雲母紙は、久米田池の底深くに沈めてしまえば痕跡は残らない、
和紙は水中でもかなりの時間その姿を保ち、描かれたものも残る。が、それについては信春の知恵を使った。
墨を、烏賊の墨に変えると和紙は早く腐るというのだ。
信春の故郷、七尾は港があり、豊富な海産物がある。特に豊漁のときの烏賊は安い。
それを食えば食費だけでなく墨代まで節約できると考えたあたり、まことに信春らしいと言える。そして、実際に描いてみたら、筆に付けたときの伸びも良く、本当の墨のようだったというのだが……。
その和紙を崩して漉き直し、再び利用しようと水に漬けたらあっという間に腐り、悪臭を放つようになったのだという。当然のように、ぐずぐずに腐ってしまえば漉きなおすこともできず、再生できなくなった紙代を考えれば却って高くついたという笑い話だったのだ。
俺たちは、その知恵をすぐに使わせてもらった。腐った紙になにが描かれていたかなど、突き止めようもないからだ。
つまり、信春と直治どのがいなければ、この策はそもそも成り立たなかった。まさに互いに相補する、知の唇歯輔車(※)だったのだ。
その二人は、着ていた紙子をも他の紙類とともに久米田池に沈め、普通の地味な小袖に着替えた上で京に戻ってきていた。その小袖もすでに吉岡の染屋に持ち込まれ、憲法色のものに化けつつある。
つまり、行き帰りともその姿から信春と直治どのを割り出すこと、もはやかなわぬ。
ただ、たった三日足らずの間に、信春と直治どのは共にその頬をげっそりと痩けさせていた。
特に帰りは荷もないことから、堺で握り飯を受け取った以外、ほとんど飲まず食わずで歩き通したらしい。
二人はようように狩野の家に帰り着くと、水瓶の水を飲み尽くし、さらに行水を済ませ、小蝶が用意した大鍋一つの玉子粥を食べ尽くし、一寝入りした後にさらに飯を貪り食って、ようやく人心地が着いたという顔になった。
だが、信春と直治どのが急いだ甲斐はあった。
信春と直治どのが飯を食っている最中に、松永殿の使いが工房に来るなり皆の顔だけ見て、ものも言わずに帰っていったのだ。
なんという性急さか。
おそらく、三好軍の敗戦の知らせが早馬で京に着いたのだろう。
だが、徒歩とはいえ、戦さが始まるはるか前に現地を発った、信春と直治どのの帰洛の方が早かったのだ。
松永殿の使いは、工房に全員がいることを確認していった。さらには、高弟たちがいる、障壁画を依頼されている各普請現場にも行くに違いない。
この確認は……。
信春と直治どのの細工に気がついたのではないだろう。
間違いなく、俺が密かに進めていた、もう一つの小細工について確認に来たのだ。工房の全員が揃っていたのは僥倖に近い。信春と直治どのが急いだ意味はあった。これで俺に疑いを掛けられることはあるまい。
俺が、信春と直治どのはおろか、小蝶にも内密でやっていたことがある。
父と京の町衆たちと共に、密かに、だ。
それは、雑賀衆への仕事の依頼だった。
※唇歯輔車 ・・・ お互いが助け合うことによって成り立つ関係のたとえ。もちつもたれつの関係。
第23話 謀の全容
に続きます。




