第7話 心の臓が一つでは足らぬ
これは……。
これはなんとも……。
俺以外の三枚を初めて見たが、とりあえずは見事としか言いようがない。どれが選ばれても不思議はない。どれも駆出しの描く絵ではないのだ。
運筆を心得ていたはずの中堅、石見太夫の絵もこの中にあるわけだから、見違えていたかのように非の打ちどころがないということになる。こやつ、今までよほどに手を抜いておったのか、それとも今回の絵競いで化けたのか、あとで問い詰めねばならぬ。
それはともかくここにある絵は、全員が宗祐叔父に勝るとも劣らぬ腕の持ち主によって描かれたものである。「相手は田舎絵師」などと甘く見て手を抜いていたら、とんでもなく愚かなことになるところだった。一気に肝が冷えるような気がする。
密かに父の顔を覗えば、頬のあたりに硬さが見える。やはり、心中冷や汗を禁じ得ていないのだ。
父としても、これはあまりに想定外であったのだろう。
関白様ずんずんと我らの前に歩み寄られ、手に持った畳まれたままの扇で一番右に掛けられた絵を指し示した。
「まずはこれからじゃ。
絵としては、麿はこれが一番好きじゃ」
そう言われて、俺の背中にじんわりと冷や汗が浮いた。
すでに俺の絵は負けたということになったからだ。
「かの雪舟もかくやという達者ぶりではないか。
だが……」
この「だが……」で俺を含め皆に生色が蘇る。
「絵として見る分には良いのだが、部屋にある障壁画としてはどうかな。ちと固く、見る者を身構えさせるものがある。床(の間)に掛けるのであれば、間違いなく一等良かろうが、これと向き合って毎日ものを食うは、麿としては荷が重い。
狩野の絵はいかに豪奢なものであっても、どこか愛い(※)ものぞ。その愛さが救いのはずじゃ」
ふうっと息をつく音が聞こえる。
命を賭して描いたものが、一番好みに合うと言われながら選が決定しなかったのだ。描いた本人でなくても息を吐きたくなるだろう。
なるほど、よく観られていると思う。
祖父の描く花鳥図は、写実だけのものではない。その鳥の表情にはどことなく可笑しみがあり、見る者を安堵させるのだ。それは、関白様の言う愛いという言葉で表すことができるなにか、なのである。
それに対し、これはたしかに見事な花鳥図ではあるものの、あまりに表情が厳しい。寺社にあるのが相応しいほどの緊張感なのだ。
関白様は、俺たちの緊張など意に介さぬように続けられた
「次じゃ。
これもよい。描いた者の才気が迸るようで、見ていて気持ちが良いの。
自由闊達、何者にも縛られぬ姿は、位人臣を極めた麿の屋敷にふさわしいと思った」
ここで、再び息を吐く者が何人も現れた。なぜなら、関白様の言葉が「思う」ではなく「思った」だからだ。
「だが……。
障壁画は一枚で終わるものではない。
この才気の迸りを大画として十枚、二十枚と描けるものかどうか……。
麿は無理かと思う。そして、五枚の天賦の才に恵まれた絵と、十五枚の凡庸な絵が並ぶのであれば、麿としてこれを選ぶか迷う」
ふたたび、複数の息を吐く音がする。
これを描いた者も、今の関白様のお言葉を否定はできまい。たとえこれに反論して良い絵をもっと描けると主張しても、十五枚の天賦の才に恵まれた絵と、五枚の凡庸な絵という仕上がりになったらやはりそれはそれで言い訳ができぬからだ。
この場合は、二十枚の天賦の才に恵まれた絵が揃わねば意味がないし、それを言い放てるだけの自信がなければ黙っている方が良い。
それにしても、これは心臓に悪い。
一つでは足らぬやもしれぬ、などと思う。
同時に、関白様が直接語りたいと思われた理由もわかった。正直なところ、どれも気に入られたのであろう。だから、選ばれなかった者に対しても無下にできなかったのだ。
そしてまた……、狩野の嫡男を落とす危険がある以上、全員を褒めておいて損はない言うお公家様らしい心遣いもあるのやもしれない。だとしたら、言葉使いは武将でも、心の隅々まで武将になりきられたわけでもないのかもしれぬ。
「次じゃ。
これを描いた者、ちと変わっておるな。
絵を描くことには馴れておるのであろうが……、同時に描き馴れておらぬな。
花鳥図の花も鳥も、個々に見れば他の三枚のどれより愛く完成されている。だが、あまりに花は花、鳥は鳥なのだ。これらが組み合わされて大きな障壁画に果たしてなるものなのかどうなのか……。麿には、その姿が想像できぬ。
草子や扇なら良かろうが、の」
さすがによく見ていらっしゃる。指摘は厳しく、そして的を射ている。
だが、これは誰の絵であろう?
狩野の絵ではあるのだ。断じて新参の者の絵ではない。そして、横に座っている中堅の絵を俺はよく知っている。だが、断じてこの者の筆致ではないのだ。あえて言えば父の絵ではあるのだが……。
俺の思考の外から関白様の声が響く。
「だが、帰る前に、麿の扇に小さく猿を描いて欲しいものよ。猿は麿の干支でな」
そこまで気に入られたのか。
これを描いた者、関白様の絶大なる後ろ盾を得たに等しい。
次はいよいよ俺の絵だ。
さすがに緊張のあまり口の中が乾いた。
「最後の絵だ。
最初は他の絵に比べ、そう惹かれるものではなかった。
一番最初に選外としたほどじゃ」
ここで俺の顔色、蒼白だったに違いない。
※愛い ・・・ 可愛い
第8話 新参絵師の才
に続きます。