第15話 謀(はかりごと)
策はまとまった。
そうなるとあとは一日も早い実行を、だ。
松永殿からの使者が、俺に再度の呼び出しを掛けてくるだろう。ずるずると引き伸ばし、与えられる餌を渡し、時を稼がねばならない。
病気だという言い訳も使おう。物忌だとも言おう。
それでも伸ばせて三ヶ月以上は稼げまい。それ以内にすべてを終わらせねばならぬのだ。
策をめぐらし、小細工をするのに、絵師の家というのはなかなかに便利なものだ。
紙と絵の具、すべて揃っているのは当たり前だが、唐人とのつながりもある。あざやかな明るい藍は、藍銅鉱を粉にすることで得られるのだが、これは唐に産するものなのだ。他にも本朝に産しない岩絵の具は、唐人から贖うものが多い。
まぁ、このようなコネというものは、使えるときにこそ使わせてもらおうではないか。
とはいえ、このような謀のために削られるのは寝る間。
最後の三日など灯火の絶えることなく、全員が疲弊しきっていた。材料の入手、調整で、直接携わっていない石見太夫までも顔色が悪い。
だが今や、すべての準備は整っていた。
策を実行する前日の夕方。
信春は薄墨で染めた紙子を着て、頬かむりをしてどこかの下人かという風体になった。その口からは、ぶつくさ言うのがひと時も止まらない。これから密計を果たしに行くのに着飾ってどうするのかとは思うが、それが信春なのだから仕方がない。
紙子とは紙で作られた着物だ。よく揉んで、がさがさと音がせぬようにしてある。
背には、地味な小袖と紙の束を襤褸に包んで背負っている。
直治どのも同じようなものだが、打竹と小袋を持ったのが違うところだ。
打竹とは、火種を懐にしまっておける道具で、伊賀などで使われているものだ。近頃は種子島とも呼ばれている鉄砲が出回りつつあり、火縄の火種を保たせるための道具もさまざまに考案されている。
銅で作ったものもあるが、竹でできた物が今日の目的には適っている。
信春と直治どのは今日から二日前、三日前の二晩は徹夜となっていたが、今日だけはよく寝させておいた。これから徹夜で走り回るのに、三日三晩寝ない果てで行くというのはあまりに無謀だからだ。
寝ていない人間は、下らぬ失敗をする。それを防がねばならぬのだ。
もちろん最初は「俺が行く」と言ったのだが、信春と直治どのからきつく止められてしまった。「そもそも棟梁にしかできぬことがある」と。二人の言う俺の役割を聞けば、これはもう頷かざるを得ない。ただ、それでもひたすらに申し訳ない。
だが二人は言う。小蝶の身を差し出せという松永殿の要求には、「棟梁に劣らず怒りを覚えているのだ」と。これには俺も頭を下げるしかない。
一方で、その小蝶はくうくうと寝入っている。
最後の三日間、ひたすらに徹夜を続け、俺の部屋で絵筆ならぬ木版画の刷り具を握っていたのだ。ようやく信春と直治どのの準備が整い、それを見届けるや崩れるように板の間に頬を直接乗せて寝入っている。
材料の準備は事前から行えたが、実際の製作は短期間で済ませねばならなかった。物証となってしまうからだ。工房の者といえど、松永殿から銭を握らされていないとは言いきれぬ。それを考えれば、木版を刷ると同時に荷造りするしかなかった。
そして、木版画の刷りは力の必要な体力勝負だ。小蝶は自らの身を守るために本気で戦い、それを成し遂げたのだ。
俺は畳んだ手拭いを小蝶の頬の下に挟んでやり、小袖を掛けてやる。
あとでなにか、温かいものでも食べさせてやらねばならぬだろう。
もっとも、俺も、同じようなものだ。気を抜くと膝が抜けそうになる。俺も、ひたすらに徹夜で竹ひごに糸と紙を貼り付けていたのだ。
だが、俺はこのまま寝るわけにはいかぬ。
これから俺は、工房から見て、自室で信春と直治どのと共にいるふりをせねばならぬのだ。小蝶はほぼ同じ体格の直治どのの墨染めを着て、以下にもいるように工房の者たちに誤認させる。石見太夫も信春に化ける。もっとも、一日に二回くらい見られるだけでよいので、小細工としては楽な部類だ。
本来ならば、日が落ちれば仕事が終わる時間なのだが、そうも言っていられない急ぎの仕事があるという体で、四日目の徹夜に突入するという状況を作るのだ。なので、俺が倒れる前には、小蝶に起きてもらわねばならぬ。
信春と直治どのは、小蝶の倒れているさまを無言で窺い、そっと抜け出していった。
俺は、灯火の芯を切り、四日目の徹夜に備えた。
いよいよ、意地をかけて動くときが来たのだ。
第16話 閑話休題 信春と直治
に続きます。




