第11話 悔し涙
信春は愚痴を言う口調で溢す。
「小袖の左側を引きちぎって、袖の中に目についた蛇を詰め込めるだけ詰め込んでな、直治どのに持たせたのよ。
俺もな、半身の布をさらに引きちぎって丸めてな、目についた蛇をさらにそこに詰め込んで半裸で走ったのさ。
京童からは、さぞやひどい狂乱ぶりに見えたであろうな」
ひょっとして、信春、落ち込んでいるのか?
自らを傾き者として、信春は京の町を歩いている。それなりに女たちから、もててもいたようだ。そのすべてを自らぶち壊したのだから、気持ちはわからぬでもない。
だがこれで、松永邸での蛇の出どころがわかった。
二人してここに戻り、俺の行き先を聞き、俺の助けにと来てくれたのであろう。直治どのが武家屋敷の造りに詳しいだろうことも、予想がつく。
結果として、蛇によって蛇を退けることになったが、これもまたなにかのめぐり合わせやもしれぬ。
「しかもな……」
信春は続ける。
「狩野の派の者が半裸で走って逃げたということが噂となると、松永家中のだれかの耳に入るかもしれん。なので、直治は方違えをして戻った。俺は、小路を通らず掘割の水の中を帰ってきた。
帰ってきてざっと水を浴び、蛇の生臭さのあった小袖も濯いで干して横になったが、片身しかないのを見たら泣けてきた」
これは確かに、布の一反や二反は買ってやらねばならぬ。
そして、半裸で京を駆け抜けたことに対する心の痛みにも、なにか考えてやらねばならぬであろう。
「残りの片身、直治どのはどうしたのだ」
一応俺はそう聞いてみた。
「目立つ色だったゆえ、石を抱かせて川底の一番深そうなところへ沈めました」
やはりな。直治どのならそうすると思った。
だが、それを聞いていた信春は、さらに情けない顔になっていた。
なお、方違え、これは陰陽の道の言葉だが、ここへ帰るのに直治どのは、方向違いのどこかを通って遠回りしてここまで戻ってきたということだ。
より人目につきやすい姿になってしまった信春は、京の町を数多く流れる北から南の流れのどれかに沿って、川の中をずぶ濡れになりながら帰ってきたのだ。
京の町の水の流れには、常に人がいる。
水を汲む、ものを洗う、晒す。流れがきれいならば鮎を、淀みなら泥鰌を取る者もいる。
そこに半裸の者がいても不思議ではないし、片身しかない小袖であっても最初から水辺で脱いでしまっていればまったく目立つことはない。
京の町を毎日歩き回り、知り尽くしたからこそ考えつけたことなのだろう。
そこへ、まつと共に小蝶も戻ってきた。
ほぼ男装で、足元だけはしっかり固めており、長く歩くための支度だけはしてあったようだ。遠くから俺が戻ったのを見て、急いで戻ったのであろう。
「とりあえずだが、信春、直治どの、小蝶、話がある」
俺は、三人を自分の部屋に呼び上げた。まつには銭を握らせて、仕事に戻るよう伝えた。
とりあえず、信春と直治どののやったことについては後顧の憂いはないとして……。それでも、この先のことは話しておかねばならぬ。
また、いずれ信春に布を買うにしても、今は風邪など引かぬようにしてやらねば、だ。
「小蝶、俺の小袖を信春に出してやってくれ」
「源四郎の小袖は、地味でつまらん」
「だまれ、信春。
地味でも風邪をひくよりはよかろう」
まったく、この冬の時期、裸でい続けられるものではあるまい。やせ我慢で肌に粟を生じさせているくせに、困った男だ。
こちらとしても、唇を紫色にして震えている男と、顔つき合わせて話など続けられるものではないではないか。
とりあえず、俺の言葉を受けて小蝶が小袖を持ってきた。そして、半裸の信春の背中を思い切り、音高く叩いた。
「痛てぇっ!」
みるみるうちに、寒さで白くなっていた信春の背中に小蝶の手形が赤く浮き出してきた。
その背中に、小蝶は小袖を投げかける。
「お地味ではございますが、お召しを」
今の小蝶の打擲(※)は、俺が地味と言われたことに対する意趣返しなのであろう。
いつものように、ため息を吐きかけて……。
不意に、涙がこみ上げてきた。
小蝶を奪われてはならぬ。この当たり前の日々の営みを奪われてなるものか。
強く強く、そう思う。
そして、悔しい。その場で「小蝶は渡さぬ」と言えなかったことが。この悔しさを晴らすためなら、どのような外道に堕ちても良いとさえ思う。
俺の涙に、信春、直治どの、小蝶、三人揃ってぎょっとした顔になった。
「どうした、源四郎?」
「……棟梁?」
「……兄上?」
口々に、そう俺に問いかけてきた。
※打擲 ・・・ 打ち殴ること
第12話 評定
に続きます。




