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洛中楽Guys ー若き絵師たちの肝魂ー  作者: 林海
第三章 如何にしても意は通すものぞ

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第9話 決して、渡さぬ


 松永久秀殿、この方の機嫌は、外からではわからぬ。(つら)の皮と内心がすべて重なるという者もいないだろうが、逆にここまで乖離している者もそうはおらぬはず。

「よく来たの、棟梁」

 俺は、黙って額を床に擦り付ける。不機嫌ではなさそうだが、本当にそうかはわからぬからだ。

 なんにせよ、余計なことを言わぬが吉なのは間違いない。


 ただ、そのまま固まってもいられぬ。

 頭を上げると、相変わらず松永殿、黒目なのか白目なのかがよくわからなくなるような、底光りする目で俺の顔を眺めている。


「忙しそうだの、棟梁」

 重ねて声を掛けれられ、俺は観念した。

「皆様方のお引き立てを持ちまして……」

「……」

 返事がない。

 ただただ、じっくりと怖い目で表情を窺われた。

 

 たっぷりとした間をとり、俺が冷や汗で下帯までを湿らせたころ……。

此度(こたび)の小田原での戦さ、小田原城内の話、誠に役に立った」

 俺、再び頭を下げる。

 軽い頭と思われても構わぬ。俺一人の首と命ではない。頭を下げて派を救えるのであれば、いくらでも下げて見せよう。


 今回、小田原城内の怯えを松永殿に伝えたものの、結果として北条殿はしのぎきった。

 それをもって、こちらから出た話が可怪しいと言われるのが一番恐ろしい。

 あくまで、そう書かれた宗祐(そうゆう)叔父の手紙をそのまま渡しただけではあるし、そこに小細工はない。ただ、どのような話であっても、それが正しかろうが間違っていようが、こちらに対して害意があれば言いがかりはどこにでもつく。

 かといって、事前にこちらから言い訳を始めるような真似をすれば、さらに怪しさが増してしまう。


「ついては、だがな。

 棟梁に礼をしようと思う」

「滅相もない。

 松永様には、すでに十分にご恩義を受けております」

 俺、そう言いながら額を床に押し付ける。

 冗談ではない。

 礼だの褒美だのと言われながら、それこそなにを押し付けられるかしれたものではない。


「棟梁、まぁ、そう言うな。

 棟梁にとっても良き話だ」

「いえ、ただの絵描きのこの身にはもったいないことにて……」

 そこまで言ったところで、不意に背筋に寒気が走り抜けた。


「ふん。

 お前の親父は狩野の棟梁ではあっても、絵描きではなかったぞ」

 ああ、なるほど、父のせいでここまで疑われているのか。

 となると、父はこの化け物と互角に渡り合い、何度かは出し抜いたということだ。くわばらくわばら、と内心で唱えながら俺は再び平伏して、嵐が過ぎ去るのを待つ。


「いや、親父のことは気にするな。

 実は(ほか)でもない、棟梁の妹のことじゃ。

 たしか、小蝶とか言ったな。そろそろ年頃と聞く。

 どうだ、この屋敷に預けぬか。わしが自ら教え育て、末には良き縁談を見つけてやろう」

 ……おい、なにを教え育てる気だ?


 さんざ弄んで、飽きたら捨てると言っているよな?

 俺の頭の中で、ぷつんとなにかが切れる音がした。

 この糞爺(クソジジイ)め、許せぬ。


「重ねて申し上げますが、滅相もございませぬ。

 絵筆を持つこと以外なにもできぬ娘にて、狩野の家の恥晒し。松永様の御前に出せるような者ではありませぬ」

「そうかな?

 棟梁、もう一度考えてみよ」

 そう言う声に、(こわ)いものが宿った。


「棟梁、いいことを教えてやろう。

 長野業正(なりまさ)を知っているか?」

「申し訳ありませぬ。

 寡聞(かぶん)にして存じませぬ」

 これは嘘だ。

 俺は知っている。上野国は箕輪の城主。上杉殿の関東での尖兵であり、守りの要だ。

 

「武田殿が関東になだれ込むのを防ぐ、栓の役割を果たしてきた猛将であった。

 隠されておるがの、死んだぞ。長野の一族の者では、到底武田殿に抗し得ぬ。

 もはや上杉、こうなっては関東を取ることは叶わぬ」

 ……目の前の、この糞爺の言いたいことがわかった。


 つまり、だ。

 もはや細川管領家はなく、将軍様も孤立した。上杉殿ももはやこれまで。上洛など思いもよらぬ。関白様も、わざわざ関東にまで出向いたものの、もはや静謐をもたらすどころかそのお命すらが危ない。

 御用絵師として将軍様に仕え、忠義立てしても、もはやどうにもならぬ。

 小蝶をこの糞爺のおもちゃとして差し出せば、三好、松永の陣営に属するものとして、狩野の派の存続は許そう。

 この糞爺の言いたいことは、そういうことだ。

第10話 くちなわ

に続きます。

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