第22話 松永久秀様
京の夏はやたらと蒸し暑い。
その暑い日差しの中、俺は将軍様に会って話を通し、その結果として松永様にお目通りすることになった。
将軍様が、「直接話すが良い」と口を利いてくださったのだ。
俺が松永様のお屋敷に向かう頃には、俺の後を付ける者はいなくなっていた。やはり、付きまとっていたのは、松永様の手の者だったのだろう。
暑い中、うっとおしいのがいなくなって、一時でも俺はせいせいした気持ちになったが……。
俺を見張る者がいなくなったということは、逆に緊張感をさらに高めた。見張る必要もないほどに、松永様の手のひらの中に落ちたということに他ならないからだ。
蛙が自ら呑まれるために、蛇の前に伺候する。
まさしくそれが、今の俺の感覚だった。
俺は、松永久秀様の前で平伏していた。
そして、やはり蛇の前の蛙のように、ただ、ただ、呑まれていた。
異相というのであろうか。年配であっても、美醜で言えば明らかに美丈夫ではあろう。
だが、その目は白っぽくちろちろと底光りしており、黒目が本当に黒なのか疑わしいほどだ。もしかしたら、暗闇の中ですら灯火のように輝くのではないかと疑わずにいられない。
その目は今、ひたりと俺に据えられている。
俺という蛙がどの方向に跳ねて逃げるかを、すべて見透さんとしているとしか思えない。いや、それどころか、すでに蛇の喉に俺の身体、半分以上呑まれているような気すらした。
歳は五十ほどと聞いているが、どう見ても四十代前半にしか見えぬ。髪も黒い部分の方が多い。将軍様が年齢よりはるかに老けてしまったのは、この男に生気を吸われているのではないか。そんな深刻な疑いを、俺は抱く。
俺の姿をさんざんにいたぶるように眺め、満足したのか松永様の口から言葉が漏れた。
「絵師とは汚なきものよ」
いきなり、ずいぶんなごあいさつではないか。
俺は平伏し、顔を見られないようにした。
松永様の家臣もこの場にはいる。中には腹心というべき者もいよう。俺の表情は、絶対に読まれるわけにはいかなかった。
「なにも言うことはないのか?」
「おそれ多いことにて」
「それでは用が足るまい。話すことがあるからこそ来たのではいないか」
「将軍様から伝えていただきましたように、これより洛中洛外を描くにあたり、松永様のお屋敷を描かせていただきたくお願い申し上げる次第にて」
そう答えながら、関白様のお屋敷での、石見太夫の醜態が脳裏に浮かぶ。
今の俺も、まったく変わらぬ姿であろう。全身から冷や汗が止まらぬのだ。平伏している額から、床板に汗が淋る。
俺の頭の上に、松永様のくひくひという笑い声が降り注いだ。
「やはり、絵師とは汚なきものよ」
「そうでございましょうか」
聞き返すものの、氷で背筋を撫で続けられているような怖気は止まらない。
絵師として、見ることができるものにはそう恐怖を感じない。たとえ幽霊であれ、その姿は紙に写し取ることができようし、そうする覚悟もある。だが、だからこそ、白か黒かもわからぬこの目は恐ろしい。
「このわしが頷いたということになれば、各武家屋敷はどこも描きやすくなるものなぁ」
「それは、他に替え難き松永様の御威光にて」
「わしに話を通せば、その御威光とやらで、その身が安全になるとでも踏んだか」
正念場だ。「お前に見張りがついていることに気がついているか」と、言外に問われたに等しい。
俺は、とぼけるのは止めることにした。気がついていない振りしても、駆け引きの手数が増えるのみで消耗するのはこちらだ。これではあまりに阿呆らしい。
それに、真に俺たちが常にあとを付ける者に気がついていないとなれば、それはそれで自らの無能を晒すだけなのだ。
「はい。
我ら、怖いものはよく知っております」
「妹は可愛いものなぁ」
俺、必死で顔に感情が浮かぶのを抑えた。
怒りも怯えも、この男の前では露わにしたくない。
すでに、俺に妹がいることは調べ済みだということだ。
そして、俺がこの男に逆らったら、俺の身にではなく、小蝶の身に何かが起きるという警告であろう。
もしも小蝶の身になにかあれば、俺はこの男の喉笛を喰い千切ってでも仇を取る。そう心に、いや魂に決めたが、それでも顔にはどのような感情も出せぬ。
そして……。
実際には、おそらくこの男の喉首に食らいつくよりも早く、俺はずたずたに斬り刻まれているだろう。
いくさに出て人を殺めるのが仕事の内である武家と、絵筆しか持たぬ絵師では勝負にならぬ。
それでも、なんとか一矢を報いたい。
それが、俺に残った灼け付くような思いだった。
第23話 的外れ、的中
に続きます。




