第18話 塗輿の価値
それに対し直治どの、信春に対し俺に代わって淡々と説明をしてくれた。
「松永殿に働きかける利点はあまりに多い。棟梁殿のお考えはこういうことだ。
まずは一つ目、あの松永殿が了承されたということになれば、各武家屋敷はどこも描きやすくなる。
二つ目は、松永殿に話が通れば、我々が三好殿の手の者に襲われることはなくなる。実際、絵筆を握ること以外、絵師たる我々には身を守る手段はないのだからな。その筆に害意がないことをわかっていただけば、将軍様と松永殿、両方の後ろ盾が並び揃うことから、その後は物取り、盗賊、人さらいに対してまでも安全になろう。これは、三つ目の利であろうな。
四つ目は、松永殿に恩が売れる。これは後々に効いてこよう。極端な話ではあるが、将軍様が三好殿に敗れたときですら、狩野の家は無事となる」
「我々の利ばかりではないか。
将軍様、ひいては関白様にとって良いこととは思えぬし、将軍様から見たら我々が敵に回ったように見えるぞ」
信春が口を挟んだ。
「信春、最後まで聞け。
直治どの、続きを頼む」
俺は、信春にそう釘を刺す。
そこまで、俺も直治どのも考えていないわけがないではないか。
「はい。
五つ目は、関白様、将軍様から見て、三好殿と松永殿の離間策になる。おのれの家臣が自分と同じ格式を持つことに、喜びを感じる主君などどこの世にもおりませぬからな。
六つ目は、同じく関白様、将軍様から見て、三好殿、松永殿と抜き差しならぬことになるまでの時間を稼ぐことができる。
七つ目は、そこまでの利点がありながら、織田殿が今川殿を討って以来、塗輿の価値が大きく下がっていることから、松永殿に渡す利としては極めて少ない投資で済む。
棟梁殿のお考えは、こんなところかと」
直治どのはそう言い終えると、腕を組んだ。
言葉の深さとその姿勢はすでに老成すら感じるが、いかんせん姿形が若すぎて少し滑稽なものを感じる。愛さ、可愛さをも感じてしまうからだ。
俺は、さらに八つ目を足した。
「将軍様、どれほど腹の底では一物があったとされても、それを表にはされてこなんだ。現に今年のはじめには、三好義興殿と松永殿に御供衆の役目を仰せつけられている。
この時点で塗輿を許し足しても、不自然さはなかろうさ」
「……なるほど。これはどうにも敵わぬ。
だが、このようなことを考えていたら、おのれの絵を濁らせるだけではないか」
信春が呻いて言う。
「なにも考えず、ただ描いた絵が売れる世がくれば良いが、の。だが、そのような世は永劫に来ぬよ。
常に絵以外も考えねば、描く機会さえ失うのが現世の辛さよ。それに、我々には我々の痛みがある。『おのれの絵を濁らせる』というな。
それでもこれを提案する我々は、将軍様から見ても敵に回ったようには見えまいよ」
俺は、信春の慨嘆を切って捨てた。
小蝶までもが、どことなく信春の慨嘆に同意のため息を吐きたげだ。
だが、売れなくてもいいと絵を描くのは絵師ではない。それは道楽であり、他に生計の道を持たねばならぬ。
もしかしたら、このあたりのこと、信春には一生わからぬことなのかもしれぬ。だから、同じようなことを繰り返し語るのだ。
信春め、その画才があるがゆえに、今に至るまでどこででも絵筆さえ握れれば喰ってこれたのであろう。今も過去も恵まれており、そうやって生きてきたのだ。そういうものだと、天然自然に思ってもいるのであろう。そこに思い上がりのないところが、余計に質が悪い。
反省のしようも、させようもないからだ。
直治どのが続けて口を開く。
信春の言は、まるっとなかったことにしたらしい。直治どのも苦労人だから、応対に困った結果なのであろう。
「まずは一つ目の、松永殿が了承されたということになれば、各武家屋敷はどこも描きやすくなる件でございますが……。その一方で、最初に松永殿に断られたら、他の武家からも軒並み断られてしまいますからな。
このような筋立てで申し上げてみてはいかがでしょうか。
『我々は将軍様の命により、京を描くにあたって武家屋敷も描きたい。それも京をお守りいただいている松永様のお屋敷は外せぬと考えております。
そして、松永殿の了解を得たら、三好殿、細川殿と話を進めさせていただきたい。
松永殿が、茶の道を能くする奥ゆかしい方だというのは知れ渡っております。
なので、この話を進める順番が逆になると、松永様は主家筋に並んで家臣筋の屋敷が描かれることが畏れ多いとして遠慮されてしまうと考えました。
そうなると、我々も将軍様の命を果たせなくなり、御用絵師の面目が保てぬことになってしまいます』
と、このような筋でいかがでしょうか。
さらに……」
まだあるのか、直治どの。
第19話 すやり霞
に続きます。




