第17話 窮鳥入レ懐時、狩人哀レ之不レ殺事
そこで、直治どのが口を開いた。
「棟梁どの、お話を蒸し返してしまいますが、その下絵を描く者の身の保証はどうされるおつもりでしょうか。
小蝶どのに対するお考えはわかりましたが、問題の根はそんなものではないはず。
そもそもすでに、ここには見張りが付いているというお話でしたな。
これは盗人、人さらいとは異なります。
そのつもりになればわれわれを拐って、こちらが口を割るまで責め抜き続けることもしましょうし、いきなり斬られることもあるやもしれませぬ。
信春殿にしても、私めにしても、それに対する覚悟があるから無手で良かろうというのは、ちと違いませぬか」
……それはそうだ。
こちらを襲う者の正体が三好殿の手の者の武士であれば、こちらが左介などの使用人を付けて常に二人以上で動こうが意味はなかろう。
野盗は金や飯のために人を襲い、殺すこともある。だが、武士は殺すために殺す。そして、そのための技倆を日々磨いている。
つまり、野盗などに通用する手段は通じまい。武士というのは、それだけ手強く恐ろしいのだ。
俺は考え込んでしまった。
ただ、長い時間ではない。ふと、思い出したことがあるのだ。
太平記に、「爰に両度の臨幸を、山門に許容申たりしは、一往衆徒の僻事に似て候へ共、窮鳥入レ懐時、狩人哀レ之不レ殺事にて候」とある。
すなわち、「窮鳥、懐に入れば狩人も之を哀れみ殺さざる」なのだ。
懐に飛び込んでしまった鳥は、狩人ですら憐れんで殺せない。ならばいっそ、こちら側からその鳥になろうではないか。
「直治どの。
ごく近い内に、俺は松永弾正少弼殿のお屋敷に行ってこようと思うが、いかがなものか?」
「京の絵図を描くよう、将軍様に命じられたがゆえに、お屋敷を描く許可をいただきたい、ということでしょうか?」
さすがに、直治どのは聡く、鋭い。
「そうだ、直治どのの読みのとおりだ。口実としてなんの問題もなかろう」
「三好殿のお屋敷ではなく、真っ先に松永殿のお屋敷に伺うというのはなぜでございましょうか?」
「与し易し、と見ているからだ」
「あの松永殿を、でございましょうか」
まるで信じられないという顔である。
もっとも、そう言う直治どのの不安はよくわかる。
京の町雀たちが囀る松永殿についての噂話を知っている信春、小蝶も不安げな表情を隠さない。
京の町に幾度となく布陣し、兵たちは乱暴狼藉を働き、相国寺の塔頭、伽藍を焼いている。これで良い噂が立つはずもない。
「そうだ。
あの松永殿を、だ。
だから将軍様に、松永殿の塗輿使用を許されるよう、狩野の名を隠さず京の町衆として願い出てみようと思うのだ」
俺は、そう返事をする。
直治どの、驚きを隠せず小声でとはいえ語調が強くなった。
「なんと!
それは、敵を利するにもほどがあるのではございませぬか?
そもそも棟梁殿がそのようなことをなされれば……」
そこまで言った直治どのは、不意に種子のない蜜柑(※)に巡り合ったような顔になった。
「なるほど、そういうことでござるかっ。さすがは……、さすがは棟梁殿」
直治どののこの言葉に、今度は信春が悲鳴に近い声を上げた。
「おい、直治、いきなり一人で納得するな。俺には、なにがなにやらさっぱりわからぬ」
と。
※ ・・・ 当時の蜜柑は、大量の種が入っている紀州ミカンでした。
第18話 塗輿の価値
に続きます。




