第16話 滅気(めげ)ぬなぁ、小蝶
「直治どの。
同じく助力願えるかな?」
「私はそのつもりでございます。
国では父が戦っております。弟も命を懸けて戦っております。私は妾腹の兄ですが、この世は戦わねばおのれの居場所も得られぬもの。絵師となってさえいくさに巻き込まれるものならば、逃げるわけには行きませぬ」
直治どのにも手伝っていただけるのであれば、これほど心強いことはない。
ともかく、これで二人から言質は取った。
「ありがたい。
ただな、直治どの。
これが絵師のいくさであれば、なおのこと勝たねばならぬ。もとより負けるつもりはないが、これからの世、ますます渾沌とするだろう。
ぜひ助力をお願いしたい」
歳下であっても、直治どのの考えは俺より辛い。
俺の考えは甘く、それが足を掬うことも考えねばならない。狩野の家に来るにあたり、さまざまな経緯のあった小蝶の方が俺より辛いくらいだ。それに俺も、いつまでも父を頼るわけにも行かぬ。
ついでに言えば、信春にいたっては高価な砂糖ほども甘い。
総じて我らは、歳を食っている者ほど考えが甘いということになる。これはなんともおめでたいことで、困ったものだ。
まぁ、しっかり者の信春など想像もできぬのだが、強いて言えば、おかげで俺は誰にも甘えずにいられる。もしも、しっかり者の年長者の信春がいたなどということであったなら、無意識にも俺は頼りにしてしまっていただろう。そういう意味では、直治どのが歳下で良かったと言えるのだ。
「ならば、申し上げておきまする。
長尾殿の入った洛中洛外図を描かれる予定であればこそ、さまざまな策がございます」
「おお、それは心強い」
直治どのの策はなかなかに深い。
これからは、さらにさまざまな策を考える必要があろう。それを思うとなんともありがたい。
「たとえば、どのような策が……」
「あえて、このように呼ばせていただきますが、狩野の棟梁殿、『謀は密なるをもってよしとす』と申します。
あとでよろしいではありませんか」
「わかった」
なるほど、直治どの、俺だけに話したいのだな。気を持たせてくれるではないか。
これはなかなかに楽しみではある。
「小蝶、お前は……」
「兄上、小蝶はどこまでも兄上のあとを付いていきまする」
随分と、食い気味に応えるではないか、小蝶。
「あ、ああ。
だが、最後まで言うぞ。女子の身には辛い仕事になる。わかっておるのだな?」
「はい」
即答だな。
本当の意味で、わかっているとは思えない。
「冬の寒さの中、ひたすらに筆を走らせねばならぬこともあるぞ」
「兄上は、信春さま、直治さまにはそのようなこと、仰いませんでした。
やはり、兄上は小蝶にお優しい」
……俺の言葉をそう取るのか。覚悟を問うつもりで言ったことで、こう取られるとはさすがに考えてはいなかったぞ。
「いや、男など、どれほど苦労しても構わぬが、女子にあまりつらい思いをさせたくはない」
「兄上、この小蝶、父から『女を捨てよ』と言われております。お気づかいなきよう、お願い申し上げます」
滅気ぬなぁ、小蝶。
しかも、『女を捨てよ』という父の言葉、良いように使い分けていないか?
本気で女を捨てるのであれば、俺にすり寄って来たりはせぬものだぞ。
これは存外に小蝶、性根がしぶといのやもしれぬ。
だが、俺としてはその方が気楽でよい。
一言一言に傷つき、恨めしげにこちらを睨む女など付き合ってはおられぬ。
だが、俺はさらに言葉を積んだ。
「京の町は、物騒な場所だ。
略奪はものだけではないぞ。人さらいまでが横行しているのだ。
拐われて戻ってこれた女、子供など数えるほどしかおらぬし、いずれの者も無事に帰ってきたとは言い難い。
女子の頻繁なる独り歩きは、命に関わることすらあるということだ。そこへの気配りも含め、できるのだな?」
実際、小蝶には左介かだれかを、常に付けねばなるまいと俺は踏んでいる。
それですら、安心はできまいが……。
「はい。
ただ、甘えるわけではございませぬが、この四人の中で私が一日の長をもって描きうるもの、すなわち、童や犬猫花鳥を描くのであれば、そう危険な場所に足を踏み入れることもありますまい。
もちろん、ご下命とあらば、どこへでも行きまするが」
……まぁ、小蝶の言うとおりではある。
あまりに小蝶の言うことが的を射ているので、次の脅しの言葉が出てこぬ。
赤子、童を描くのであれば、この四人の中では俺か小蝶しかおらぬ。
仏画のような悟った顔の赤子でも困るし、やたらと硬い表情の童ではなにかに怯えているようにすら見えるであろう。
この絵の下命の意味からして、どこかで安堵を感じさせるものに仕上げねばならぬのに、これでは困る。この絵によって来たるべき世が、静謐なる世ではなく、あの世になってしまうでないか。
第17話 窮鳥入レ懐時、狩人哀レ之不レ殺事
に続きます。




