第11話 そこに、なにか問題があるのか
信春の目に怒りが宿っている。だが、俺はそれを無視して言葉を続けた。
「そもそもの話だが、信春。元々の下命が絵ではなく、符牒を描けということではないか。それを、俺が勝手に、絵師の仕事としてより良いものにしようとしているのだ。俺としては、絵具代と絵師たちの入り米(※)をいただいた上で、時間が許す限り良いものが描ける仕事を確保した。時間がある限り、いくらでも描き足せる画題も用意した。
期限が来てしまえば仕方がない。だが、時間があればあるほどどこまでも完成度を上げることができる。そこに、なにか問題があるのか」
「……源四郎殿、今初めて、俺はお手前には敵わぬと思った」
は?
今更なにを言っているのだ、信春。
だから、「自分が派を率いたときのことを考えておけ」と前々から言っているではないか。
派を保つことと絵を描くことは、必ずしも摺り合わせができぬことではないのだぞ。それを信春は、絵を描くことに対してのどこか不純なものと捉えているのではないか。
「源四郎どの。
高弟を参加させぬことと納期について、私も思うところが……」
と、今度は直治どのが言う。
「なんなりと」
俺はそう答える。直治どのの考えは、信春には及ばぬものがある。その考えは、ぜひにも聞いておきたい。
「まずは……。今川殿が討たれたとなると、長尾殿は北条殿をお攻めになると思われますが……。
関白様も、そのご助力をされることになるかと」
「……直治どの、それは、どこからお聞きになられた?」
俺は、少しぎくりとしながら聞いた。町衆の中でも目端の利く者が、ひそかに話していることなのだから。
「いいえ、どこからも。
ただ、長尾殿は管領待遇を受けておりましたな。長尾殿にとって、これは果てしなく重きことにございましょう。当然のことながら、その視野は関東管領のものとなっておりましょうし、今川殿亡き今、後ろ盾のなくなった北条殿を討つ好機と長尾殿はお考えになるのではないか、と。周りもまた、関東の静謐のためにそれを期待するのではないか、と。
関白様も、管領待遇としてしまった手前、それを止めることもままなりますまい」
やはり、直治どのは一城の主の子だ。
京の町衆の中で、密かに囁かれ始めていることに自力で考えが及ぶとは。信春はこのようなこと、思いつきもしないであろう。
我ら京の町衆は、法華宗の門徒が多い。
だから、大本山の本能寺で顔を合わせることも多く、公式な寄り合いでは話せぬこともここでは話せる。その情報は密かつ早く、さらに確かなものなのだ。実は、狩野の縁故によって得た情報も同じことを示唆しているし、その情報は当然のこととして他の町衆とも共有している。
人の口に戸は立てられぬものではあるが、その一方で町衆は皆、口が堅くもある。このあたりの匙加減は、京という古い町でなければ成立しえぬものであろう。
「直治どの、そのとおり。
実は、宗祐叔父から便りがあった。その他、上州からもだ。狩野の弟子は全国にいる。それらの者たちが便りをくれるのだ。それらの便りによると、関東で大きないくさが起きると噂されているらしい」
「越後(新潟)の長尾殿が、相模(神奈川)の北条殿のところまで攻め込むとなれば、これは容易ならざること。こうなってしまえば、関白様と将軍様のお心計は成就せぬでしょうな」
……これは一度、直治どのと父上を論じさせてみたいものだ。
俺は座り直して問う。直治どのの読み次第では、その話を他の町衆にも伝えねばならぬ。
「直治どのは、この先、どう見る?」
「相模小田原は、絶対に落ちませぬ。長尾殿は虚しく退却されることになるやと思われます。その結果、関白様は長尾殿をお見限りになるやもしれませぬ」
これが、俺の四つ歳下の、元服したばかりの男の物言いか。
日々、裏切り合いと殺し合いを見てきたとは聞いているが、今までどれほどのものを直治どのは見てきたのであろう。
それとも……。
武士の子とは、このような教えをどこまでも徹底して受けながら育つのであろうか。考えてみれば、武術の鍛錬は日常のものであろうし、一城の主の子ともなれば軍略についても幼き頃から習うのであろう。町衆とて皆、家業の道具で自らの子を遊ばせるのだし、我ら絵師も幼き頃から筆を持たされるのだから。
俺は口調を改めた。
「直治どの、長尾殿ほどのいくさ上手でも勝てぬ理由を聞かせていただこうか。
小田原城は予想以上の堅城と、宗祐叔父からの便りの中に記されていた。だが、それは長尾殿もご存知のはず。それなりの手立ては講じられようと思うが……」
話が横道に逸れているのはわかっている。だが、これは今話しておかねばならぬことだ。
※入り米 ・・・ 給金
第12話 長尾殿、武田殿、北条殿
に続きます。




