第22話 お返し願おう
信春と直治どのに、円を描き与えた翌日。
何ごともなかったかのように、他の弟子たちとともに顔を出した信春と直治どの、今日も同じことを繰り返した。
いや、もっと質が悪い。
昼どきを過ぎて、絵筆に倦んだ信春め、このようなことを言い出したのだ。
「おう、源四郎。
昨日の円は、なかなかに傑作であったな。
なんの意味があるかもわからぬが、次は四角も描いて欲しいものだ。田楽を描くときの参考にさせてもらおう」
この信春の言い草に、派の棟梁として、また師筋の者として怒らない法があろうか。たわむれにしても武家、寺社の襖絵に豆腐田楽など描かれることはありえぬし、そもそも言っていいことと悪いことがある。駘蕩たる雰囲気などにもはや騙されはせぬ。
そこへ、直治どのがさらに追い打ちを掛けてきた。
「源四郎どの。
たしかに信春どのの仰るとおり、あれは傑作でございましたなぁ。私め、本日は紙を持参いたしました。四角を描いた御真筆を頂くために、これこのとおり。
私めは田楽などとは申しませんが、襖絵に重箱くらいなら描くことがないとも限らぬゆえ」
くらいとは、なんだ?
俺の頭の中で、なにかが切れる音がした。
絵筆を置き、奮然と立ち上がる。
「おのれら、覚えておれよ。
そのような戯言、のちのちまで決して忘れ……」
俺、今日は怒りが口をついて出たものの、それでもそこまでしか言えなかった。
「兄上、お控えを」
小蝶の叱咤に、思わず俺は口を閉ざした。「今日は俺の方かよ」とも思う。なにかを投げつけられるのは御免被りたい。
「手本を描けと言われれば、描いてやるのが師のつとめではありませぬか。兄上、ここは怺えていただかないと」
「小蝶、昨日とは言うことが真逆ではないか。この2人の頭に、蛤殻を投げつけた者の言い草とも思えぬ」
「お忘れになってはいけませぬ。この二人、関白様からお褒めいただいた身」
そこまで言われて、俺の頭もようやく怒りから冷めて働き出した。他の者の言うことではない。絵筆を能くする小蝶の言なのである。
とはいえ、そう言うお前こそ、昨日はそれを忘れていたではないかとは思う。
そこで俺、もう一つの考えが頭に浮かんだ。
「……もしや」
「その、『もしや』でございます」
小蝶は断言する。
なるほど。
そういうことか。
だから小蝶め、昨日は実力行使に出たが今日は俺を止めたのだ。
ならば……。
「信春、直治どの。
昨日の円、よほど不要のようでござるな。ぜひとも、お返し願おう」
俺、そう攻め手を変えた。
「あれなら、鼻を擤んで捨て申した」
「私めも、他に紙がなかったもので、焚付にしてしまいました」
二人ともに、返すつもりはないらしい。こいつら、実は後生大事に抱え込んでいるということか。
俺、二の矢を放つ。
「俺が四角を描いたら、また鼻を擤むのか?
ん、信春。
また、焚付にするのか?
どうだ、直治どの。答えてみよ」
ここで信春、ぐっと詰まった。直治どのも、そわそわと視線が泳ぐ。
結局のところ、この二人、「真筆の手本は欲しし、頭を下げるのは口惜しし」の葛藤を抱えているのだ。
この俺に対して、「いつかは上を行く」という……、いや「明日にでも上を行く」という下剋上の野心を抱いている。だからこそ、狩野の棟梁に手本を描いてもらったというのは負けになるし、自らの派を構えた後々まで師弟関係が続いてしまうような形にはしたくない。関白様から直々にお褒め頂いたのだから、狩野と並び立つ派として天下に売り込みたいのだ。
その意気や良し。
そう言ってやることはできる。だが、だからと言って、このような形で面と向かって下手な駆け引きを謀られるなど、俺としては呆れ疲れるばかりではないか。
俺は、内心でため息を付きながら聞いた。
「小蝶、なぜわかった?」
「昨夜、明け方まで長屋の二部屋で灯火が消えませなんだ。この灯し油が高い時節だというのに……。
それで、なにをしているのかと思えば、墨染のようになったずしりと重い紙が何枚も焚付の中に増えておりました。昨夜は、さぞや稽古に励まれたのでございましょうよ」
ここで俺、ため息が実際のものとして口から出てしまった。
「信春、直治どの。
昨日の円、不要でござろうからお返し願おう」
重ねて俺は言う。もちろん、口調は父がなにかを問い詰めるときのものを真似ている。
信春、直治どの、先ほどから落ち着かなかった瞳の動きが、怯える小動物のそれになった。
「だからそれについては、先程も申したとおり、すでになく……」
「では……。
お二人とも絵師ならばこそ、描いて返してもらえば結構。今からでかまわぬ。そこにある紙を使えばよい」
昨夜の堪能稽古の結果、見せてもらおうではないか。俺と張り合おうというなら、すでにその力はそれなりのものになっているはずなのだから。
第23話 それが我が務め
に続きます。




