第11話 不始末は見逃せぬのだが……
帰り道、だれもが不必要とはされなかったということで、一人を除き皆、足取りが軽い。
「父上、工房の者たちの余り絵具、工房で買い上げてもよろしゅうございますか?」
俺が聞く。
こういう良きときであれば、父も首を縦に振るだろう。宗祐叔父は、こういうところには絶対に気がつかない。だが、これは必要なことだと俺は思う。
「源四郎。
お前はあいかわらず甘いな」
父の言葉に、俺、頭を下げる。とはいえ、父の声は不機嫌そうではない。
つまりはこういうことだ。
今、工房にいる者たちは、今回の絵競いのために自腹を切って絵具を買い込んでいる。だが、その自腹の正体は借金のはずだ。あまりに借金が膨らんでいると、身を持ち崩す原因となる。なんせ、土倉酒屋から借りた金は利息が高い。百文借りても、月をまたげは百六文、年をまたげば複利で倍以上になってしまうのだ。
こうなると、いつまで経っても返しきれるものではない。
だが、余った絵具を工房で買い込めば、工房にいる者たちは、借金のかなりの割合を返却できるはずだ。元本が大きく減れば利息も減る。そうなれば、借金を返すのもそう苦にはなるまい。
これには、普段落ち着いている直治どのも露骨と言っていいほど喜びの表情を見せているし、信春に至っては片腕を天に突き上げている。
例外は一人だけ、中堅の絵師、石見大夫だ。関白様のお屋敷からこのかた、独り青い顔で足取りもおぼつかない。
その半ば呆然とした顔に、父が問うた。
「なにゆえ、小蝶の身代わりをしたのだ?」
「事情がございまして……」
「だから、その事情を聞いている」
口ごもるのを、父が強引に聞き出す。それはそうだ。狩野の家の危機だったのだから、なあなあで済ませられるわけもないではないか。
石見太夫は震える声で話し始めた。
「実は、身代わりをすれば、黙っていていただけることに……」
「なにを黙るのか?」
「……私め、下働きのまつと、将来を約しました。私にも、いつか高弟と呼ばれる日が来るやもしれず、狩野の名乗りを許されましたら結ばれよう、と。
その逢引きの現場を小蝶さまに見られてしまい、黙していていただきたいとお願い申し上げましたら……。
なにとぞ、なにとぞ、お許しくださいませ」
天下の往来で、土下座しかねない勢いだ。
父のため息は大きかった。
一応の建前では、工房内での恋愛沙汰は禁じられている。厳格なものではないが、仕事に支障をきたすのはよろしくないからだ。
隠れて将来を約したこと自体は非難せずともよかろう。だが、小蝶の持ちかけた話に乗ってしまったのは問題である。さらに、どちらかといえば、このような話を持ちかけた小蝶の方がよほど悪い。
そして、小蝶がこの挙に及んだのは、自らの腕に対する自負と女ゆえにそれが認められないという、世の仕組みに対する屈折した思いからであっただろう。
そして実際、小蝶の絵は関白様に認められた。
こうなると、父ですら問答無用に小蝶を叱りつけるわけにもいかぬ。小蝶を叱れないのに、この身代わりになった石見太夫だけを罰するわけにもいかぬ。
とはいえ、おまつ共々不問に付しては、他の者に対して示しがつかぬ。
父の悩みが伝わってくるものの、特に俺が口を出したいとも思えない問題だ。だから、俺はあえて父の心中に気が付かないふりで歩いた。
帰り着くと、小蝶がそわそわと建物の外で待っていた。お気楽な顔で、「おかえりなさいませ」と声を掛けてくる。
大体だな、礼をする前に手を振るなど、育ちがバレるというものだぞ。
でもって、そのお気楽な顔とは裏腹に、内心では相当に緊張しているのが伝わってくる。頬のあたりの強張りは隠しようもない。
「小蝶、あとで部屋に来なさい」
父はそれだけを言って、ずいずいと家に入ってしまった。
俺も、少しだけ小蝶を弄い(※)たくなっていた。
「小蝶、出掛けに『兄上様、私がお祝いしたいのです。お許しをいただけないものでしょうか』と言っていたな。自分用にも、なにか馳走を作ったか?」
皮肉を込めて、そう聞いてやる。
すると、小蝶ではなく、石見大夫がその場で土下座した。
おいおい、頼むよ、どんな連鎖だ。
主筋の兄妹に挟まれて、自分が頭を下げるしかないと考えたのは仕方ないが、ここは天下の往来だからな。しかも、狩野の門前で土下座する奴があるか。
町衆からおかしな噂が立てられるのは、狩野の家ぞ。
※弄い ・・・ からかい
第12話 甘い考えは捨てよ
に続きます。
挿絵は、花月夜れん@kagetuya_renさまにいただきました。
感謝です。




