『フランチャイズ・フラン』第1話 お姫様になりました⑤
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ワプスターは人の集まっているメイン会場へ移動しているようでした。まだ人気のない場所を通ってはいますが、テスラはその間に敵を何とかしたいようです。裏口から出ると、二十メートル程先で彼らが戦っていました。ライエさんは何処に行ったのだろう、と見回したところ、彼女は近くにあったフェンスの上に腰を下ろし、高みの見物を決め込んでいるのでした。
「風切る翼よ……フェザースラッシュ!」
テスラは舞うように動き、タクトを振ります。羽根のようなエフェクトが生まれ、それがワプスターの外殻にヒット。しかしワプスターの方は、それを意に介さないように吠え、口と融合したレンジから火を噴きました。
火炎放射はこちらまで襲って来、私は慌てて裏口の陰に身を隠します。間一髪で私の立っていたコンクリートが焼け焦げ、熱線は校舎の一階部分を大きく壊して空中へ抜けました。テスラは損壊した外壁を蹴って跳躍し、今度はワプスターの後頭部付近に魔法を飛ばします。
「来たれ、旋風……エアカッター!」
「ギガーッ!」
私は特権者の戦いというものが、以前のように”女の子の憧れ”めいた、可憐で美しいものには思えなくなっていました。テスラの表情は真剣そのもので、油断したらこちらが危なくなる、という事を知悉しているものでした。私もまた、逃げようにも何処に逃げたらいいのか、見当もつかない状態です。下手をすれば、命すら危なくなるかもしれないのです。
しかも、テスラは──公方院さんは、先程ワプスターが人間を取り込んでいる、と言いました。彼女にとっても過去にない状態のようですが、その状態でワプスターが倒されてしまったら、どうなるのでしょう。彼女もそれを憂えているからこそ、力を出し切れないようなのです。
「ギイイイガアアアアアッ!!」
ワプスターが、そこで一際大きく咆哮しました。
公方院さん、と私が声を掛けようとした時、怪物の外殻の隙間から赤い光が見え始めます。テスラが顔色を変え、後方に跳躍しようとした瞬間に、それは噴出されました。煮え滾る、赤熱したガスのような気体。
テスラが、全身に炎を浴びて吹き飛ばされるのが分かりました。ワプスターは炎の噴出を終えると、追い討ちとばかりにまた熱線を吐き出そうとします。テスラは植え込みに背をつけ、直接喰らってしまったダメージに顔を歪めていましたが、攻撃が来るや否や身を起こし、体を前傾させました。
熱線の軌道を、跳躍して上に避け、それと平行になるようにワプスターに飛び掛かって行きます。ワプスターは気が付いたらしく、熱線を上に向けましたが、テスラは今度は空中で身を捻り、熱線を横から下へ回り込み、敵の顎下の辺りに潜り込んでいました。構えたタクトの先端から、レモンイエローの光が刃のように突き出して刀身を形成します。
「はああっ!」
外殻の隙間に向かって、それを一閃。炎を噴出するその部位は、メタリックなボディの中でも比較的柔らかくなっているようです。ワプスターは仰反ると、誰も居ない方向に向かって右手をさっと振りました。
「気を付けなよ、テスラ」
ライエさんの口調は、嘲るかのようです。
「リトス・アクシアまで使っているんだから。人をその手に掛けたら、あんたは多分立ち直れないわ」
「戯言を……っ!」
テスラは強気に言いましたが、それは確かに、彼女を動揺させる効力を持った言葉でした。やりすぎれば、ワプスター化された人が危なくなってしまいます。
そんな彼女の一瞬の動揺を、ワプスターの方は見逃しませんでした。
「ギガッ!」
怪物は後ろ向きに跳び、テスラと距離を取ると、その巨躯に見合わぬ素早い動きで腕を振るいました。それは、突き出しかけていたテスラの武器を弾き飛ばし、
「ミーティアが……!」
言いかけた彼女の脇腹を、爆発のような音を立てて痛撃しました。テスラは、コンクリートの地面に何度も叩きつけられながら、フェンスへと激突します。
メディアでは華々しく報道されるものの、これが特権者が戦う実際なのです。何という事もなく、平和に暮らしている私たちでは知る由もない程の痛みを伴い、ボロボロになってまで、誰かが享受するその平和の為に特権を使い続ける。私はそんな当たり前の事に、今この瞬間気付きました。
「碧依ーっ! 碧依、しっかりして!」
ポプリさんが、私の腕から身を乗り出して叫びました。その声が届いているのかいないのか、テスラはぴくぴくと震え、俯けられた頭を微かに痙攣させるものの、立ち上がるのが難しいようです。
「駄目……」微かに、その声が絞り出されました。「ポプリ、叫んじゃ駄目! ワプスターに狙いを付けられちゃう! 私の事は大丈夫、こんなの……この程度の傷、もう慣れっこだもん!」
「だけど! 碧依、私は碧依が……」
ポプリさんは目を潤ませます。テスラの言葉に狂いはなく、ワプスターは手負いの彼女より、私たちを優先しようとしたようでした。人工的でありながら、爛々と野性の獰猛さの宿る眼光が、私たちに照射されます。
ライエさんがフェンスから降り、テスラに向かって手を伸ばしました。手には、テスラがリトス・アクシアと呼んでいた結晶体と同じものが握られています。
「特権者のプラーナ、きっと相当のものでしょうね。せっかくだし、封印して運ばせて貰うわ」
しかし、テスラはその彼女の手首を逆に掴み返しました。
「………? 何のつもり?」ライエさんは眉を上げます。「あんた、ミーティアを吹っ飛ばされて、もう戦えないでしょ。無駄な抵抗は止したらどうなの?」
私は、近寄ってくるワプスターと、懸命にライエさんに対抗しようとするテスラを交互に見、心の中にとある気持ちが湧き上がるのを感じました。それが恐れを上回った時、私はアプリさんに声を掛けていました。
「アプリさん……私、彼女を助けたいです」
「えっ?」「冗談言わないで!」
アプリさん、ポプリさんが同時に声を上げます。ポプリさんの方は、アプリさんに容喙する隙を与えずに続けました。
「テスラを助けるなんて、どんなに力があれば出来ると思っているの? 私だって、碧依の事は大事。だけどそれだけじゃ、フェアステラの私じゃ戦う事も出来ない。ましてやあんた、ごく普通の女の子でしょ!」
「だから……どうしようって……」
公方院さんはずっと、私の憧れでした。私に持ち合わせていないものを、何でも備えた完璧な人だと思っていました。だけどその彼女もまた私のように、いいえ、私とは比べ物にならないくらい、独りで頑張って戦い続けていたのです。それを知って、どうして放っておけるでしょう。
それでも──私は、どうしようもなく無力です。
打ちひしがれそうになった時、アプリさんが不意に、腕から抜け出しました。
「白葵鏡花さん。あなた……”特権”を持つ覚悟はあるですの?」
今までで最も真剣と思われる声で、アプリさんは尋ねてきました。私が思わず姿勢を正した時、ポプリさんが「ちょっと!」と叫びます。
「アプリ、あなたねえ……そんなに見境なく力を与えるって事は」
「ポプリは見えないですの? 鏡花さんのプラーナは、自生魔法の使い手たり得るには十分な魔力出力があるですの! きっとこの人なら……十分に、碧依の助けになれるですの!」
アプリさんは言うと、目を丸くする私に向き直りました。
「特権とは、可能性と義務ですの。ワープ、そして自生魔法を得て、特権者は人並み外れた力を以て戦う事が出来るようになるですの。でも、それを絶対、私欲の為に使っちゃ駄目ですの。常に誰かの為に、オラクルロードに繋がれた宇宙の秩序を守る為に、使わなきゃいけないですの。それが……高貴な義務というものですの」
「可能性と、義務……」
私は、その言葉を繰り返します。
「あたくしたちはフェアステラ、力を望み、特権者になりたいと願う人を審議し、それに相応しい力と心を持ち合わせているか確かめる……宇宙の妖精ですの」
真っ直ぐに私を見つめるアプリさんの後ろで、テスラは──公方院さんは、ライエさんの手を、必死に掴んで引き留めていました。その姿を見ているうちに、私の心には、そうか、という納得が浮かび上がってきました。
日本に現れる正体不明の敵、ワプスター。それを倒し続けるテスラは、皆にとってのヒロインで、アイドルでした。しかし、公方院さんは決して、それが自分だとは言わなかった。公方院碧依という自分を、誰かに褒めて欲しいとも、きっと思っていないのでしょう。ただ、自分の成すべき事を成し、見知らぬ誰かの為に”特権”を行使し続ける。それこそが──。
「……分かりました」
私が肯くと、アプリさんは手で空中に円を描きました。魔方陣が現れ、その中から二枚のカードと、公方院さんが変身に使っていた長方形の箱型のアイテムが湧出しました。
「それはフランスペルマ、鏡花さんの体の中にあるプラーナを、魔力に変えて解き放つ為の装置ですの。そのタロットを差し込んで、『オラクル・リリース』『ウェイクアップ、スターズメモリー』と叫ぶですの!」
「や……やってみます!」
最初にどちらのカードを使えばいいのかは、不思議と直感的に分かりました。私は片方──お姫様のようなシルエットの描かれた薄桃色のカードを手に取り、装置の中に差し込むや否や、高く掲げました。
「オラクル・リリース! ウェイクアップ、スターズメモリー!」
刹那、体がぽっと熱を持ちました。見ると、先程の公方院さんのように、全身に光の粒子が集まりつつあります。先程は特に気が付かなかったので、周りからでは見えないのかもしれませんが、私の周囲にも同じく桃色の光が満ち、こちらを取り巻くように回転しています。
私は、渦の中で踊っているような気分になりました。これからテスラを助けなければ、という事を忘れた訳ではありませんが、何だか妙に嬉しいような、楽しいような気持ちなのです。自然に笑顔が溢れ、それに呼応するように、光が弾けて私に特権者としての装いが施されていきます。
テスラと同じようなベスト、しかし色は濃いピンク色。同色の手袋に、ルビーのようなブローチ。喉元には、リボンの付いたお洒落なチョーカー。赤紫色に白のラインの入ったミニスカートが現れたところで、私の髪もその丈程の位置まで伸び、真っ赤なツインテールになりました。髪留めはシュシュではなく、白く大きなベルベットのリボンです。
何故でしょう、私には、自分では見る事の出来ない位置での変化までが、はっきりと知覚出来ました。まるで、体の内外で大きな流れが出来、それを考えるよりも先に把握出来ているような──自分が、自分という存在の輪郭をはっきりと理解しているような、かつてない頭の冴え方でした。
光が消えると、私は驚いて自分の姿をまじまじと見つめました。
「これが……特権者としての、私……?」
「まだですの」
アプリさんは顔のすぐ横まで飛んで来ると、ぽむっと両の手を合わせました。
「特権者は自らに定義を与える事で、プラーナを魔法として錬成出来るですの。だから名前を与えて、自分が何者なのかを明確にしてあげるですの!」
「名前……ですか?」
どうしましょう、ネーミングは私、とても苦手なのです。ゲームをしたりSNSを使う時も、ユーザー名がいつも決められずに「キョーカ」としてしまいます。胡桃先輩などからは、いつも本名は危ないと注意されるのですが……
しかし悩んでいる間に、私が変身する間驚きに打たれたように動きを止めていたライエさんが、手を振り上げていました。
「ひよっこの特権者が追加されたところで、今回のアニメイテッドは易々とやられたりしないわよ。叩き潰してあげなさい!」
同じく動きを止めていたレンジ型ワプスターは、我に返ったように再び吠え、こちらへの接近を再開しました。その口元に、また炎の渦が覗き始めています。到達するよりも先に、遠距離攻撃を仕掛けるつもりでしょう。
悩んでいる時間はありません。
私は咄嗟に浮かんだ特権者としての名前を、声高に宣言しました。
「心火に咲く赤き花──フランチャイズ・フラン!」