『フランチャイズ・フラン』第1話 お姫様になりました④
③白葵鏡花
アプリさんは私が部屋に入ってきた時、「かくれんぼ」をしている最中のようでした。しかし事情を知らない私がそこに現れ、姿を隠す暇がなかったので、やむなくぬいぐるみの振りをしたという事です。
彼女を追っている人というのは、一体誰なんでしょう? アプリさんは何やら秘密がありそうですし、もしかしたら”国家の敵”というやつでしょうか。珍しい生き物のようですが、まさか密猟者に追われている、なんて事は……ない、と思いたいところですが。
それよりも。
「あの……アプリさん。もう少し、狭くない隠れ場所というのは……?」
「そんな場所があったら、あたくしに教えて欲しいですの」
私たちは現在、生徒会室の掃除用具ロッカーにぎゅうぎゅう詰めになっているところでした。隠れ場所といって定番中の定番なので、すぐにバレそうな気もするのですが……
「そもそも本当に、ここにアプリさんを追っている人は来るんでしょうか?」
「来るですの。だって、あの人はあたくしが絶対に危ない事はしないって分かっているから、まず誰も居ないこっちの建物から探そうとするですの。それで通りすぎて貰えたらもう安心、あたくしたちはもう気にせず遊べるですの」
「遊びたかったんですか……」
「当然ですの。だって今まで、ポプリばっかり……確かに、勝手に着いて来たのはあたくしも悪いですの。でも、わくわくするものがあったら放っておけないのは、自然な事に決まっているですの!」
アプリさんは、やや力を込めて熱弁しました。
「えっと、それは学校に、ですか?」
「それもあるけど……まあ、色々ですの」
彼女は、ロップイヤーみたいに垂れた耳を、更にくたっと落としました。心配になりましたが、私が続けて何かを言うよりも早く、今度はアプリさんの方から尋ねてきました。
「鏡花さんは、何でこっちの寂しい方に居たんですの? あっちではお祭り、楽しそうなのに」
「あー、それはですねえ」
胡桃先輩のお遣いを思い出し、私はやや冷や汗をかきました。高樋先輩たちは、一向に戻って来る気配を見せません。もしかしたら、トラブルというのは嘘で、交替まで我慢出来なくなった先輩が皆を引き連れて出て行ってしまったのかも。いえいえ、高樋先輩は決して、無責任な人ではありません。
「ちょっと、人を待っていまして……アプリさん、これって、私まで隠れている必要はあるんでしょうか? 私、アプリさんよりずっと大きいですし、狭くなってはいませんか?」
「駄目ですの! ちゃんとあの人が行ってからじゃないと」
アプリさんは、顎を上げて私の目を見つめてきます。
「あたくしの正体がバレたのは、まあ仕方がないですの。でも、このまま外に出たら多分、何か聞かれた時に鏡花さんはきっとあたくしの事を喋っちゃうですの。悪気はないのかもしれないけど、鏡花さん、何となく天然っぽいところがあるように思うですの」
「あー……」
私の口から、また俗っぽい声が出ました。それは図星です。
「だから……あっ、静かにしなきゃですの! やっぱり来たですの!」
アプリさんは、ロッカーの上の方に開けられたシャッターの穴から外を覗き込みました。入口の扉が開けられる音が聞こえ、私も爪先立ちで伸び上がって、様子を窺ってみます。
現れたのは、思いも寄らない人でした。
「あの子が楽しめそうな場所なんて、あとここくらいだけど……」
呟きながら入って来たのは、なんとショルダーバッグを提げた公方院さんだったのです。私はびっくりして、思わず爪先で立っていた足をよろけさせました。扉は開かなかったものの、引っ掛けてしまった箒やモップが落ちてガタン! と激しい音を立てました。
「しーっ! 静かにするですの!」
「ごめんなさい!」
アプリさんに注意され、私は咄嗟に口を押さえました。公方院さんは真っ直ぐ私たちの隠れているロッカーの方を見ると、
「アプリ? アプリ、居るんでしょう? 観念して出て来なさい」
悪戯した子供を叱る時のように、両腰に手を当てて近づいてきました。マズい、という気持ちよりも、何で公方院さんが、という混乱が勝り、私の頭は真っ白になっていました。
私がフリーズしている間に、公方院さんはロッカーの扉を開けました。隠れている私と目が合うと、これはさすがに予想外の展開だったらしく、彼女も「わっ!」と叫んで尻餅を突きました。私の肩の辺りに浮かんでいたアプリさんは、そちらにびっくりしたように
「大丈夫ですの!?」
咄嗟に公方院さんへと飛び出してから、空中で我に返ったように静止しました。公方院さんの目が、驚きから段々怒っているものへと変わります。
「……バレたですの」
「バレたですの、じゃないわよ」公方院さんは起き上がると、また逃げようとしたアプリさんの両脇をしっかりホールドしました。「お人形の振りをしている事って約束したでしょう!」
「うわああ、放すですの! もうしないから許してですの!」
アプリさんがじたばたと暴れていると、公方院さんのバッグからもう一匹、アプリさんに似た生き物が飛び出しました。こちらは、アプリさんの桃色の箇所が萌黄色になっています。
「そう簡単に済む話じゃないでしょ。何処で居なくなったのか分からないから、碧依の手を相当煩わせる事になった。あんたは元々お供じゃないんだから、あんまり迷惑を掛けるとエストレリータに帰されるわよ」
「ポプリには言われたくないですの! 碧依と一緒に遊べる癖に!」
「私は、女王陛下直々に碧依に付くようにってご命令を受けたんだから。それに私だって、今日は一日ぬいぐるみの振りしてなきゃいけないのよ」
「むむむう……っ」
アプリさんは頰を膨らませると、ぶつぶつと呟きました。
「ポプリも、段々言う事が碧依に似てきたですの……」
「それより、今は」
公方院さんは、アプリさんと、ポプリと呼ばれたもう一匹を同時に抱き抱えて私の方に視線を向けました。「いつまで入ってるの」
私は、慌ててロッカーから出ます。何やら公方院さんとアプリさんたちは知り合いのようですし、別に危険が迫って逃げようとしていた訳ではなかったらしいのでひとまず安心しましたが、同時に疑問が次々に浮かび上がってきます。
「公方院……さん」
「白葵さん、どうしてこんな所に居るの? アプリと話したの?」
私が答えるよりも早く、彼女は「もう私たちの会話で手遅れか」と自分で呟きました。「で、何処まで聴いた? アプリやポプリの事」
「何処までって……」
「あたくし、まだ鏡花さんには殆ど何も話してないですの! これは本当に!」
アプリさんが割り込みます。ポプリさんは疑わしげに彼女を見ましたが、実際に本当の事なので、私はこくこくと首を縦に振りました。
「そうです。アプリさんは、まだ私に何も……」
探りを入れたかった訳ではありませんが、つい聞いてしまいます。
「公方院さん、アプリさんたちの正体をご存じなのですか? 国家機密、という事らしいですが……」
「それは……」彼女は言葉を詰まらせます。
先程もでしたが、動揺する彼女を見るのは、私も初めてでした。
と、その時、突然窓の方から見知らぬ声が響きました。
「無能なフェアステラのせいで失態を見せたわね、公方院碧依」
私も公方院さんも、アプリさんとポプリさんもぎょっとしてそちらを向きます。窓はいつの間にか開いており、桟にまた別の女の子が腰を下ろしていました。織姫星の制服ではなく、黒いチュニックにデニムのショートパンツ、トップスと同じ黒いストッキングを身に着けています。髪はふんわりとしたボブで、その色は見事な銀色でした。
「ライエ……」
公方院さんが、警戒を見せました。女の子はニヤリと笑うと、私をちらりと一瞥して言葉を続けました。
「一般人にフェアステラの存在を知られるなんて。私たちの計画の予告編、ってとこかしら?」
「あんたの計画なんて、大体想像がつくわ。この間知ったウィスプの機密を、公開でもしようって魂胆でしょう? ワープや魔法を特権化しているとか、弾劾めいた文句を使って」
「見破られたところで、実際されたら困るでしょ、碧依?」
「またワプスターを出すつもり? でも、今は周りに誰も居ない。今までみたいに、さっさと倒してあなたには帰って貰うから」
私は、またまた混乱してきました。一体、公方院さんとこの女の子は何を話しているのでしょう。何やらとても仲が悪そうですが、とにかく喧嘩は良くありません。あの、と私が声を掛けようとした時、ライエと呼ばれた女の子がからからと笑い声を上げました。
「本当にそう上手く行くかしら? 私たちディザイアスも、あんたにただ負け続けてきた訳じゃないのよ。あんたの弱さも、しっかり掴めた。例えば……そうね、無辜の人間が戦いの巻き添えで犠牲になるのを、絶対に許さない、とか」
彼女は言うと、手品のように何かを手の上に出現させました。
それは、氷柱のような正八角推の形をした、赤紫色の結晶でした。私はよく見ようと身を乗り出しましたが、そこで公方院さんにぐいっと引き戻されました。
「見ない方がいい」
しかし、私は既に見てしまっていました。何が起こっているのかは、依然分かりません。ただ、向こうの女の子に対して怯えが込み上げるのは感じました。
それは、人間だったのです。眠るように目を閉じ、凍りついたように動かない男性が、小さく小さくなって結晶の中に閉じ込められているのです。
「リトス・アクシアを使うの?」
「ええ。きっとあんたは、人間を使ったアニメイテッドを葬り去る事が出来ない。プラーナを増大されたアニメイテッドに、一方的にやられ続けるしかないの。何なら、試してみよっか?」
悲鳴を上げそうになり、必死に堪える私の前を通過すると、女の子は部屋の一角にあった電子レンジに近づき、手を翳しました。その掌から赤い光を放つ魔方陣が出現し、レンジを包み込みます。陣の中心に、先程の人が閉じ込められた結晶が吸収されていき、発光がより強くなりました。
「やめなさい、ライエ。あんたは今、越えてはならない一線を越えようとしている」
「どうかしらね? ……アニメイテッド、アクティベーション!」
女の子が叫んだ次の瞬間、電子レンジに変化が起こりました。赤い光が爆発するかのように拡散し、レンジはその中に見えなくなりました。あまりの眩しさに私が目を閉じた一瞬で、その光は消え──気が付くと、散らかった生徒会室に、肩幅の広い亀のような、二足歩行の機械怪獣が屹立していました。頭部を押し上げ、口とほぼ一体化しながら首から突き出しているのは、見紛う事なく先程の電子レンジです。その造形は、ここ数年テレビで見慣れたものでした。
「ワプスター……」
私が呟くと、公方院さんはこちらを庇うように前に出ました。
「白葵さん、危険だから早く逃げて。ライエ、とうとうやってくれたわ」
「ワプスターって」私は、閊えながら口走ります。「ライエさんたちが、作り出すものだったんですか!?」
「そう。しかも今回のこれは、ただのワプスターじゃない。リトス・アクシア、人間の生命力を吸い取って、魔力を強めている」
「その通りよ」
ライエさんは言うと、電子レンジ型ワプスターにさっと手を振りました。
「さあアニメイテッド、学校を壊しなさい!」
「ギイイイガアアアアアッ!!」
ワプスターは吠えると、反復横跳びをするように横方向に跳躍しました。壁が大きく崩れ、大量の書類や瓦礫を巻き込みながら外へと出て行きます。歓迎会のメイン会場まで行ってしまうかもしれない、と思った時、私は顔から血の気が引くのを感じました。
「やれるだけの事は、やらなきゃ……!」
「ちょっと待ってよ碧依」
公方院さんがポケットに手を入れた時、ポプリさんが口を挟みました。
「白葵鏡花が見ているのよ。ここで変身なんて、そんな」
「そんな事言っている場合じゃないでしょ! それに、白葵さんには色々見られすぎた。どうせ、記憶をエクスティングイッシュする必要はあったわよ。……ポプリ、お願い止めないで。さっきの人に、学校の皆を傷つけさせる訳には行かない」
「……分かったわ。精一杯、契約を果たしてちょうだい」
公方院さんの切実な言葉に動かされたのか、ポプリさんは私のすぐ傍まで下がってきました。公方院さんは「ありがとう」と言うと、手を入れていたポケットから何かを取り出しました。
携帯電話のような、長方形の箱。白地に、金色で精緻な装飾が施されています。彼女は更にカードを取り出し、その箱に差し込みました。
「オラクル・リリース! ウェイクアップ、スターズメモリー!」
公方院さんが叫んだ時、その姿に変化が起こりました。
彼女の全身を光が包み込み、体の線をなぞるようにそれが弾け、制服ではない新しい服装を出現させます。フリルの付いた、ドレスのような白い上着。お腹を空けて、同じデザインのスカート。黄緑色のラインが随所に入り、それがシンプルすぎず可愛らしいアクセントになっています。足には底の高い長いブーツ、手にも指ぬきの肘程まである同色の手袋。
何より驚いたのは、背中に掛かるくらいの長さだった公方院さんの髪が、突然太腿に届く程の長さまで伸び、カスタードのような淡い色に変わった事です。自動的にポニーテールのようにくるくると巻かれ、フリルのシュシュで留まると、最後にティアラが出現しました。
その姿に、私は見覚えがありました。いえ、それどころか、その姿を写真で見ない日はない、というくらいです。
彼女は特権者、テスタメント・テスラだったのです。顔を見れば一目瞭然、しかし確かに、私はそれを公方院さんの顔だと認識する事が出来ました。今まで写真を見ても、公方院さんの顔を見ても、その両者が同じ顔であると気付く事がなかったのは、何故なのでしょう。それ程、公方院さんからテスラへの変化は、違和感がありませんでした。
「公方院さんが……テスラ?」
「白葵さん、アプリとポプリをお願い!」
公方院さんは──いいえ、テスラは、そう叫ぶや否や壁の崩壊個所から外に飛び出して行きました。地面に着地して動き出そうとしているワプスターの背を、踏みつけるようにして降り立ちます。彼女が腰から、いつの間にか出現していたタクト型の武器を取るのを呆然と見つめていますと、アプリさん、ポプリさんが私の腕の中に飛び込んできました。
「外に出るですの! 校舎が崩れるかもしれないですの!」
「あなたも巻き込まれるわよ! まずは自分が助かる事を考えるの!」
お二人に言われ、我に返った私は考える間もなく駆け出しました。