『フランチャイズ・フラン』第23話 流星雨③
③ドラゴブリン
「ファシス、僕のOSをハックしろ。さすがにこいつも、他人の体内の魔力までは吸収出来ないだろう」
ジュグマは、ドラゴブリンとファシスの前まで進んで来ると、突然言った。
「僕の体内で電子の操作を行うんだ。お前はそれだけやってくれれば、あとは僕だけで何とか出来る。早くしろよ、ここから出たいんだろう?」
「ジュグマ、てめえ何言ってやがる?」
ドラゴブリンは彼に歩み寄り、両肩を掴む。
「それは、陛下への明確な反逆行為だ。システムのアップデートを行っていいのは陛下本人だけ、だがファシスの能力じゃ可能になっちまうから、俺たちは常に陛下の監視を受けるようになっている。バレたらどうなる? 懲罰房なんかじゃ済まねえ、マジで殺されちまうぞ!」
「へえ、大した忠義じゃん。僕たちを見限ってこんな状況に追い込んだ男に、よくそこまで忠誠を誓えるものだね」
ジュグマの顔は冗談を言っているようには見えず、それがドラゴブリンには却って信じられなかった。彼は確かに最も改造レベルが高く、時に常軌を逸したような言動を行う。しかし、デュナミス帝への忠誠心は自分たち皆が共通して持っているものだと思っていた。
えも言われぬ不快感に、皮膚の裏側が粟立つような気がした。しかし、自分が再度口を開こうとするのを手を挙げて制し、ファシスが低くジュグマに問うた。
「私に君のOSをハックさせて、一体何をしようというんだい?」
「おい、ファシス」
「黙っていろ! ……答えてくれないかな、ジュグマ?」
ファシスは、こちらを鋭く一喝する。ジュグマは肩を竦め、さも何でもない事ででもあるかのように淡々と言った。
「僕たちを改造し、各々に持ち合わせた自生魔法の才能を極限まで引き出させているのは何だと思う? 陛下と同じ、ネプルスウルトラだ。陛下はその力の片鱗を僕たちに分け与え、自らの手先としたんだ。なら、その力を真に解放出来ればいい。そうすれば僕たちは、陛下と……デュナミスと同じ力が得られる」
「聞くに堪えねえ」
ドラゴブリンは吐き捨てた。
「俺たちは、てめえらの意志で陛下に従った。ネプルスウルトラが、俺たちを陛下の手先にしている? そんな訳ねえだろうが!」
「逃げるのはやめろ、バルダック!」
ジュグマが、矢庭に大声を出してこちらの頰を張ろうとしてきた。無論、小柄な彼では身長二メートルを超えるドラゴブリンに届く事はなかったが、突然の事に動揺が走る。
「僕たちに、過去の記憶がない事はどう説明をつける? バリ族出身のお前が、歴史書に記述された、エストレリータに屈服した過去を忘れているのは? ファシス、お前もだ。お前の身に覚えがない”弟”の事は? ……陛下の力の出所は、ネプルスウルトラ。だとすれば、想像出来る事は一つしかないだろう。僕たちはデュナミス帝に支配される側の存在じゃない。彼と同等の力を持ち、処分に怯えず成すべき事を成せるだけの権利がある」
僕はやるよ、と、ジュグマは言った。
「しないというならファシス、君の頭蓋を壊して直接脳に催眠術を掛ける。そして、否が応でも従って貰う」
「……分かったよ」
数秒間とも、数分間とも取れる時間の後、ファシスはそう言ってジュグマの顳顬の辺りに蛇の如き指を添えた。ドラゴブリンは「おい」と咎める。
「その野郎、キじみてやがる。従う必要なんかねえ!」
「だけど、このままアニメイテッドの腹の中に居る訳にも行かない」
ファシスは、低く抑えた声色で言う。「君も、それは分かるだろう?」
「心配するなよ、ドラゴブリン」
ジュグマの瞳が、暗い光を湛えた。
「ここから脱出さえすれば、あとは自由だ。僕もお前たちを、危険分子として排除しようなんて事は考えない」
直後、ファシスがシステムへの干渉を始めたらしく、ジュグマの目が燐光を放ち始めた。額に、古代のエストレリータ文字と思われる紋章が浮かび上がり、そこから血煙にも似た赤黒いオーラが噴出した。
「おい、大丈夫なのかよ?」
「ああ……そうだよ、これだ! これが本当の僕の……!」
ジュグマは、不気味に光る目を細めて口角を上げる。
ドラゴブリンには、彼がただ陶酔に支配されているだけに見えた。だがそうではない証拠に、ファシスの「ハッキング」が始まってから間もなく、彼が不快そうに一瞬眉を潜めた。彼は恐らく、現在物凄い苦痛を感じているはずなのだ。それを、途方もない精神力で抑え込んでいる。
首都星ガルサで、定期的に行われるアップデートの事を思い出す。自らの体に魔科学的な機械が移植されているという事実を突きつけられるだけでも抵抗はあるが、肉体と結合したそれを通して、本来自分のものではない魔力が流し込まれる事は甚大な痛みを伴う事なのだ。ドラゴブリンは自らがより強い力を得る為には、その過程で苦しみを受ける事にも耐えられる。だがこの「アップデート」だけは、何度経験しても逃げたいという気持ちが顔を出してしまう。
「ジュグマ、君本当に……」
干渉を行っているファシス当人が不安そうに口を開きかけたが、
「うるさいよ!」
ジュグマはすかさず一喝し、黙らせた。
「あ……ああああああっ!!」
その喉から、堪えられなくなったように絶叫が迸る。足元に魔方陣が展開し、そこから浮力が発生したかの如くジュグマの体が宙に浮かび上がる。褐色の肌に刺青のような蔓植物の模様が現れ、ノースリーブのシャツの上から羽織っていた毛皮のフード付きコートが、裾を伸ばして僧兵の袈裟のような黒装束に変じた。
ドラゴブリンは黙ったまま、彼の変身を眺め続ける。やがて決定的な変化は、普段は焦点の合っていない彼の目に現れた。
ジュグマの右の眼窩から、金属質な光沢を帯びた羽根が数枚生え出したのだ。それは彼の右目を縁取るように伸び、左右で白黒に分かれた髪と混ざり合うようにして、白い方に同様の金属光沢を発生させる。
「お前……」
「……アルス」
悲鳴が止み、ジュグマの唇が戦慄くようにして音を紡ぎ出した。
「やったか、ジュグマ!?」ファシスが息を呑む。
「……アルマデル!」
魔方陣が消え、彼が蠕動するアニメイテッドの肉の床に降り立つ。目から放たれていた燐光は消滅していたが、その瞳は以前よりも狂気の光を帯び、炯々と輝いているようだった。
「このアニメイテッドはネプルスウルトラのせいで、周辺の魔力を酸素の如く貪欲に吸収する。生半可な練り具合の自生魔法じゃ、すぐにこいつに吸収されて無効化されるのがオチだ。なら、同じネプルスウルトラを使って吸われないくらい強固に練れば済む話だ」
ジュグマが右手を前に突き出した瞬間、爆発が起こったかのようにその手から光が迸った。四方に向かって線状に放射されたそれは、ぬらぬらした肉壁を焼いてジュウジュウという湿った音を立てる。
「これが……俺たちに、本来備わっている力だっていうのか?」
ドラゴブリンは後退りつつ、両目を光から庇った。
ジュグマは会心の笑みを浮かべると、詠唱を完結させた。
「オウル・エン・ソフ」
無限の光。その意味がすっと胸裏に滑り込んできた刹那、光線が突如として出力を上げた。アニメイテッドの肉壁を融解させるように放たれたそれは、赤黒い靄の立ち込める空間を切り裂き、内側に外光を取り込む。
光線に掠められた瞬間、ドラゴブリンの左腕から、肉が大きく削がれた。改造手術で取り込まされていたインプラントやナノマシンが欠損したようで、血液と共にバチバチと火花が散る。ファシスも、彼の《漆黒天使》たる所以となっている翼状の鎧が破壊され、背中から製鉄炉の如く火花を零した。
「ファシス!」
思わず彼の方に腕を伸ばそうとした時、
「動くな、マジで死ぬよ」
そう言ったジュグマの声は、心から愉しげだった。
何分間──或いは何秒間、だっただろうか。身動きの取れないまま、自らの一部である機械が破損したという恐れと、皮膚を焼く熱線に耐え続けていると、アニメイテッドの背部に当たる天井の一角が木っ端微塵に消し飛んだ。
「今!」
ドラゴブリンとファシスには最早、ジュグマに従う以外の選択肢が残されていなかった。光線の射出が途切れた瞬間を狙い、彼と共に飛行魔法を使用する。ジュグマの解放したネプルスウルトラが、アニメイテッドへ一方通行に吸収される魔力の流れを拮抗させたらしい、いつの間にか魔法は使えるようになっていた。
アニメイテッドの体内を抜け出して宙空へ舞った時、魔力操作の自由が戻ってきたのを感じた。
内側から凄まじい魔法で体を穿たれた戦艦型は、黒煙に覆われた頭部をこちらに向けつつ雷属性のブレスを吐いてこようとする。ドラゴブリンはそれに対し、地属性魔法を詠唱して防御した。
「カタクリズム!」
「なあ、お前たち」
巨石が電撃に向かって飛び、相殺というには押され気味に爆散した時、ジュグマが自分とファシスの肩に腕を回してきた。
「僕と同じように、自らに目覚めればいい。デュナミス帝は、わざと僕たちに与えた力を、改造以上の目的で利用しようとしなかったんだ。そろそろ気付けよ、自分たちの強さが、こんなものじゃないって事に」
言うや否や、彼の指が自分たちの肉に食い込んだ。体内に、傷口から熱湯を流し込まれたかのような熱さが走る。それは鎖骨を伝い、激しく脈打つ心臓を容赦なく包み込んだ。
自分は今、死ぬのではないか。
そのような予感がちらりと頭を過ぎった時、ジュグマは自分たち諸共ワープを実行した。