『フランチャイズ・フラン』第2話 責任は取る!⑤
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ウィスプの研究所に到着すると、公方院さんは迷いのない足取りでロビーを抜け、奥に進む廊下の前に並んだセキュリティゲートに向かいました。ショルダーバッグの中からIDカードを取り出し、センサーに翳します。開いたゲートを彼女に続いて抜けようとすると、横の駅員室にも似たガラス窓の部屋から、警備員と思しき男性が駆け出して来ました。
「ちょっと君、IDを提示しないと通っちゃいけないよ」
「構わないですよ」
公方院さんは、私の手首を掴んで言いました。
「この子、昨日報告したフランです。雲母博士に確認を取って下さい」
そのまま、涼しい顔をしてエレベーターに向かいます。十何階という、私が普段絶対に行かないような階層のボタンが押されました。
エレベーターから降り、また廊下を歩くと、やがて強化ガラスの壁が現れました。その向こうには、薬品らしいものの並んだ棚や謎のカプセル、雑多な機械など、私がイメージする「研究室」そのものが広がっています。
自動ドアから入ると、入口のデスクで何やら記録をつけていた、二十代前半くらいと思われる茶色いパーマの男性が顔を上げました。
「おお、碧依ちゃん! 会いたかったよ」
海外の街角と思われる白黒写真が印刷されたTシャツは、私服のようでした。首から名札が下げられており、そこに「巧克力」という文字が並んでいます。「名前が読めない!」と困惑した私でしたが、その疑問はすぐに公方院さんによって解決されました。
「お久しぶり、ショコラさん。雲母博士は?」
「奥で待っているよ。三十分前からずっと座って、イライラしているみたいだ。碧依ちゃんのせいじゃないよ、リトス・アクシアなんかを碧依ちゃんにけしかけた《呪戦姫》に対してだし、君に戦闘を任せっきりにしている組織に対してもだ。でもそんな事、言ったってどうしようもないだろう?」
ショコラさんと呼ばれた男性は、立ち上がって私たちに手招きします。
公方院さんは私を伴って歩きながら、誰かと擦れ違う度に「猪狩さん」「小田切さん」「若苗さん」というように、私に名前だけを紹介してくれました。
「今から会う雲母博士っていう人が、量子物理学者でウィスプの主席研究員。ウィスプはワプスターとの──正確にはその背後に居るディザイアスとの──戦いも仕事に含むから、一応作戦立案担当者、司令ってもいえる」
「司令……」
「ディザイアスが現れて本職が分からない感じになっちゃったけど、ここに居る人たちは多くが幸徳のワープ研究グループから引き継がれた、超天才っていえる科学者たちだからね」
公方院さんの言葉を聴きながら、私は体が段々強張ってきました。何でしょう、そんなに凄い人たちの中に紛れ込んでしまった私の、圧倒的アウェイ感。
公方院さんに抱っこされたアプリさんがその腕をするりと抜け、「鏡花さん、冷や汗かいているですの」と指摘してきました。私たちの会話を耳に挟んだらしく、先を行くショコラさんが頭だけ振り返ります。
「碧依ちゃん、鏡花ちゃんをあんまり緊張させないの」
「ショコラさんだって、天才科学者の一人でしょう? ヨグソトシウムを発見した時は、まだ十八歳だったんですよね?」
「歳は関係ないだろう」
「そういう事を言えるのが、天才なんですよ」
彼らの会話を聞き、私はまじまじとショコラさんを見つめます。彼は照れ臭そうに頭を掻き、「実はね」と言った。
「僕なんだ、勝手に研究室に出入りして、上高地隕石にワープを司る物質が含まれているって報告したの」
「えええっ!?」
「今はまだ大学院生だし、博士じゃないんだよ。ついでに『ヨグソトシウム』って名前を付けたのも僕。変かもしれないけど、ちゃんと由来があって。クトゥルフ神話に出てくる、ヨグ=ソトースっていう時空を司る神様の名前からだよ。尚、この命名については……」
「ショコラさんの趣味。まあ、私は突っ込まないけどね」
公方院さんが肩を竦めた時、ショコラさんは足を止めました。私たちの前に、「雲母」と書かれたプレートの下げられた扉が現れていました。容喙する間もなく進んで行く事態に、私は戸惑いを覚え始めます。
ショコラさんがノックをすると、中から「入りなさい」という女性の声が聞こえてきました。彼は「失礼しますよ」と言い、ノブを回します。公方院さんに従い、私も失礼します、と断りながら部屋に足を踏み入れました。
「こんにちは、雲母博士。公方院碧依、暫定特権者フランチャイズ・フランこと白葵鏡花を連れて参りました」
「ご機嫌好う、碧依。……遅かったんじゃない?」
女性の髪形としては極限まで短く刈り詰め、白衣を纏った四、五十代程と思われるおばさん──もとい、ご婦人が、じろりと公方院さんを一瞥しました。彼女はぐっと唇を噛み、ショコラさんが助け舟を出します。
「予定時刻通りだと思うんですけど?」
「普通、こういう時は十分前には来るものよ」
「ちぇっ、どうせなら碧依ちゃんも、十分遅く来れば良かったのに」
ショコラさんは肩を竦めてから、「すみません、失言でした」と言ってお口チャックのジェスチャーをしました。
「白葵さん、こちらが雲母博士」
「は……初めまして。織姫星高校二年、白葵鏡花です」
私は、今を時めくウィスプの代表に顔を合わせた事に、また緊張がわくわくと体を震わせるのを感じました。雲母博士は私に視線を向けると、「雲母です」と簡単に挨拶をしました。
「白葵さん。あなたが、私たちの最高戦力である碧依を助けてくれた事には感謝するわ。でも、まだちょっと認識が甘いようね」
「認識……ですか?」
私は、胸がドキドキするのを感じながら、恐る恐る反復します。
「碧依を知っている私たちなら、織姫星高校の生徒だなんて事はすぐに分かる。それよりも、あなたが本当に特権者を続けるという覚悟があるのなら、自分を『生徒』なんかじゃない、『フランチャイズ・フラン』だって定義しなさい」
「鏡花さんの事は、仕方がないですの!」
アプリさんが、私と雲母博士の間に割り込みました。
「彼女、まだ完全に現実を受け入れられた訳じゃないですの。あんなに急な事だったんだから……それも、あたくしが悪いんですの。あたくしが自分を抑えられずに、その上勝手に契約まで……頭、ちゃんと冷やしたですの」
「あなたのせいじゃないわ、アプリ」雲母博士は、彼女に対しては優しいです。「あなたが白葵さんを導いてくれなければ、碧依はやられていた。まあ、彼女が浄化魔法を使える魔法使いで、役に立ったのは結果論だけどね」
「それじゃあ、裏目に出ていたら」
「問題は、浄化の力を持たなかった碧依に優柔不断な面があった事よ」
「ちょっとお待ち下さい」
公方院さんが、そこでむっとしたように口を挟みました。
「じゃあ私が、取り込まれた人間ごとワプスターを倒せば良かったんですか?」
「それが、必ずしも選択肢の外にあるとは言い切れないわね」
「そんな!」
私は、つい声を上げてしまいました。雲母博士もショコラさんも、公方院さんもフェアステラたちも皆、一斉に私に視線を向けてきます。
私は我に返り、羞恥心から体が熱くなるのが分かりました。しかし、今ワプスターから日本を守る要のウィスプで、それを取り仕切る雲母博士に人命の犠牲を割り切る考え方があったのでは、私はこれから、安心して特権者として戦っていく事が出来なくなってしまいます。
「どうしたの、白葵さん?」
公方院さんが、先を促すように言ってきました。私は決意を固め、開口しました。
「リトス・アクシアで強化されたワプスターは、ディザイアスに利用された人間なんですよね? 公方院さんが、躊躇わずにそう軽々しく倒す事の方が、無理があると思います」
言ってしまってから、皆さんが驚いたような顔で私を見つめるので、せっかく抑え込んだ恥ずかしさが再燃してしまいました。また、博士のような偉い人に向かって生意気な口を利いてしまった、という恐れもありました。
「……白葵さん、碧依の事を庇ってあげているの?」
ポプリさんがぼそりと呟き、私はまた顔が真っ赤になります。
「い、いえっ……その……これは」
「いいわ。白葵さんはまだ、知らない事だもの。だから、今説明するわ」
雲母博士は腕を組み、ゆっくりと話し始めました。
「リトス・アクシアに使われた人間っていうのは、致死率がほぼ百パーセントに近い疾患に罹患した事に喩えられるの。その疾患は極めて感染力が高く、病人が居るだけで、周りの人たちが危険に晒される。但し、罹患者が死んだ場合、病原体は全く排菌されなくなる。治せるのは、ある一種類の抗生物質だけ。抗生物質を持っていない人は、治せないと分かっているせめて当人を苦しませないように、そして周りに感染させないように、感染者を安楽死させるしかない。
この病人がワプスターで、抗生物質が浄化魔法だと思ってみなさい。どうかしら、碧依が迷ってはいけなかった理由が、少しは分かって貰える?」
「でも……」
「それに、リトス・アクシアにされる人間っていうのは、生物の生命エネルギーそのものであるプラーナが漏れ出しやすくなっている人。即ち、精神のベクトルが不健康に向かいつつある人間、心に闇を抱え始めている人間よ。病みつつある人間からは、プラーナがどんどん外に溢れ出す。
こう言うとよく、活発でエネルギッシュな人程プラーナが一杯、溢れるくらいになるんじゃないの? っていう事を聞かれるんだけどね、プラーナ自体は物質なの。他のどんな物質とも化学反応を起こさないから、人類には今まで存在を確認出来なかった。感情、神経の働きで何か物質が分泌されてプラーナが増減するとか、そういう事はないのよ。ただ漏れ出すだけでね。
心に闇を抱えた人間は、ワプスターに取り込まれて何をすると思う? 不条理に対する怒り、叶えられない欲望、誰かを不幸にしたいっていう呪い……それを、理性を失った獣のように、暴力として叩きつける。プラーナを魔力に転換されて、強力な魔法を使いながらね。これを聞いて、白葵さんはどう思う?」
雲母博士の言葉が心に浸透してくるうちに、私は気付けば唇を噛んでいました。
あまり考えたくはない事ですが、凶悪犯罪を引き起こす人は大抵、心に何かしらの闇を抱いているものです。ディザイアスはそれを──理性というガードを取り払って解放し、しかもワプスターという怪物の恐るべき力として、誰かに炸裂させてしまうという訳です。
闇を抱えた人は、ワプスターにならなくても、いつかそれを爆発させてしまうかもしれない。それを防ぐ為にも、ワプスター化したなら合法的に倒してしまうのがいい……それが、雲母博士の持論だというのでしょうか?
私は考えます。
誰も皆、不条理に思い悩む事も、抑えられない怒りを抱く事もあるでしょう。私だって、コミマで三時間並んで、目の前で狙っていたお宝が売り切れたりしたら悔しいし、面白くない気持ちにもなります。だけど、どんな負の感情であっても、それを自分自身でコントロールし、乗り越えていくのか、暴力として炸裂させてしまうのかは人それぞれです。ワプスターにさえならなかったら、誰かを傷つける事なく克服出来る事だってあるはずです。
人は、まだ犯してもいない罪で裁かれるべきではない。
そんな理由で裁かれちゃ、いけないんです。
「……抗生物質なら、私が持っているじゃありませんか」
私はそこで、やっと自分が特権者になった理由を──アプリさんの言った「可能性と義務」を理解しました。私が、皆のヒロインであるテスラ、公方院さんには使えない浄化魔法を持った理由を。
「私は、テスラと一緒に戦います。私に与えられた浄化魔法で、沢山の人を救いたいです。公方院さんは強くて、私が助けられるはずなんてないって、ポプリさんも言っていました。だから私が昨日特権者になったのは、私自身の我儘です」
「白葵さん……」
公方院さんは、私を見て目をぱちくりさせました。私も、自分にここまでの台詞が言えている事には驚きです。でも、本心を口にするだけなら、原稿の用意は必要ありません。
「だから、責任は自分で取ります! もし、どうしても私が使い物にならないようなら……その時は、エクスティングイッシュして下さい」
「私からも」
頭を下げた時、公方院さんが私の隣に並びました。絞り出すようなその声に、私が思わず低頭したまま横目で窺うと、彼女は私より深々と頭を下げました。
「今回の件については、私にも責任があります。そして、これからも同じような責任を取る事になるでしょう。……白葵鏡花を、フランチャイズ・フランとして認めて下さい。彼女がどんな結果になっても、責任は私が取ります」
「公方院さん……」
先程の彼女と全く同じリアクションを、私もしてしまいました。
雲母博士は暫し黙って私たちを見下ろしていましたが、やがてふっと溜め息を吐きました。
「責任、責任っていうけれどね、ここの最高責任者は私なのよ。何かがあれば、子供にそれを負わせて大人がとんずらする訳には、行かないでしょうが」
「博士、それは」
「こっちは大学から、そして今じゃ国から給料を貰って仕事をしているの。私の首を飛ばすような事は許さないわ。だから……碧依、あなたがしっかり白葵さんを、いいえ、フランを導きなさい」
「って、事は!」私と公方院さんの声が、ぴったり重なります。
「フラン──鏡花。今日からあなたは、晴れて二人目の特権者よ。ようこそ、私たちウィスプへ」
雲母博士は、そう言って私に手を差し出したのでした。
「やったですの、鏡花!」「……おめでとう」
いつの間にか呼び捨てになっていたアプリさんと、おざなりにではありますが祝福の言葉を言ってくれたポプリさんが、ぱちぱちと小さく拍手をしました。ショコラさんはガッツポーズをし、
「おめでとう! 鏡花ちゃん、碧依ちゃん!」
どさくさに紛れて私たちの両肩を抱き締めようとしてきました。公方院さんは「未成年者ですよ」と突っ込み、私の手を引いてするりと回避しました。